92 閑話 パルミジャーノ・レッジャーノ
本編に関係のないモブキャラの話です。
魔物でごった返す、昼前のユーカリプタスの城下町。
石畳の上を歩いているのは、異国の装束に身を包んだ二人の猫科の獣人。
雌の獣人は、背の高い長毛種でオッドアイの白毛。そして雄の獣人は、背が低く尻尾の短い短毛種の黒毛。
ユーカリプタスには本来いないはずの亜人だが、二人を訝しがる魔物はいない。
なぜなら、どこでもゲートが設置されて以来他国から観光客が来るのは珍しくなくなったからだ。
「モクレン、昼飯はどうするよ?俺ぁ広場の屋台でもいいぜ」
モクレンと呼ばれた白毛の獣人は、黒毛の猫の提案に露骨に顔を顰めて顎の毛を撫でる。
「いやよヤグルマ、毛が短いあんたはいいけどあたしは屋台でご飯を食べると毛がベトベトになるの」
ヤグルマと呼ばれた黒毛の獣人は、先日屋台でミートパイを食べたモクレンの自慢の毛が悲惨なことになったことを思い出して納得する。
確かにあの日は、機嫌を損ねたモクレンの毛繕いに時間がかかってしまって予定通りに街を回れなかった。
しかし慣れぬ土地でレストランに入り、自分たちの舌に合う料理に出会えるかは博打だ。
他の獣人たちが並んでいる店を探せばハズレの可能性も少ないかもしれないと辺りを見渡すと、何やら亜人の混じった魔物だかりが目に入る。
昼前に混んでいるということは飯屋に違いない、あの人数を見るにさぞかし人気のある店なのだろうとヤグルマが魔物混みに身体を滑り込ませると、そこには予想外の光景が広がっていた。
「なんでい。飯屋じゃねぇのか」
「あら。ここは噂の月下美人歌劇団の劇場じゃない」
わくわくして覗き込んだ先が飯屋ではなかったことにヤグルマが肩を落としていると、隣にきたモクレンがやや興奮気味に高い声を上げた。
劇場というと水木の国の住民であるヤグルマたちに馴染みがあるのは木の温かみのある傾奇座だが、ユーカリプタスの劇場は外観からまるで違う。
質のいい透明で大きな硝子が張り巡らされているおかげでロビーの様子が外からでも見られるが、内装は宮殿のような高級感がある。
そこら中に貼ってある役者の姿絵はキラキラした所謂二枚目の男が全面に押し出されていて、なよなよしていて弱そうな印象を受けた。
「ねぇ、あんた傾奇好きでしょ。あたしもこの劇場気になっていたし、中に食事処もあるみたいだから今日はここに入りましょうよ」
特にこどわりのなかったヤグルマは、モクレンの提案を二つ返事で受け入れる。
しかし、異国の演劇が傾奇に通って目の肥えた自分たちを満足させてくれるだろうか。
お手並み拝見といこうかと、ヤグルマはいけすかない二枚目の男の姿絵を睨みながら、劇場へ足を踏み入れたのだった。
「とっっっっっても素敵だったわね……!」
残り僅かだったチケットを無事に購入して昼飯のために劇場内の食事処を覗いた二人だったが、魅力的な店が多すぎて決めきれなかった。
そのため昼飯はサンドイッチやスコーンなどの軽食が置いてある店に入り、演劇を見終わった今は夕方になったので酒類も楽しめる店へと入った。
真っ白なテーブルクロスが敷いてあるその店はまるで貴族が食事をする場所のようで、戦々恐々しながらヤグルマは席へついたのだが、メニューを見てみると高価なコース料理ももちろんあるもののお手頃価格なセットメニューやアラカルトもあった。
周りを見てみると様々な種族の魔物だけでなく亜人、さらには悪魔と思しき者もおり、皆口々に先ほどの演目について語り合っている。
この劇場が建てられて最初の公演であるこけら落としの内容は、ユーカリプタスの建国記であった。
「主演の魔王様役の方、優雅で素敵だったわ。ちなみに月下美人歌劇団は女性だけで構成されているけれど、ユーカリプタスの魔王様は男性なんですって」
そう、月下美人歌劇団が女性だけの劇団だと聞いて、ヤグルマは最初鼻で嗤った。
傾奇の真似事をすれば人気が出るだろうと、安易な考えを抱いた劇団だと思ったのだ。
水木の国に獣人が移住してから始まり、ずっと伝統を守り続けている傾奇に付け焼き刃の劇団が勝てるはずもない。そう、考えていたのに。
「史実を舞台に映えるよう脚色しながらも違和感のない脚本で、演出も煌めく紙吹雪が勢いよく吹き出す派手なものから絶望を表す時の繊細なものまで、魔法だけではなく魔道具が駆使されていて非常に多彩だった。何より魔王様役の役者、淑女の振る舞いをする男性の魔王を女性が演じるという複雑な状況にも関わらず、人を惹き込む演技がうますぎて気付けばあの役者が女性だという事実を忘れてしまっていた。あと音楽も……」
「はいはい。ヤグルマあんた、傾奇見た直後みたいな早口になっているわよ。お気に召したようでよかったけど」
モクレンはやたらと長い名前のチーズを肴に、ほんのり頬を赤くしながら白ワインをぐびりと飲む。
ヤグルマは、自分が演劇に五月蝿いので他国の歌劇などに心を動かされないと思っていた。
しかし、目が肥えているからこそ気付いてしまった。この国の劇団が、並々ならぬ拘りを持って歌劇に取り組んでいることを。
水木の国とユーカリプタスの間に交流がなければ、触れることのなかった文化。
それがこんなにも自分の心を掻き乱していることが、とても不思議で、幸福なことだと感じる。
「なぁモクレン、次の公演も一緒に行かねぇかい」
「もちろんよ。ところで、目の前の仕立て屋に公演で使われていたものと似た貸衣装が置かれていて、その服で姿絵を残してくれるらしいんだけど今から行ってみない?」
あわよくば、次も、その次の公演もこうして見に行って笑えますように。
幸せを噛み締めながら、ヤグルマはモクレンの提案に喜んで頷いたのだった。




