07 陽炎
予定外の買い物を終えた私は、香水瓶の入った袋を大事に抱えて城へと戻るための帰路に着く。店で過ごしている間に通り雨が降ったのか、石畳が濡れている。
今日はやたらと自分の名前の花に縁のある1日だったなと、花売りの少女と雑貨店の店主の笑顔を思い浮かべた。
「戦争が始まったら、あの店も閉まってしまうのね」
それだけではない。広場にいた少女も花を売るどころではなくなってしまうので生計が立てられなくなるし、屋台を出せる店も減るだろう。
戦争の被害というのは戦場にいる兵士だけに出るわけではないのだ。ひとたび戦争が始まってしまえば流通にも滞りが起きるので、王都が修羅の巷と化さずとも長引くほどに民衆への被害は大きくなる。
懐が潤うのは武器商人や悪徳商人くらいのもので、普通の商人や平民は明日食べていくのもやっとになるだろう。貧民街の住民はほとんどが食べていけないか、口減しのために捨てられる子供や老人も出るかもしれない。
戦争が始まる以上、それは避けて通れない道だ。
「いっそ戦争が起きなければいいのに」
ぽつり、と何気なく呟いた言葉が頭の中に響き渡る。
戦争が起きなければ。そう、戦争がなければ被害はゼロになる。戦争が起きるのを防ぐことができれば、殿下の希望を一番忠実に成し遂げられるのでは?
単純な話なのに、どうして今まで気が付かなかったのだろうか。
そもそもモンステラとの戦争はなぜ起きるのだろう。
シオン王子から詳細を聞かされたわけではないので、頭の中で情報を整理しながら自分なりに考えてみる。
それはモンステラの国王が、隣国であるこのユッカを侵略して我が物にしようと企んでいるからだ。
もちろんユッカもできることならモンステラを手に入れたいと思っているだろうが、過激派だった先代の国王に比べて今の国王は慎重派だと聞いている。
しかも王女のアスタ様が相手国へ嫁いでいる以上、こちらから戦争を仕掛けるとは考えにくい。恐らくモンステラの方から仕掛けてくるのだろう。
己の悲願のためなら、皇太子妃の故郷だろうが国民がどうなろうが構わないという気持ちがかの国の王にあるから戦争になる。
ということはそのような自分勝手な気持ちを抱かせないようにしなければ、いずれは干戈を交えることになる。どうすれば相手の国王の気持ちを変えられるのか。
真っ先に思いつくものは人質だが、外交で戦争が防げるような案は殿下が既に試みているだろう。私がすべきことは、錬金術師でないと成し得ないようなことだ。
例えば性格を優しくする、もしくは反転させるような薬があればいいのだろうがそんなおとぎ話に出てくるような薬は存在しない。発明しようにも、どんな素材を使えばいいのかすら皆目見当もつかない。
心が穏やかになるような強い鎮静作用のある薬を、経口摂取は不可能なので例えば──そう、ちょうど今日買った香水等にして国王に贈るのはどうだろう。
一瞬いい案が閃いたと思ったが、そんなことをしてもその場凌ぎにしかならないことにすぐに気付く。
よほど強い効果がなければ意味がないだろうし、仮に作れたとしても香水の中身がなくなってしまえばそれでおしまいだ。そもそも香りを気に入ってもらえなければ使ってすらもらえないが、国王の好みなど当然わからない。
ああでもないこうでもないと悩みながら帰る途中で、宝石店のショーウィンドウに並んでいる大きなルビーのネックレスが目に入る。
まるで伝説の賢者の石のように真っ赤な────
「賢者の石!」
そう、賢者の石だ。今考えているような効果が身につけているだけで得られるような石を、指輪に加工して贈ればいいのではないだろうか。
戦争を仕掛けようとしているくらいだから、モンステラ国王は間者をユッカ国内に送り込んでいるだろう。それならば、王室錬金術師を捕まえて賢者の石を作らせている愚かな第二王子の噂も耳にしているはずだ。
その王子から賢者の石が完成したと友好の証として贈られれば、嬉々として受け取るのではないか。
贈られてきた石が本当に賢者の石なのかの真偽はさておき、少しでも賢者の石である可能性があるならばおそらく手放さないはずだ。何しろ賢者の石には、不老不死になれるという伝説があるのだから。
金庫や宝物庫に保管されてしまう可能性もあるが、好戦的な国王の性格を考えれば周りに見せびらかすために身につけてくれる可能性が高い。
「きれいな石を媒体にして魔物素材で付与魔法をかければ……鎮静効果のある魔物素材は何だったかしら」
賢者の石といえば赤い宝石のようなイメージなのでルビーやガーネットを触媒にしようと考えたが、人の心に作用するほど強力な魔物素材で付与魔法をかけるとなると普通の宝石では魔力に耐え切れない可能性が高い。
代用品として宝石のように見える魔物の核や魔石を使うのもいいかもしれない。しばらくは安価なスライムの核を触媒にして実験を進めようか。
付与魔法用の鎮静作用のある魔物素材というと吸血鬼の牙だが、なかなか手に入りづらい上に思い通りの効果が得られるとは限らない。
強力な鎮静効果を付与すると性格に影響を与えるどころか日常生活に支障をきたす可能性もあるので、別の付与魔法を探した方がいいかもしれない。
とりあえず候補の一つとして挙げておいて、他の魔物素材の効果を洗い出していくつか試してみるべきだろう。帰ったら魔物図鑑を引っ張り出してもう一度読み返さなければ。
思わず城へと戻る足が段々と速くなる。僅かな早歩きから急ぎ足へ、気が付けば城へと疾くように。
早く今思いついているアイデアを書き殴りたい。早く手当たり次第に試作したい。早く完成させたい。早く早く早く早く早く早く早く。
シオン王子の役に立つために、という想いはいつしかもうほとんどなくなっていた。とにかく知的好奇心に従って早く研究を進めたい。
やはり私は骨の髄まで錬金術師なのだと自覚した私は、研究室を目指して城下町を、城門を、城内を駆け抜ける。
雨上がりの空には虹が、地面には陽炎が揺らいでいた。