56 雪解け
普段通りの長さにしようとするとまったく話が進まなかったので、今回は少し長めです。
眼前には氷と雪に覆われた白い山、その麓にはドワーフたちが暮らしているであろう奇岩群の家が並んでいる。そして私の周りに広がっているのは、澄み渡る青い空。
本日は飛行訓練の実践で、スノードロップ魔王国を初めて訪問する日だ。段々と身体が冷えてきたことで、かの国へ近づいてきたことを実感する。
変化で生やした竜の翼で飛行する練習は自主的にも散々行ってきたが、長距離を飛行するのは今日が初めてだ。
最初は不安で仕方がなかったが、ガランだけでなくアネモネもついてきてくれたので、おそらく墜落しても何とかしてもらえるだろうと勇気を出してここまで飛んできた。
そして、吸血鬼であるクレマチスも飛ぶことができるので随伴してきてくれている。
同じく飛ぶことができるコリウスも来たがっていたが、まだ教養を身に着けていない彼女がガランの国で失礼を働いてはいけない。
後日アネモネの国を訪問する際に一緒に行こう、とアネモネに提案されたことで渋々納得をしてくれた。
アネモネは自分勝手な我儘娘に見えるが存外面倒見がよく、コリウスと親しくしてくれていて非常にありがたい。
いつもコリウスの相手をしてもらっているお礼に、まだ余っているフェンリルの毛皮で作ったポンチョを贈ると、諸手を挙げて喜んでもらえた。
毎日のようにガランの城へ押しかけているが、防寒対策をまったくしていなくて今までずっと凍えそうな思いをしていたらしい。
フェンリルの毛皮が真っ先に必要だったのは彼女だったのではないか、そう口にしたかったが、水を差すわけにもいかないので笑顔のまま口を噤んだ。
「着いたぞ、ここが俺の国だ」
ユーカリプタスから飛行すること数時間、ガランに促されるまま着陸したのは今にも崩れそうな寂れた古城の城門だった。
馬車でここまで来ようとすれば数日かかるはずなので、飛行能力の便利さを実感する。おまけに今日は初心者の私に合わせた速度なので、ガランやアネモネが本気を出して飛べばもっと早いのだろう。ガランが馬車を嫌がるわけだ。
普段ガランは直接自分の部屋へとバルコニーから入るのだが、今日はお客様連れだから絶対に正面から入るように、と眷属の竜に釘を刺されたらしい。
フェンリルの毛皮のコートを着ていても、顔は剥き出しなので防寒の効力が薄れていて鼻先と耳が千切れそうに痛い。
クレマチスがすっとイヤーマフを差し出してくれたが、彼は寒くないのだろうか。涼しい顔をしているので、吸血鬼は寒さに耐性があるのかもしれない。
「お待ちしておりました。ミオソティス様」
到着するや否や、古城の中から一人の従者が出てくるとアネモネが彼に「寒いから早く城に入れなさいよ」と文句を垂れていた。
おそらく、彼がガランの言っていたたった一人の眷属で、従者でもある竜なのだろう。
髪は白と紫のグラデーションで雲のように柔らかく、巻き角と相まって竜というより羊のような印象を受けた。
しかし、肌の一部に鱗が生えているのが見えるのでおそらく獣竜という種族なのだろう。図鑑でしか見たことがないので詳細は知らないが、そもそも普通に暮らしていたら竜族に会う機会はないので仕方がない。
肌の色がくすんでいるのはそういう種族だからなのだろうか、そう思っていると私の思考を見透かしたように彼は微笑んで頭を下げる。
「僕の名前はエビネ。ガラン様の眷属で、獣竜のドラゴンゾンビです」
図鑑で見たドラゴンゾンビの姿を思い浮かべて、私は動揺してしまう。
人間の不死者と同様ドラゴンゾンビも自我のない存在のはずだが、目の前のエビネはまるで生きているかのように表情豊かに話をしている。
ガランの眷属であることが関係しているのだろうか、とちらりとガランに目配せをすると、後で説明してやるとでも言うように小さく頷かれた。
今この場で詮索できることではなさそうなので、私はいつも通りカーテシーで挨拶をする。
「ご存知でしょうが改めて。ユーカリプタス魔王国の魔王、ミオソティスです」
ガランは男である私のカーテシーを見ても性別のことを気にしていなかったようだが、従者であるエビネはどうだろう。
少しだけ不安になりながら彼に目を向けると、両手で口元を抑えながら大きな垂れ目をきらきらと輝かせていた。
「お話で聞いていた以上に優雅な仕草ですね、素晴らしいです……!」
「ふん、貴様なかなか話のわかるやつだな」
ほう、とため息を吐くエビネに対して、なぜかクレマチスが得意げに微笑んでいる。
二人とも執事服を模した従者服を着ているし、主に仕える者同士で仲良くなれそうならそれに越したことはないので、崇拝されるのは複雑な気持ちだがとりあえず良しとする。
「温かいお飲み物をご用意いたしますのでどうぞ中へお入りください」
エビネに促されるまま古城へ足を踏み入れると、所々にランタンが吊るされていて中は想像より明るかった。それに、ガランによく似合うロイヤルブルーの真新しい絨毯も敷いてある。
千年も住んでいる城なので外観が古びているのは当然だが、内装は思っていたよりもとても気を配られていた。
「本当はもっと殺風景な城だったんだけど、今日のために家具を揃えたのよ!あたしも手伝ったんだから!」
えっへんと胸を張るアネモネを、素晴らしいわねと褒めるとはにかんだ笑みを浮かべる。
ころころと変わる彼女の表情はまるで幼い少女のようで、とても三百年も魔王を務めているとは思えないほど可愛らしい。
「こちらへおかけください」
暖炉が置かれた客間へと通されて、身体がじんわりと温かくなる。
イヤーマフとコートを脱ぎながら、ガランには暖炉など必要ないだろうにわざわざ用意してくれたのだろうか、と思った直後にアネモネも寒がっていたことを思い出し、自意識過剰かと反省した。
腰を下ろした青いソファはシオンから貰ったものに負けないほど座り心地が良く、話を聞けばソファだけでなく新調した家具はほとんどガランが倒した野生の魔物素材を使用して水木の国の職人に作ってもらった物らしい。
「エビネ、お前と出会った時の話をミオたちにして良いのか?」
エビネがお茶を置くと同時に、ガランが彼に確認をとる。おそらく、先ほど私が疑問を抱いたドラゴンゾンビであるエビネがなぜ自我を保てているのかという事実に触れる話題なのだろう。
薄緑色のお茶に口をつけると、フレッシュな葉の香りが広がると同時に甘い味がした。おそらく砂糖の甘さではなく、茶葉本来の甘味だ。
多国籍料理店で同じようなお茶が出されているを見たことがあるので東方のお茶なのだろうが、錬金術師の同僚は苦かったと辟易していた。
茶葉の種類か質が違うのかエビネがお茶を淹れるのがうまいのか、もしかすると両方なのかもしれない。
「もちろん構いませんよ、アネモネ様はともかくミオソティス様は将来身内になる方かもしれませんので」
「んんっ」
将来身内になるとはどういう意味だろう。少し気になったが、アネモネがエビネを睨むじっとりとした瞳と、ガランの気まずそうな咳払いを見て深く追求しないことにする。
私が湯呑を置いたのを確認してから、エビネはゆっくりと口を開いた。
「ガラン様は必要最低限の話しかしないでしょうから、僕からお話致しましょう。あれは千年前、ガラン様がまだ魔王ではなく一介の氷竜としてこの山に君臨していた時の話です――」
※吸血鬼は寒さに耐性があるわけではなく、ただ単にクレマチスが格好悪いところを見せたくなくて瘦せ我慢しているだけです。




