84 バウムクーヘン
カガチの語りを聞いて真っ先に抱いたのは、萌えとは何だろうという感想だった。詳しく聞こうにも、カガチにこの手の類の話題を振ると長丁場になるのが見えている。
仕方がないので後でダチュラへそれとなく聞くことにしよう。私は話の途中で戸棚から出したバウムクーヘンを口へ運び、コーヒーを啜った。
私は魔王になった時、処刑の際に集まっていた人々の怒りや憎しみを集めた賢者の石の力で蘇った。ガランは、彼に不意打ちをした火竜への怒りが原因で魔王になった。アネモネは自分で実験していた聖女への憎しみで魔王になった。
しかし目の前の男は、怒りや憎しみ、悲しみではなく世の中の創作物への執着で魔王になったらしい。そんなことあり得るのだろうか。いや、実際目の前にいるのだからあるのだろうが。
そういえば、ダチュラがカガチのことをニジゲンしか愛せない男だと言っていた。創作物の登場人物に本気で恋ができるのならば、殺してやりたいくらい人を憎む感情と同じくらいの執着も生まれるということか。
世の中には私の理解の及ばないことがまだまだあるのだなぁと己の未熟さを実感する。
「つらい過去を思い出させてしまったわね。話してくれてありがとう」
「いえいえ、拙者だけミオ氏のことを知っているのも不公平ですからなぁ。それにあの時はむしろ解放感に包まれていたので、そうつらい記憶でもないですぞ。姫に片思いをしていたとかならつらかったでしょうが、姫はお姉さん系ではなく正統派守られ系ヒロインでしたので……」
ソファに置いてあるグリフォンのクッションを抱きかかえながら口を尖らせているカガチの様子を見ると、無理をして明るく振舞っているわけではなさそうで安堵する。
ついこの前死んだばかりの私ですら、処刑された時のことは既に思い出してもつらくならないし、カガチは百年も経っているので当然といえば当然なのかもしれない。
ただ話す前の嫌そうな顔を考えると、まったく気にしていないわけでもないのだろうが。
「魔王になったカガチは、そのまま鬼ヶ島の跡地に水木の国を作ったのね。いくら時間があったとはいえ一人で城や町を作り出したのはすごいと思っていたけど、もしかして建造物も魔王の力で作ったの?」
「そうですぞ。材料さえ集めてしまえば、卵を目玉焼きにした時のように魔法で家を建てられるので。具体的なイメージが必要になるので一気には作れませんが……錬金術関連の漫画を読んで先入観を得ていたからこそできることなので、昔の自分に感謝ですなぁ」
何度聞いても不思議な力だ。カガチのように想像するだけで物を作れる力に比べると私の魔王の力は大したことのないように思えるが、カガチにとっては死者を蘇らせる力の方が信じられないらしい。
なんでも、カガチの読んでいた創作物では一度失われた命はどんな犠牲を払っても蘇らないことが多く、そのイメージが染み込んでしまっているようた。
よく考えればこちらの世界の常識でも同じはずだが、私の倫理観が少し歪んでいるのかもしれない。
「ガランたちが魔王の力の真実に気付いたらどんな力に目覚めるかしら」
「いや、ガランサス殿は無意識に魔王の力を使っておりますよ。そもそも竜人族でもないのに竜人の姿にドラゴンが変身出来るはずはないのですが、ガランサス殿は千年も生きていればそういうこともあるだろうくらいにしか思っていないのであります」
なるほど、確かにガランは理論的に考えがちな私たちと違って直感で力を使っていそうだ。
しかしそうなると、アネモネはどうなのだろう。
「アネモネたそは自由に生きているので、そもそも魔王の力を必要なシーンが少ないのです。シルベストリス魔王国に攻めてくるエルフたちを返り討ちにする時も、膨大な魔力をそのままぶつけるだけで勝ててしまいますし」
そう言われれば、ガランは氷山に住むドラゴンたちを統括しているため彼らのために能力を使う必要があるが、アネモネは自分の国に住んでいる悪魔や精霊たちの数を把握しているわけではないと言っていた。
当然彼らのために力を使うこともないのだろう。逆を言えば、彼らから頼られることもないのだろうが。
「アネモネが魔王の力のことを知ったら……」
「想像もしたくないですな……」
ガランが魔王の力のことを知っても、彼ならうまく活用するだろう。
問題は彼の力が今以上に強大になると、私たちの力との差が開きすぎて万が一敵対した時に対抗出来なくなることだけだ。
しかし、アネモネが力を得たら面白がって手当り次第に力を使う未来しか見えない。
もちろんそれで彼女にしか使えない力の発見もあるだろうが、あまりにリスクが大きすぎる。
「二人に隠し事をするのは申し訳ないけれど、仕方ないわね」
「おわかりいただけましたか」
おそらく魔王の力を自分が発見していたならば、彼らに包み隠さず話していただろう。
しかしカガチが教えてくれた情報なので、二人に話すかどうかの選択権は彼にあるはずだ。
ガランとアネモネなら悪用しないだろうと信頼したいところだが、そうもいかないのも理解できる。
納得しながらバウムクーヘンを咀嚼していると、ふと嫌な考えが過ぎった。
ガランやアネモネ、カガチは個性的だが幸運にも人格者だ。
しかし、もし本当に世界征服を企むような野心の強い者が魔王になり、魔王の力に気付けばどうなってしまうのだろう。
一度浮かんでしまった不安が、ざわりと私の心を撫でつける。
口の中に残った砂糖のシャリシャリとした咀嚼音が、今日はなぜだかとても耳障りに感じた。
カガチ関連の話は一旦終わりです。




