69 むこう岸が視る夢
翌朝、さっそくカガチは烏の式神を数羽従えてユーカリプタスへやってきた。てっきりガランたちがやってくる昼前に来ると思っていたのに、予想より早い時間に訪問してきたので私は驚いた。
どこでもゲートを設置しに来るとは聞いていたが、もしかすると他に特別な用事でもあるのだろうかと不思議に思っていると、カガチが何やらもじもじと逡巡している。どうかしたのかと聞いてみると、ようやく重い口を開いた。
「あ、その、式神たちがゲートを設置している間に、もしよかったらミオ氏の研究室を見せてもらえませんかねぇ。いや、だめだったら全然断ってもらって構わないんですけど……」
どうやら、早朝に訪れたのはそれが目的だったらしい。
賢者の石に関するような極秘の資料は魔封箱で保管しているので、カガチの宝物も見せてもらったことだし断る理由もない。快諾すると、断ってもらって構わないと言っていた割に鈍色の瞳を輝かせて相好を崩した。
「その前に、ちょっと失礼致しますわね」
気を緩ませたカガチの背後にいつの間にか立っていたのか、ダチュラが彼の腕を力強く掴む。
「あなたまさか、こんな格好でお母様の目の前をうろつこうなどと考えていませんわよねぇ?」
カガチの整髪剤を使っている様子のないボサボサの頭から履き古した下駄のつま先までを眺めているダチュラは、笑顔ではあるが金色の瞳が笑っていない。
青ざめて悲鳴を上げながら引き摺られてゆくカガチを、私はただ見送ることしかできなかった。
ダチュラの手によって全身を整えられて戻ってきたカガチは、見違えるような姿になっていた。
ボサボサの髪は櫛を通していなかっただけで傷んでいるわけではなかったらしい、整髪料でウェット感を出しつつ高めの位置に緩いお団子を作ることで印象がガラリと変わった。
眉は太さを残しつつも形を整えられて、すっきりとした。目の下のクマはコンシーラーで消され、目の縁には隈取というらしい鮮やかな赤い線が引かれて華やかになっている。
服は変わっていないものの先ほどまで履いていた下駄がブーツに履き替えられ、これが意外とカガチの着ている東方の服にマッチしていた。
満足そうなダチュラと、化粧が慣れないのかしきりに顔を触って怒られているカガチを連れて、私は研究室へと向かうことにした。
今回は私の研究室なので、二人きりではなくダチュラがそのまま同行してくれることになった。
クレマチスがカガチのことをまだよく知らないため自ら監視をしたがっていたが、同じ出身であるダチュラの方が彼の警戒も解けるはずだと説得すると、渋々了解してくれた。
「おぉ、色々な魔道具がありますなぁ」
研究室に着くと私の許可を得たカガチが興味深そうに、研究室内に置いてある私の作った魔道具の観察を始める。
私にとってはカガチの部屋にあった魔道具の方が珍しいのだが、彼にとっては逆らしい。
時折感嘆の声を漏らしながら研究室を歩き回っていたカガチは、なぜか私が缶詰生活を送っていた時の日用品類を見て今までで一番の声を上げた。
「ミオ氏、この箱は何でありますか!」
「何って、普通の洗濯機だけど……」
どこにでも売っている、大して珍しくもない小型の洗濯機を眺めながら感動しているカガチに困惑していると、ダチュラが後ろで頷いている。
「あぁ、なるほど。確かにあちらの世界の常識で見ると不思議な仕組みですわよね」
「どういうこと?」
「私たちの住んでいた世界では、縦型とドラム式の洗濯機が主流ですの」
ダチュラの説明を聞いて、学生時代に錬金術史の授業で見た絵を思い出す。ドラム式というのはよくわからないが、縦型というと水属性の魔石をはめ込み水流を使って洗濯をする旧式の洗濯機のことだろうか。
確か発明当時は画期的だと持て囃されたが、別途で洗剤が必要になるし排水も大変だったらしい。
旧式の頃の名残で洗濯機と呼ばれているが、今の洗濯機は風で汚れを飛ばす仕組みになっているので水は全く使わない。
発明されたばかりの頃は風で本当に汚れがとれるのかと疑心暗鬼な人も多かったらしいが、使ってみるとむしろ水を使う洗濯機よりもきれいになったことから爆発的に普及したと聞いた。
「拙者たちのいた世界は魔法がなかったので、風を起こす機械をどう改良してもこのような代物は作れなかったでしょうなぁ」
「あら。イオンを使った除菌消臭の技術はありましたし、もしかしたら私たちのいなくなった後で似たような物も作られたかもしれませんわ」
「イオンで除菌って何……オカルト?」
カガチがダチュラとのジェネレーションギャップで困惑しているところを見るに、彼らのいた異世界でも二十年ほどの間に洗濯機の技術がかなり進歩していたようだが、それでもこちらの世界の洗濯機には及ばないらしい。
魔王を殺せる武器を作る技術は発達しているのに、風魔法を使ったただの洗濯機は作ることができないなんて魔法のない世界は不思議なものだ。
「私からしたら、カガチの使う式神という技術も不思議なのだけど。今は式神たちがゲートを組み立てているのよね?烏がどうやって部品を組み立てるの?」
「あぁ、組み立てる時は流石に人型にさせるのですぞ。このように」
カガチが懐から紙を一枚出したかと思うと、その紙が烏の姿になり、瞬く間に黒髪の美少女の姿へと変化し、そして再び紙へと戻った。
一連の流れを見て驚きのあまり固まってしまった私の隣で、ダチュラは「まるで陰陽師ですわね」とのほほんとカガチを褒め称えている。
これも異世界では常識なのだろうか。彼女たちの生きていた異世界の謎がますます深まるばかりだ。
「小動物の姿が一番コスパがいいので、普段は烏の姿の式神を各国に放って情報収集をしているのでござる。もっとも、この国に派遣していた烏はどこぞの誰かさんに羽を毟られてしまいましたが……ひっ、そんな目で見ないで!ごめんなさい!」
「覗き魔の分際で……プライバシーの侵害ですわよ!」
「各国に派遣しているということは、魔王国以外の国の動向も知っているの?」
カガチの前科が蒸し返されそうになっていたので慌てて仲裁に入りながら話題を逸らすと、彼が何かを思い出したようにポンと手を叩く。
「そうそう、お伝えするのをすっかり忘れておりましたな。もちろん人の国にもこっそり烏を忍ばせているのですが、先日モンステラがユーカリプタスへ斥候を送ろうとしている動きを式神が察知しまして」
カガチの口から飛び出してきた情報に、私は思わず青ざめる。我が国を元々狙っていたモンステラがいつか動くだろうとは思っていたが、こんなにも早いなんて。
私がよっぽど不安そうな表情をしていたらしい、慌てたカガチがさらに情報を付け加える。
「安心してくだされ、こちらで対処しておきましたので」
私を怯えさせてしまったことでダチュラに睨まれながら、カガチは経緯の説明を始める。
その内容に、私は注意深く耳を傾けたのだった。
モンステラの斥候の話をどうにか数行にまとめてこの話におさめようとしましたが、難しかったので次話に分けます。




