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Twinkle Summer   あたしが千紗だ、文句あるか5  作者: たてのつくし


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面会は面倒 その5

 結局、父親の提案で、三人ともランチコースをとることになった。

 千紗は、前菜に魚介のマリネ、パスタはカルボナーラ、そしてデザートにバナナクリームパイを選び、伸行は、コーンスープにソーセージのピザ、デザートにはアイスクリームの盛り合わせを選んだ。


 張り切ってオーダーをする父親の声を聞いていたら、千紗のお腹が再びぐうと鳴った。この後次々お目見えするのは、どれも大好物だ。こうなったら、出てきたものは、全部ばっちり平らげてやる。せめてそれくらいしなければ、今日来た意味がないではないか。そうだ。ついでに伸行のピザも奪い取って食べてやろう。きっと顔を赤くして怒るに違いない。


 テーブルに食べ物が並びはじめると、空気がぐっとほぐれた。食べ物を前にすると、いつだって無条件で機嫌が良くなってしまう千紗なのだ。そういう自分を腹立たしく思う気持ちもあるが、前菜の魚介のマリネを食べながら、そんなに尖がることもないかと、気持ちが緩んでくる。尋ねられるままに、ぽつりぽつりと父に近況を話したりもする。そんな二人の間で、伸行はせっせとコーンスープを口に運んでいる。


 皆でサラダを食べていると、ボーイがうやうやしいしぐさで大皿を持ってきた。いつの間にオーダーしていたのか、色とりどりの温野菜に取り囲まれたそれは、ローストチキンだった。

「これこれ。これを食べなくっちゃ。なんたってここのローストチキンは絶品なんだから」

目を丸くする子供たちを前にして、子供のように父が叫んだ。

「これ、いつ頼んだの?」

と伸行。

「こんなに、食べきれるの? ていうか、どうしてお父さんは鶏肉ばっかりなの」

言ってから、千紗は思わず、心の中であっと叫び声を上げた。しまった。ついうっかり、お父さんと言ってしまった。細心の注意を払って、今日はその言葉だけは言わないようにしようと、心に誓ってきたのに。


 昨日の夜、今日のことをあれこれ考えて眠れなかった。

 勢いで面会に行くと言ってしまったことを、改めてくよくよ後悔したかと思うと、行くと決めたのだから、気持ちを切り替えてカラッと会ってこようと思い直し、そう思ったすぐ後で、いやいや、まだ怒っているということを、一日中、あの人に見せつけてやろうと心に誓う。そしてまた、何で面会に行くなんて言ったんだろうと後悔し始める。一晩中、その繰り返しだったのだ。


 それでも、辺りが明るくなる頃には、千紗も腹をくくった。その時、自分に一つだけ約束をしたのだ。たとえどんなにその場が気まずくなったとしても、あの人をお父さんとは絶対に呼ばない。それは、面会の件で妥協した千紗の、精一杯の抵抗、自己主張だった。

 それにもかかわらず、何なのだ、あたしは。こんなに簡単に禁を破って。千紗は、ご馳走を前にして、なんだか気が緩んでしまった、いや、明らかに緩みすぎた自分を呪った。しかし、一人でひそかに呻吟する千紗になどお構いなしで、父と弟は議論を続けている。


「俺、牛肉がよかったなぁ。肉の王様って言ったら、やっぱり牛肉だもん」

「なーにを言うか。チキンこそ、肉類の王様だ」

「いや、お父さんが間違ってるよ。肉の王様っていったら、やっぱり牛肉だってば」

「なんだ、文句あるなら、お父さん一人で全部食べるぞ」

「食べるよ、それは食べるけどさあ」

 二人のやり取りを聞きながら、千紗はふと、そういえば、ローストチキンを食べるのは随分久しぶりだな、と思った。


 父親がまだ家にいたころ、権藤家では、ご馳走と言えばローストチキンだった。それは、子供の頃の数年間をアメリカで過ごした父の好物だったから、と言うのが大きい。そのせいか、ローストチキンだけは、必ず父が焼いた。


 内臓を抜いてきれいに洗った丸鶏に、塩コショウをしてバターを塗りつけ、我が家自慢のドイツ製のオーブンを使って焼き上げる。途中で何度か取り出して肉の焼きむらをチェックし、肉汁を皮に回しかけ、素晴らしい香りが部屋いっぱいに立ち込める頃に、黄金に焼き上がった肉がオーブンから現れた。


 しかし、焼き上がってすぐにナイフをいれてはいけない。肉汁が落ち着くまで少し休ませるのも、父のこだわりだった。それから、これまた父が、自分で研いだ包丁とキッチンバサミを使って肉を切り分け、めいめいの皿に盛り付ける。晴れの日の、権藤家の食卓風景だ。千紗は、ジューシーな肉とぱりぱりした皮の香ばしさの両方を味わえるローストチキンが大好きだった。


 特別な日だから、食卓にはワインのボトルがあって、普段は使わない小花模様のディナー皿がとても嬉しかった。千紗も伸行も、フォークとナイフを器用に使って、付け合わせのニンジンやジャガイモまで、夢中になって食べたものだ。そんな環境だったので、二人ともナイフとフォークの扱いはお手のものだ。


 まるであの頃のままに、ボーイからナイフを受け取った父親が自ら肉を切り分け、めいめいの取り皿に盛りつけた。それを受け取りながら、千紗は、ちょっとした懐かしさとともに、何とも言えない違和感を感じた。

 何かが違う。何かがとっても変だ。そうだ。以前なら必ずあったはずの母の笑顔が、今、ここにはない。目の前で父が鶏肉を切り分ける姿が見慣れたものである分、今ここに母がいないという事実は、重く千紗の心にのしかかった。


 千紗は突然、たまらないほどの懐かしさで、皆でローストチキンを食べたあの食卓を思い出していた。そして、今更ながら、家で、ひとり留守番をしている母を思った。お母さんは今、何を思いながら過ごしているんだろう。


 どうして、あの頃のままじゃいけなかったのだろう。何がいけなかったのだろう。どこで変わってしまったのだろう。自分がもっと良い子だったら、伸行と喧嘩しない良い子だったら、こんな事にはならなかったのだろうか。


 しかし、時は後戻り出来ないし、あちらには新しい命も増えるのだ。そんなことを考えれば考えるほど、千紗は胸が重く苦しくなり、その思いを払いのける様に、夢中で鶏肉を頬張った。久しぶりのローストチキンは、とても上手に焼けていたにもかかわらず、おがくずのように胸につまり、千紗は必死の形相でひたすら飲み込むばかりであった。



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