面会は面倒 その4
父親が二人を連れていったのは、電車で二つばかり行った先の、小奇麗なイタリアンレストランだった。店に入ると、にんにくの香ばしい香りが、たちまち千紗たちを取り囲んだ。厨房に続くカウンターに、美しく盛り付けられた前菜が並んでいる。それら一つ一つを眺めていたら、あんなにたくさん朝食を食べてきたにもかかわらず、千紗のお腹が、ぐうっと鳴った。
「なんでも好きなものを、遠慮なく頼めよ。ここの料理はどれも美味いんだ。二人とも育ち盛りなんだから、たくさん食べられるだろ。のぶなんか、先月よりもまた背が伸びた感じだぞ」
席に着くなり、父親が言った。
「そう言えば俺、四月から三センチも背が伸びてたんだよ」
「ほんとか、それじゃお父さんを追い越す日も、そんなに遠くないな」
「たぶん、中学の間には追い越すんじゃない」
「そんなに早くに。まいったなぁ」
父は頭に手をやった。そんな二人のやり取りを、千紗は黙って横目で見ている。なんだか、安っぽいドラマのワンシーンみたいだ。
「千紗も、ずいぶん背が伸びたな」
しんと黙っている千紗に、父が話しかけた。
「姉ちゃんは、縦じゃなくて横にだろ」
伸行が茶々を入れる。
「うるさいな。余計なこと言ってないで、早く決めな」
千紗は、メニューで顔を隠しながら、隣の弟を睨みつけた。
「おお、こわ・・・」
伸行は、大袈裟に肩をちぢめて見せてから、メニューを眺めはじめた。
「横になんて、伸びてないさ。顔が小さくなったよ。そういうバランスになったんだな。それに、随分お姉さんらしくなったさ」
千紗はメニューから目を離さないまま、少し肩をすくめて見せた。
「千紗は今年、何年生になったんだい」
「中三」
「そうか。じゃあ、今年は二人とも受験ってことか」
父が、しみじみとそういうのを聞いて、千紗は驚いて一瞬父の顔を見た。はぁ? 何をとぼけたことを言ってるんだ、この人は。だから今年は、春期講習だのなんだの、例年よりお金がかかっているのに。もう自分の子供の学年も、おぼつかなくなっているのだろうか。だとしたら、あたしの春期講習のお金は、何のお金だと思って出したのだろう? それとも、あれは、母が一人で負担していたのだろうか。
それにしても、と、千紗は思った。今日、この人はあの話しをするだろうか。あの、あたしと伸行の下に兄弟が生れるとか言う話を。千紗は、その話が怖かった。その話をされることが、何より怖かった。
千紗が再び黙り込むと、その空気につられるように、三人のテーブルに重い沈黙が下りてきた。
「お姉ちゃん、何にする?」
しばらくたって沈黙を破ったのは、伸行だ。
「う~ん、パスタにしようかなぁ・・・」
千紗は、今にも破裂しそうなガスタンクから注意深くガスを抜くように、用心しながら声を出した。
「俺は、ピザが食べたい」
「だったらこっちのランチのコースはどうだ? 前菜かスープにサラダ、それにパスタかピザから好きなものを選べるぞ。デザートもついてる。もうこれくらいは食べられるだろ、千紗だって」
父が機嫌を取るような声を出した。
「これくらいどころか!」
ここぞとばかりに、伸行が叫んだ。
「今のお姉ちゃんがどれくらい食べるか、お父さん知ったらびっくりするよ」
千紗が、(いい加減、口を閉じろよ)という意味を込めて、ぎろりとひと睨みしたが、そんな視線など、伸行はお構いなしだ。
「土曜の昼とかさ、焼きそばなんか山盛り二杯食べてもまだ足りないって、さらにその上にパン食べんだよ。それも厚切りのやつを二枚とか平気で食べるよ」
「へぇ。千紗は小さい頃、食が細かったのに、驚きだな」
「そうなの? そんな時代があったなんて、俺にはとても信じられないけど。だって今は、山姥みたいに食うもん。俺の朝ご飯のパンまで、横取りして食べちゃうんだよ。それで『ごめん』も『ありがとう』も言わないんだ。ひどいもんだよ」
「最近は取ってないでしょ」
千紗が静かに訂正したが、構わず伸行は言葉を続けた。
「けど、この間は痩せたいとか言って、ダイエットしようとしたんだよ。それでさ・・・」
「ちょっと、いい加減にしてよね」
弟を睨みつけながら、千紗は、怒りより戸惑いを感じている。こういうはしゃぎ方は、伸行らしくないからだ。毎度毎度、食卓で千紗が振りまく、騒がしくも明るい空気を、むっつりと黙ることで台無しにしようとするのが、伸行ってもんなのに。柄にもなく、場の空気を明るく和ませようと努力しているらしい弟を見て、特大の仏頂面で、思いっきり黙り込むこともできない千紗だ。




