74 閑話 Monster in my head
魔王についての講義の時間となったので貴賓室から茶菓子の残骸と食器類を下げ、ミオソティス様たちを見送って扉を閉める。
講義中我々は待機も兼ねて休憩をとるようにと仰せつかったので、自分たちの分のティーセットを用意して貴賓室の隣の部屋へと入り、そして――叫んだ。
「ミオソティス様に近付きすぎだろあの氷トカゲ野郎っっっ!」
「クレマチスったら、元貴族令息とは思えない言葉遣いですわねぇ」
鬱屈した思いを飲み込みきれずに思わず叫んでしまったが、こんなこともあろうかとこの待機室には錬金術によって強力な防音加工が施されている。過去にも何度か叫びかけたからだ。
呆れたダチュラに遠回しに嫌味を言われたが、むしろあの場で叫ばなかっただけでも褒めてほしい。
「香水の香りを確認したいというだけであんなに近付く必要があるか?あの野郎ミオソティス様の陶器のように白いうなじに鼻先を……くそっ俺も嗅いでみたい……!」
「流すのは血の涙か鼻血かどちらかにしてくださいまし。それよりピオニー、お母様とガランサス様ってお似合いだと思いませんこと?」
「む?そうだな……お二人とも竜種であるようだし、魔王同士ということで立場的にも釣り合いがとれるとは思うが」
淹れたての紅茶を懸命に冷ましているピオニーのカップに氷を入れてやりながら、ダチュラは反吐が出るような話題を口にする。
確かに、あの氷竜はミオソティス様の隣に並んでも遜色のない美貌を持っている上に、政略的にも申し分のない相手だ。ミオソティス様に何かあっても守り切れるだろうし、むしろ現状あの男以外の者にミオソティス様の伴侶は務まらないだろう。
しかしあの男がミオソティス様の隣に立つ度に、俺に向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべるのを見るとどうしても腸が煮え繰り返りそうになる。今ですらそうなのだから、万が一億が一にも二人が結ばれでもしたらと想像するだけでもゾッとする。
「しかし、立場的なことを言えばカガチ様でも問題ないのではないか?同じ魔王同士である上に、元人間で錬金術と錬丹術を嗜んでいるという共通点もあるようだし」
「はぁ?寝言は寝てからにしてくださいな!あのようなだらしのない万年引きニートに、高貴なお母様の相手が務まるとは思いませんわ」
ピオニーが突然身の毛のよだつ発言をしたので吐き気が倍増したが、ダチュラが即座に斬り捨てたので安堵した。ピオニーめ、あの烏のように陰気な男がミオソティス様の隣に立つなどと、仮定の話でも悍ましいのでやめてほしい。
そういえばあの男、まるでミオソティス様と至近距離で話をしたことがような言い方をしていたが水木の国で二人の間に何かあったのならばただではおかない。この俺ですら、ミオソティス様の香水を直で嗅げるほどの距離で話したことはないというのに。
「ママと誰が一緒になるかって話?アネモネお姉ちゃんはダメなの?」
「確かにアネモネ様は母上と大変仲が良いが、彼女はガランサス様に想いを寄せているので今のところ可能性は一番低いだろうな」
そしてコリウスがスコーンを貪りながらさらに恐ろしいことを口にしたので思わず頭ごなしに否定しそうになったが、ピオニーがうまく躱してくれた。
コリウスがいくら幼いからとはいえ、ピオニーもダチュラもよく怒らずにいられるものだといつも感心する。俺はコリウスがミオソティス様に無礼を働く度に、怒髪天を衝きそうになってしまうのだが。
「ふーん。ママは誰と一緒になりたいんだろうね。魔王になる前はシオンのことが好きだったんでしょ?」
「それは……」
コリウスの無邪気故の残酷な一言に、思わず俺たちは黙りこむ。
ミオソティス様は、生前はシオン王子に恋をしていた。それはシオンの傍で見ていた俺が一番よく知っている。そしておそらく、ミオソティス様は平気そうに振る舞っているものの、その時の心の傷が未だに癒えていない。
だからこそ、ダチュラは新しい恋で思い出を上書きさせたくてちょうど良い条件のガランサス様を宛てがおうとしているのだろう。
自分を殺した末にスライムとなったシオンに、ミオソティス様は親心ならともかく以前のような恋心はもう抱いていないはずだ。
しかし相変わらず大切な存在として扱っているらしいことは、石になったシオンを首にぶら下げた時のミオソティス様の優しげな表情で嫌というほどわかってしまう。
そいつはあなたを騙したのに。あなたの命を奪ったのに。今はもう何の役にも立たないスライムなのに。どうして慈しみの目を向けるのだろう。俺ならば、俺の方が、俺に、俺を――あなたがあいつを大切にする度に、醜い感情が胸に巣食ってゆく。
しかし、俺がそれを口にすることは許されない。あの日、俺はミオソティス様を救えなかったのだから。
「そうだな、誰を伴侶にするかを決めるのは母上だ。母上が誰を選んだとしても、私たちが祝福して差し上げよう」
「うん!」
コリウスの溌剌とした返事を聞いて我に返った俺は、素知らぬ顔をして空になったグラスにレモネードのおかわりを注いでやる。
「それはそうなのですけれど、天地がひっくり返ってカガチ様が選ばれるようなことがあれば私は素直にお祝いできる自信がありませんわ……いやでもお母様が幸せならば何が起きてもお祝いしませんと……!」
「ふん、そもそも誰も選ばれないかもしれないぞ。そうなったとしても俺たちがミオソティス様を支えればいいだけだがな」
むしろ未来永劫そうあってほしい。そんな願いを紅茶と一緒に飲み込んで、俺はカップを片付ける。魔王の講義が終わる時間までに、昼餐の準備をしなくては。
ミオソティス様もいずれは伴侶を選ぶことになるだろう。そうすればその者と一緒にいることが彼にとっての幸せで、誰よりも共に過ごす時間が一番長くなるはずだ。
でもそれまでは、今だけは。俺たちがミオソティス様の唯一の理解者で、彼に一番愛される者でありたい。そんな我儘を胸に、俺はミオソティス様のお役に立つため、自分の仕事へと戻るのだった。
クレマチス君ってガラン様に嫉妬してそうだよね、と以前指摘されたことがあるのですが、当然バチバチに嫉妬していますよというお話でした。




