52 Jam and Milk
アネモネという名の台風が過ぎ去った翌日、朝食を終えた私はガランたちを迎えるにはまだ時間があるのでそれまでどの仕事を片付けようか迷っていた。
ガランの目的は昼食だが、日によってはアフタヌーンティーまで城に滞在するので講義が始まるとそれまでの時間は一切業務ができない。
書類関係は私が講義を受けている間にクレマチスが片付けてくれているのだが、そのせいで私との時間が確保できないことを嘆いているらしい。
だから今日は午前中のうちにある程度の仕事を終わらせて、午後に空き時間が作れれば彼を労ってあげようと思っていたのだが。
「おっはよーミオ!来たわよ!」
「アネモネ?ガランはまだ城へ来ていないけれど……」
昨日とは打って変わって、今日のアネモネはちゃんと城門から入ってきてくれたらしい。
黒を基調としたレースがたっぷり使われたドレスは、おそらく到着してからダチュラが着せてくれたのだろう。
小物の差し色には彼女の頭に光る角と同じマゼンタを使っていて、いいアクセントになっている。昨日のドレスとはがらりと印象が変わり魔王らしい装いだ。
短い丈のスカートでも快活な彼女が着ると艶めかしくなりすぎず、動くたびに腰のリボンがひらひらと揺れるのが尻尾のようで可愛らしい。
「ガランはどうせお昼前に来るでしょ?それまで暇だから」
「そうだったのね。せっかくだからガランに聞けないお話でも聞かせてもらおうかしら」
タイミングを見計らったかのように、ダチュラがティーセットを部屋へと運んでくる。
ガランと違い彼女はとびきり甘い物が好きなようなのでジャムティーを勧めてみると、ルビーのような瞳を輝かせながらいちごジャムをたっぷりと紅茶へ入れて幸せそうに口をつけた。
「それで、何が聞きたい?あたしとガランの馴れ初め?」
「ふふ。そちらも気になるけれど、まずアネモネのいる国のことを教えてもらえるかしら」
私の言葉を聞いたアネモネは、なーんだと口を尖らせながらも自分の国のことを話してくれた。
名前はシルベストリス魔王国といって、悪魔だけでなく森が近いので精霊も多く住んでいること。城ではなくかつてエルフが使っていた教会に住んでいること。自分に恩義を感じている悪魔を従えているものの、悪魔は基本的に自分の欲望に忠実に生きるので身の回りのお世話をしてくれる悪魔がいないこと。そして、彼女の身体は元は教会に住んでいたエルフの聖女を依り代にしているということ。
「あたしは魔王になる前、その聖女に捕らえられていたの。実験体としてね」
「実験体ですか?」
聖女という単語に似つかわしくない言葉が出てきたので、私は思わず眉を顰める。
アネモネが言うには約三百年前、今彼女が住んでいる教会にはエルフによる聖女崇拝の偶像的存在である一人の聖女がいた。
しかし彼女は聖女とは名ばかりの欲望に塗れたエルフで、禁じられた黒魔術を使い悪魔を召喚しては魔道具で拘束し夜な夜な実験に励んでいた。
不老不死に近い存在である悪魔を研究すれば、不老不死が得られるかもしれないと考えたらしい。
エルフは耳が尖っている長寿の種族だが、精霊を扱うことに長けているので精霊が多く住む森の奥深くに住んでいるというのは聞いたことがある。
この目で見たことは一度もないので、童話などのイメージで神秘的な種族だという先入観があったが、その実態は人間とさほど変わらないのかもしれない。
「契約をしてない悪魔は実体がないから普通はエルフなんかに捕まることはまずないんだけど、その女に首にはめられた魔道具のせいで実体化しちゃった上に魔力も吸い取られちゃったのよ」
「魔道具に依り代として誤って認識してしまうような効果と、魔力を吸収する効果があったのかしら」
魔力を吸収する魔道具なら、私が作った賢者の石と似たような仕組みなのかもしれない。
その聖女は錬金術の知識も持ち合わせていたのだろうか、それとも教団に優秀な錬金術師がいて組織ぐるみでの研究だったのだろうか。今となっては、もう知る由もないだろうが。
「今のアネモネの身体がその聖女だということは、拘束を解いて脱出したのよね?どうやったの?」
「簡単よ!魔道具が吸収しきれないくらいの魔力を放出したのよ」
得意げにポーズを決めるアネモネだが、きっと想像を絶する出来事だったに違いない。
ガランは「大きな感情に揺さぶられ魔力が極限まで高まった時に命を落とすと、持ち主を魔王として蘇らせる」と言っていた。
きっと彼女は聖女への恨みの感情が爆発して魔力が高まり、このままでは危険だと判断した聖女に一度殺され、聖女の身体を乗っ取って魔王になったのだろう。
底抜けに明るいと思っていたアネモネの仄暗い一面を見てしまい、いたたまれなくなった私は今度は自分が魔王になった流れを掻い摘んで説明する。
「何よその王子、最低ね!乙女の心を弄ぶなんて死んで当然だわ」
私がシオンに嘘を吐かれた件を聞いて、アネモネはぷりぷりと怒りながらシオンのことを非難した。
ガランに対する態度を鑑みるに、彼女は恋愛に対して並々ならぬ思い入れがあるのだろう。
今のシオンはずっと眠っているのでアネモネと顔を合わせたことはないが、もし繭の状態が治っても彼女には合わせない方がよさそうだと冷や汗をかく。
「随分楽しそうだな」
「ガラン、今日もかっこいいわね!」
アネモネとの話が持ち上がっているうちに、いつの間にかガランが到着する時間になっていた。
アネモネは竜人姿のガランをあまり見る機会がなかったようで、はしゃぎながら上から下まで舐めまわすように眺めている。
そういえば毎日この姿で来ているので見慣れてしまったが、ガランの本来の姿は氷竜としての巨体なのだったことを思い出す。ということは、アネモネは氷竜の姿に惚れたということなのだろうか。
「そういえば、アネモネとガランの馴れ初め話って結局何だったの?」
氷竜姿のガランの方が私は見る機会が少ないのだが、あの姿は確かに一目見ただけでも記憶に残るくらい美しかった。
竜人の姿でも、ガランはもちろん美しい。しかし氷竜の姿は他者を圧倒する神々しさがあったのでアネモネの一目惚れだったのかもしれない、そう思ったのだが。
「あぁそれはね、魔王になったばかりのあたしは自分の魔力が抑えきれなくて暴走しちゃって。教団の関係者を皆殺しにしただけじゃ止まらなくなったあたしをガランが……」
「半殺しにした」
とても三百年来の甘い恋の馴れ初めを聞いているとは思えない物騒な話の流れに、私は自分の耳を疑った。もしかすると、何か単語を聞き違えただろうか。
「あたしをボロ雑巾みたいにボコボコにしたガランの強さに惚れたのよね!」
訂正、どうやら聞き違いではなかったらしい。さすが魔王になれるだけあって、アネモネは物理的にだけでなく精神的にも強者のようだ。
ガランの冷ややかな瞳と霜焼けも物ともせず彼の腕にまとわりつくアネモネを見て、私は彼女の深い愛に感心したのだった。
アネモネの過去話はもっと細かく描写しようか迷ったのですが、テンポが悪くなりそうだったので一旦割愛しました。
機会があれば閑話などで補完します。




