86 キャンディ・ハウス
今日から数日間、魔王の講義は休講することになった。視察に行かなければならない場所がいくつか出てきていたので、そちらの業務を優先することになったのだ。
今回訪れたのはシルベストリス魔王国で、アネモネの教会の改修工事が終わったため責任者である私が出来を確認することになった。
随伴するのはコリウスとダチュラで、ダチュラは昼食用にしてはかなり大きいバスケットを両手に抱えている。いったい何が入っているのか気になるが、聞いてみても笑顔ではぐらかされてしまう。
「ママ見て!お姉ちゃんの教会すっごくかわいい!」
空を飛んでいるコリウスの声に促され、ゲートを抜けて教会を見上げるとそこには夏に見た古びた教会とは見違えた姿があった。
塗装が剝げて色あせてしまっていた屋根はアネモネの髪と同じ桃色に塗り直され、黒カビやコケが生えてしまっていた外壁の煉瓦も真っ白になっていた。
壁を這っていた蔦植物は取り除かれて、教会の横へ新たに作られた花壇には色とりどりのコスモスが咲いている。
アネモネと同じ名前の花の苗も植えてあるようなので、春になるとそちらが目を楽しませてくれるだろう。
「ミオいらっしゃい、どうぞ中も見て行って!」
笑顔で私たちを出迎えてくれたアネモネに手を引かれて聖堂へと足を踏み入れた私は、目に入ってきた光景にぎょっとした。
以前来た時目にした色鮮やかなバラ窓は新しくなり、祈る聖女をモチーフにした大きなステンドグラスもアネモネをモデルにしたものに差し替えられている。
そのクオリティの高さにも確かに驚いたが、私が困惑している原因は別だ。
「おや、そっちの魔王様が元人間の男かな。はじめまして」
「へぇ。お肌きれいねぇ」
聖堂の中に、アネモネ以外の悪魔がいるのだ。それに悪魔だけではない。あちらこちらに浮かんでいた精霊たちも、コリウスの周りに集まってきた。
どうやら、教会が明るく清潔になったことで精霊たちのお気に入りスポットになっているようだ。
「教会が新しくなって暮らしやすくなったせいで、精霊たちはまだしも寝床がない悪魔たちも勝手に入ってきて寛ぐようになっちゃったの。仕方がないから、あたしの指示に従う条件でこの聖堂だけ使わせてあげることにしたんだけど」
「アネモネ、うちそろそろお腹空いたぁ」
「だめだよ、アネモネは料理なんてできないんだからおねだりするだけ無駄だよ」
「この通り全然敬う気配がないのよね!」
アネモネに話しかけてきた二人の悪魔の態度にぷりぷりと怒りを露にしているが、アネモネが本気で怒っているのならば彼らが無事でいるはずがない。
初めてできた臣下のような存在に、彼女も絆されているのだろうと察して思わず笑みがこぼれた。
「はじめまして。私は大陸の中央にあるユーカリプタス魔王国の魔王、ミオソティスよ」
「挨拶きれいすぎてやば、お姫様みたい!うちはベラドンナだよぉ」
アネモネの髪色より濃い華やかなローズピンク色の巻き毛をひとつに結っており青い肌で垂れ目の少女は、べラドンナという名前らしい。
ダチュラが以前アネモネにあげた黒いフリルのドレスを着ているが、アネモネから借りたのだろうか。
よく似合っているし、今日は白いフリルのドレスを着ているアネモネと並ぶと顔は似ていないが対になっていてまるで姉妹のように見える。
耳にたくさんピアスを開けているのでピアスが好きなのだろうかと眺めていたら、喋った時に舌にもピアスが開いているのが見えた。彼女はよほどピアスが好きなようだ。
「僕の名前はジギタリス。ミオソティス様、不躾だけどユーカリプタスに転職させてくれないかな?アネモネは悪魔遣いが荒くて……」
「残念でした。ミオにはもう仕事ができる部下がたくさんいるから、あんたみたいな陰険悪魔なんてお呼びじゃないのよ!」
ジギタリスと名乗ったもう一人の悪魔は、ピオニーと並ぶほどの長身だが骨と皮だけと言ってもいいくらいの細身で、ひょろひょろとした蜥蜴のような印象を受ける青年だ。
彼がけらけらと笑うと、夜空のような濃い褐色肌に白い歯が三日月のように浮かぶ。
目元は長い紺色の前髪で隠れていて表情が読めず、先ほどの転職の提案も本気か冗談かわからなくて戸惑ってしまった。
アネモネの反応から察するに、おそらく冗談だったようだが。
「お母様、アネモネ様の臣下の方々も空腹のようですし食堂の改修の確認も兼ねて昼食に致しませんこと?新しくなったキッチンの確認もかねて、私が用意しますわ」
「まじ?うちもミオ様のところに就職してぇ」
「やった。アネモネがいつもおいしいご飯食べて帰ってくるの僕羨ましかったんだよね。ご相反にあずかります」
「あんたたちも準備手伝いなさいよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が、聖堂に響き渡る。初めてこの教会に来た時に寂しさを感じたのが嘘のような賑やかさだ。
憎まれ口を叩いているものの、おそらくアネモネも同じ気持ちだろう。
この広い教会に彼女がひとりぼっちではなくなったことを嬉しく思いながら、私たちは随分と明るくなった聖堂を後にしたのだった。




