08 朝が終わる前の花
本来はこの次の話までを同じ話としてまとめるつもりでしたが、予想外に長くなったので2話に分けます。
研究室内の数少ない窓の外からは僅かに柔らかい朝日が差し、まだ城内では使用人だけが慌ただしく駆け回る早朝。
私は、震える手のひらの中におさまる赤い石の指輪の輝きを見て会心の笑みを浮かべた。
「できた……!」
ここまで来るのにどれほどの苦難を乗り越えてきただろう。
ぼんやりと思い描いていた賢者の石の具体的な構想が掴めたあの日から、少しでも思いつくアイデアがあれば実験をし、問題がなさそうなら試作してみて、改良をしての繰り返しの日々。
これならば申し分ない出来だと胸を張れる物が出来上がった瞬間、すぐにでもシオン王子の元へ持って行きたい気持ちを抑えながら魔道具で前触れの手紙を飛ばした。
今までに作成した試作品を誤作動しないよう魔封じの箱に入れて鍵をかけ、散らかった研究室を片付け始める。
完成した指輪はケースを用意することを失念していたので、ハンカチを折り畳んでその上に置きリングピロー代わりにした。
本来なら殿下から返事の手紙が届き次第命じられた時間に私が赴くのが一般的だが、彼の性格上手紙を読んだらすぐに支度をしてこちらへ向かってくるだろう。
ふとフラスコに映った私の髪が乱れていることに気付き、慌てて手鏡を出して手櫛で整える。顔を軽く洗ってあの日購入した勿忘草の香水を足元に振りかけ、香りを吸い込んで昂る気持ちを落ち着かせた。
夜更かしを続けたせいで目の下のクマも酷いし肌もボロボロなので、できれば身綺麗にして仮眠をしてからお会いしたいところだが。
「ミオ!賢者の石が完成したというのは本当か!?」
そんな時間はもちろんなく、ノックの音と同時にシオン王子の手によって研究室の扉が勢いよく開け放たれた。
はやる気持ちを抑えきれなくて思わず早朝に手紙を飛ばしてしまったが、身支度を整えてからにした方が良かったかもしれないと苦笑する。
側近に声が大きいことを嗜められて、肩を竦ませながら殿下が私に近づいてきた。指輪を渡すと、彼は好奇心を隠さずに紫の瞳を輝かせながら観察している。
「殿下。私は戦争の被害を抑えるためには、戦争自体を起こさなければいいと考えました。
そして、この賢者の石には負の感情を吸収する機能が搭載されています」
「え?戦争を……負の感情?」
それまでおもちゃを与えられた子供のような表情を浮かべていた殿下の顔に、混乱の色が浮かぶ。どうも思いがけない情報の処理に頭が追いついていないらしい。
私は少しでも高鳴る鼓動を抑えようと深呼吸をしてから徐に解説をはじめる。
「モンステラの国王に賢者の石だと伝えた上でこの指輪を贈るのです。
そうすれば、国王の負の感情、つまり怒りや悲しみや憎しみをこの指輪が吸収してくれるはずです。
負の感情がなくなれば自然と人に優しくしたい気持ちが芽生え、皇太子妃であるアスタ様の故郷に戦争を仕掛けようという気持ちは薄れるでしょう。
指輪の台座は浄化作用のあるユニコーンの角で作成し、人の生命力や感情を吸収して魔力に変えるトレントの樹皮で付与魔法をかけました。
その際に、生命力や他の感情には作用しないように調整をしてあります。
トレントの樹皮の効果で人の身体から吸収した負の感情をユニコーンの角が浄化して魔力に変え、一度石の部分に蓄えてから徐々に魔素として空気中に放出される仕組みになっています。
赤い石は宝石では魔力に耐えられなくなる可能性があったので、魔物の核、試作品ではスライムの核でも成功しましたが完成品ではどんな魔力にも耐えられるようにドラゴンの魔石を使用しました」
なるべく平静を装って説明したつもりだったが、興奮を抑えきれずに少し早口になってしまったことを反省する。
研究者にはありがちな失態だが、自分は今までどんなに素晴らしい研究成果を上げてもここまで感情を昂らせたことはなかった。
それだけ、今回の発明が異例なのだ。人の感情を吸収して魔力に変える魔道具など少なくとも私は聞いたことがない。
この賢者の石は間違いなく歴史を変えることになるだろう。
シオン王子の反応が気になって様子をちらりと伺うと、予想に反して放心状態になっていることに気が付いた。驚きのあまり我を忘れているというよりは、恐ろしいものを見てしまった時のような──
「殿下?お気に召さないようであれば別の案をまた考えますが……」
この賢者の石こそが私の今までの研究の集大成だと胸を張って言える。
正直気に入らないと言われてもこれ以上の物を作れる気はしないのだが、殿下の期待と違ったのだろうかと念の為提案をする。
彼はハッとしてこちらへ視線を戻した後に、珍しくあからさまに狼狽して辿々しく返事をした。
「あぁ、いや……想定していたよりも君が優秀で驚いただけだ」
おかしい。普段は道化を演じていても常に冷静沈着、泰然自若な殿下がここまで取り乱すなんて。それに殿下の望みを叶える発明をしたはずなのに全く嬉しそうに見えない。
頭を抱える殿下を訝しがっていると、観念したように彼はため息を吐いた。
「すまない、ミオ。俺が君を騙そうとしたのが悪かったな……最初から正直に言うべきだった」
騙すとはどういうことだろうか。自慢ではないが、私はこれまでの人生で人の悪意に晒され慣れている。
そのせいかどんなに相手が隠そうとしても自分に危害を加えようとするような感情には敏感になっていて、そう簡単に人に騙されなくなった。
殿下の依頼を受けたのは、機密を知ってしまったせいもあるが彼から邪な感情をほとんど感じなかったからだ。
てっきり賢者の石を見せれば大喜びしてもらえると思ったのになぜか重苦しい空気になってしまって戸惑っていると、シオン王子は紫色の瞳を真っ直ぐ私に向けて頭を下げる。
「ミオソティス、改めて依頼したい。君には、俺が戦争で戦果を上げられるように兵器を作ってほしい」
そして私が絶対に聞きたくない、信じられない言葉をその口から紡いだのだった。




