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小説

春にして君を想う

作者: 永井晴


大きな公園を歩いていました。時間の止まったような昼下がりです。黄緑の日差しが柔らかく溶けています。その景色はまるでしんみりと酔った時のようでした。私はいま逆上(のぼ)せているのです。ただ春にやられているのです。

辺りは閑散として、真っ白な雪道を歩くときのように、一挙一動が音となりました。そしてその度、少しの静寂を聞くのです。


私はしがない病人でした。もう助からぬ病の身でした。しかしその為に、ただ通り過ぎるだけの風は、春を知らせるささやか美辞でありました。

「……あなた……あなた!!」

後ろから声がしました。

「はあ、はあ、随分と、探しましたよ……しっかりと、お休みにならないと、」

妻でした。急いで後を追ってきたのでしょうが、私は振り返らずに、ただ……

「少し、歩きましょう」

そう言いました。妻は少し閉口といった様子でした。苦し紛れな微笑みを探すのには、時間がかかったようでした。我々はある種の覚悟を胸に、そっと歩き始めました。私には、段々と彼女の表情がほどけてゆくのが分かりました。

我々の足取りはひどくゆっくりでした。

「まだ蕾も小さいですね」

妻は桜の木を見て、そう言いました。しかしさほど残念そうには聞こえず、むしろ花弁よりもこの蕾を見ていたいというふうでした。

「まだ少し寒いですから。しかし、今日は何だか空がきれいです。ほら、パステルで塗ったみたいにこんなに優しい、」

二人は大きな裸木の間を見上げていました。全てを失ったかに見える木々の腕に、あの小さな蕾たちがどれほど輝いて見えるか、我々には痛いほどわかる気がするのです。また、ずっと遠く、公園の入口の方に一組の母子がありました。甲高い一声が、公園中をかけていました。

「僕らもいつか子供を育ててるのかな」

私は零れそうな微笑みをもって言いました。けれどもただ虚しさが残って、すぐに反省しました。病人というのはつい、そういう類の罪人となってしまうものです。横を見ると、彼女の頬が(きら)めいています。妻は少なからぬ化粧をしていました。その崩れもない形相が、刹那に私の覚悟を決定的なものに至らせました。そして気づくと私は素直さに還っていたのです。

「君、綺麗だよ」

そう呟きました。今度は何の余裕もなく、緩やかな時間を打破するような、少し突っ張った声で言いました。またそして、私は物々しい咳をしました。それは妻の咄嗟の心配の中に、儚く消える響きなのでした。



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