90 千本桜
頭と背中がとにかく重い。それが、ダチュラが懸命に着飾ってくれたドレスの感想だった。
髪にはお団子の形をしたつけ毛と共に何本も簪という髪飾りを挿され、浴衣よりも分厚い生地で桜の柄をした着物を着せられ、腹回りはコルセットよりは苦しくないものの何枚もタオルを巻かれた後に豪華な刺繍の入った帯をきつく巻かれた。仕上げに足元がぐらぐらして歩きにくい、下駄という履物を履かされる。
旅館に宿泊して一夜明けた本日、傾奇という大衆演劇を観に行くことになりダチュラが張り切った結果がこれだ。
「ダチュラ、この煌びやかな服は女性用じゃないの?」
「今日の観光は大衆演劇なので問題ありませんわお母様。お美しいですわ……!」
目を輝かせるダチュラに促されて全身鏡を見てみると、そこにはまるで女性のような姿の自分が映っていた。
男性である私は、女性になりたいわけではない。ないのだが、女性が社交界でよく着るフリルやレースのついたドレスには憧れがあった。
しかし、そういったドレスは男性である自分には似合わないので諦めるべきだ。今までは、そう思っていたのだが。
水木の国の民族衣装である着物というドレスは、露出が少ないせいか女性用の物を男性の私が着ても不思議と違和感がない。
恐る恐る下駄で歩いてみると、カランコロンと小気味よい音が響き、その度頭に挿してある藤の花の簪が揺れて楽しげだ。
「仕度は終わったでござるか?」
旅館のロビーへ降りると、珍しく着飾ったカガチが出迎えてくれた。
普段は黒い着物を着ることが多い彼だが、今日は炎の柄の刺繍が入った白の着物を着ていて、インナーに赤い差し色が入っている。
狐を模したお面までつけていることから、炎の刺繍は狐火をイメージしているのだろうか。
「珍しくオシャレしているわね、カガチ」
「所謂演目コーデですな。夜の部の演目に出てくる狐をモチーフにしたのでござるよ」
なるほど、水木の国では自分が観劇へ行く演目に合わせてコーディネートを楽しむ文化があるらしい。
ユーカリプタスでも今後大衆演劇を上演するに当たって、劇場の近くに仕立て屋を作り、ショーケースで演目に合わせたドレスを飾れば盛り上がるかもしれない。
履き慣れない下駄が歩きにくいので、カガチにエスコートされながら馬車――いや、馬がついていないので車というのだったか。カガチの発明品である不思議な魔道具へと乗り込む。
馬車と違って揺れないので快適に過ごしながら劇場へ向かい、車から降りた私は思わず感嘆の声を上げた。
そこには水木の国に住む獣人たちが、私やカガチと同じように着飾った姿でごった返していた。
着物を着せられた時は派手すぎないかと心配していたが、他の獣人たちも華やかな服を着ているので劇場へ着いてみればまったく気にならない。
劇場内へ入ると吹き抜けのあるロビーには食事処やお土産を売っている店が並び、私たちは二階にある個室へと向かう。
座席に座って劇場内をぐるりと見渡すと、一階部分は桝形に区切られた畳が広がっていた。平土間と呼ばれるその席の両サイドには一段高い桟敷という席が設けられ、舞台から一番遠い三階席、私たちが座っている二階の個室と席によって料金が変わるらしい。
「これがパンフレットでござる。昼の部は灯篭切花街酔醒、夜の部が苧環千本桜という演目なので始まる前に目を通してあらずじを頭に入れておいてほしいのであります」
「前世の歌舞伎で聞いたことありそうな演目名ですけれど、カガチ様まさか……」
「誓ってパクってないでござる!そもそも拙者は日本の歌舞伎に明るくないですし。不思議なことにこちらの世界で流行っている傾奇の演目が、偶然あちらの世界の物に似通った話なのですよ」
どうやら、今日観劇する演目がダチュラたちの世界で演じられていた話の内容と似ているらしい。
ダチュラたち以外にも異世界から来た人間がいて、その人物が傾奇に詳しい者だったのだろうか。それとも、ただの偶然か。不思議なこともあるものだ。
パンフレットを読んでみると、昼の部の演目は花魁と呼ばれる遊女を題材にしたものらしい。
私が着ている着物もどうやらこの花魁をモチーフにしているらしく、知らぬ間に私も演目コーデとやらをさせられていたようだ。
夜の部の演目名に桜が入っていることから、今の季節が秋なのに春に咲く桜の柄の着物を着せられたことにも合点がいった。
そして、演者の名前に目を通して私はある事実に気付く。
「この演目って、男性しか出ていないわよね。花魁役も男性ということ?」
「傾奇はほとんどの演目が男性のみで演じられているのですぞ。起源には女性が関わっていたのですが、色々あって今は成人男性が演じる形に落ち着いているのでござる」
パンフレットに描いてある花魁の絵は、どう見ても女性にしか見えない。
成人男性がどのようにこの役を演じるのだろうと、私は観劇に心を踊らせるのだった。
義経千本桜と籠鶴瓶花街酔醒は私の大好きな演目です。




