57 Your eyes closed
※血の描写や痛い表現があります。
あの頃の僕は、竜族に敵う生き物はいない、だから獣竜である自分は生態系の頂点であり至高の存在なのだと思い上がっていた。
この大空を飛ぶことを、野山を駆け回ることを誰にも邪魔をされたくなかった。下等生物に倒されることなどあるはずがないと慢心していた。
そうして山を下りてはいけないという教えを無視した結果、いとも容易くドワーフたちに捕らえられてしまった。
肉は後から食べられるようにと毒を使わず、商品となる毛皮には最小限の傷で済むように仕留められた。
青々とした木々が生い茂る自然豊かな山の、うっすらと雪が降り積もる冠を優雅に旋回している偉大な竜たちは誰も助けになど来てくれない。
当然のことだ。僕は弱肉強食の世界で負けたのだから。
「こりゃ外れだな。角が巻いていて武器にしづらい」
「防具にするにも、毛皮の質はいいが小さすぎる。まだ小竜だ」
「肉は柔らかいのではないか?」
台車に乗せられた息も絶え絶えの僕を囲みながら、背の低い毛むくじゃらの男たちが品定めをしている。
最後の力を振り絞って何人かの命を奪ったので、その対価に見合わないとがっかりしているのだろう。いい気味だ、ともう声すら出せない僕は心の中で毒づいた。
「小竜ということは、目立つところへ置いておけば親の竜が来るのではないか?」
そのうち、ドワーフの一人がそんなことを言い出した。馬鹿な生き物だ。竜は卵から産まれた瞬間に独り立ちすることを知らないのだろう。
そんなことをしても無駄だというのに、いい案だとか試しにやってみようだとかいう声が上がり、僕は山の中腹まで連れていかれた。
万が一助けが来ても逃げられないように足には重りが付けられて、緩やかな斜面に頭を下にして寝かされ、太い血管をナイフで抉られた。おそらく血抜きのためだろう。
大空を飛んでいる同胞からは、矮小なドワーフ如きの好きにされている間抜けな僕の姿がよく見えていることだろう。
でも誰も助けに来るはずがない。彼らはただ僕と同種の生き物だというだけで仲間ではないのだから。そう諦めて目を閉じていた時だった。
「氷竜だ!」
興奮と恐怖の入り混じるドワーフの声が響いたかと思うと、辺りが一瞬にして氷漬けになった。
どくどくと流れていた生温かい血もたちまちに凍り、痛みが麻痺して少しだけ楽になる。
薄い氷の張った重たい瞼を開くと、同じ竜族ではあるが普段は近寄ることすらできない、この山の主の美しい氷竜の蒼い瞳が僕を捉えた。
「最後まで足掻いた姿は見事だった。命はもう助からないだろうが、せめて安らかに眠らせてやろう」
先ほどまで煩かったドワーフたちは、氷漬けにされていてピクリとも動かない。おそらく既に絶命しているのだろう。
よかった。これで無様な死を避けられる。そう安堵した時、信じられない物が目に映った。
今見ている景色を氷竜に伝えなければ。そう思うのに、どれだけ力を振り絞っても穴の開いた喉は微かな声すら出すことができない。そして。
「焼け死ねぇ!」
空から下品な声が降ってくるのと同時に、凍り付いていた身体が業火に包まれる。
そうして僕の意識は、そこで途絶えたのだった。
「そして次に目を覚ました時には、ガラン様は魔王になっており、僕はドラゴンゾンビになっていました」
話はそれで終わりだとでもいうように、エビネはにっこりと笑って静かに頭を下げる。
彼が最期に聞いた声の主は誰だったのか、ガランはなぜ死んだのか、話に理解が追い付いていないのは私だけなのだろうか。
不安に思いながら周りを見ると、イライラした様子のアネモネがエビネに向かってぎゃんぎゃんと吠える。
「いやどういうことか全然わからないんだけど?せっかくガランの過去の話が初めて聞けると思ったのに!あんたが死んだ後どうなってそうなったのよ!」
どうやら、理解が追い付いていないのは私だけではないらしい。そのことに安堵しながらガランに視線を移すと、いつの間に用意していたのか大きなクッキーのような東方風の焼き菓子をバリボリと齧っている。
「あの時空から降ってきたのは、常日頃から山の主の座を狙っていた火竜だった。不意を突かれた俺はその時に死んだのだが、魔王として蘇って返り討ちにした。巻き添えで死んだエビネが憐れだったので眷属の契約をし、不死者として蘇らせた。それだけだ」
「ガランは本当に必要最低限のことしか話してくれないわね……そこも素敵……!」
「ちなみに火竜の死体はドワーフたちの街の近くへ捨ててきた。おそらく良い素材になったことだろう」
魔王になるには、大きな感情に揺さぶられて魔力が高まることが前提だ。よっぽどガランは、件の火竜に腹を立てていたのだろう。
普段から姑息な手段で命を狙われ続けて、鬱憤が溜まっていたのかもしれない。
魔王へと変じるほど怒りを覚えていたのなら、貴重な素材とはいえ手元に置いておきたくなかったのも頷ける。
「エビネをそのまま蘇らせるのではなく、不死者として蘇らせたのはなぜでしょうか?」
クレマチスの整った顔を横目に見ながら、私は彼らを蘇らせた時のことを思い出す。
名付けを行った彼らは、容姿は生前とほとんど変わらずに魔物へと変じた。
ピオニーは魔石のせいか獅子になってしまい、遺体の損傷が激しかったシオンはスライムになってしまったけれど、不死者として蘇った者は一人もいない。
私ですら一日で五人も蘇らせたのだから、私より魔力量の多いであろうガランならばエビネひとり蘇らせるのはさほど苦ではないだろう。そう思っての純粋な疑問だったのだが。
「何を言ってるの、ミオ。魔物だって他の生き物と一緒で、死んだら生き返らないわよ。魔王にならない限りはね」
「え?」
きょとんとしたアネモネの表情を見て、私はまた失言をしてしまったのだと気付いた。頭を抱えたガランの蒼い瞳が、呆れたように私を見据える。
「アネモネの言う通り、普通は死んだ者を蘇らせようと思えば不死者として蘇らせるしかない。エビネの場合、俺と眷属の契約を結んだことによって自我を保てているが、それもかなり特殊な例だ」
死んだ者は蘇らない。もう二度と会うことは叶わない。当たり前のことなのに、魔王になってから予想外の出来事の連続ですっかり感覚が麻痺してしまっていた。
「ミオ。お前の作った魔道具は、不可能を可能に変えてしまう危険な物だ。お前が生み出した物なのだから好きに使えばいいが、よく考えて使用した方がいい」
ガランもアネモネも今は興味がないようなので命拾いをしているが、死者を蘇らせることが可能になる魔道具など喉から手が出るほど欲しい者は山のようにいるだろう。
人間だけでなく、魔物だってそうだ。大切な人を蘇らせることが可能になるならば手段を厭わない者は大勢いる。
そのことを念頭に置いて行動しなければいけない。
軽はずみに口を滑らせて、賢者の石の存在を明るみにしてはいけないのだと、私は深く反省したのだった。




