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淑女魔王とお呼びなさい  作者: 新道ほびっと
第一章 魔王国建国編
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05 Forget-me-not


 殿下への恋心を自覚してから、私は乗り気でなかった研究に一心不乱にのめり込んだ。

 国ためや姉のためという気持ちよりも彼に喜んでほしいという気持ちが膨れ上がり、それと同時に焦りも生まれる。

 殿下のことだから、戦争への対抗策は私への依頼以外にも様々な方向性から着手しているだろう。

 だからこそ完成させたい。この秘めた気持ちは伝えることすら一生叶わないけれど、私の力で彼を喜ばせたい。

 そんな想いを原動力に、私は発想が浮かぶたびに実験と試作を繰り返す。けれどどうしても、自分の納得のいく賢者の石は完成しない。


「あと少しで届きそうなのに……」


 非常食のショートブレッドを食事代わりにしようと手を伸ばすと、いつの間にか在庫が底をついていることに気付いた。

 そういえばもう何日も食事を携行食で済ませているせいで、研究室から一歩も外へ出ていない。

 食事は携行食、風呂は研究室内にあるシャワー室で済まし、洗濯物も缶詰生活のために持ち込んだ小型の魔道具を使っていた。

 一分一秒も惜しいが、このまま引きこもって研究を続けるよりも息抜きをした方が意外にあっさりと閃くかもしれない。

 仕事用の眼鏡を外して白衣を脱いだ私は数日ぶりに研究室を出て、せっかくなので城下町まで下りてみることにした。



「はいよ、ミートパイとレモネードね!」


 何日も研究室に缶詰だったので、青空が恋しくなった私は屋台が並ぶ石畳の広場で食べることにした。

 肉と野菜がゴロゴロ入った大きなミートパイと、爽やかな香りのレモネードを手にベンチに座る。

 ユッカは一年を通して比較的穏やかな気候の国とはいえ、今日は特に春の陽気が感じられた。

 とても貴族らしからぬブランチだが、街の喧騒と開放感が好きで学生の頃からたまに屋台を利用している。

 熱々のミートパイに思い切って齧りついて頬張ると、溢さずに食べるのが困難なほど具沢山でサクサクとしたパイ生地が耳に心地良い。

 そこに甘酸っぱいレモネードを流し込めば、何とも言えない幸福感が押し寄せる。

 久しぶりの温かい昼餉に食が進みあっという間にお腹におさまってしまったが、この様子ならまだデザートも入りそうだ。

 普段はこんなに食べることはないが、今日くらいはいいだろうとどの屋台にしようか目で物色を始めた時だった。


「お花はいかがですか?」


 私の食事が終わるのを見計らい、恐る恐る声をかけてきたのは小さな女の子だった。

 萌葱色の髪の毛は顎より少し下の長さに切り揃えられていて、艶があれば美しい色になりそうだが栄養が足りていないのか枝毛が目立つ。

 彼女が着ている生成りの質素なワンピースは、恐らく親が縫ってくれた物なのだろう。花を売るために毎日広場に立っているのか、華奢な身体は小麦色に日焼けしていた。

 彼女の持っている籠に私のよく知る空色の小さな花が入れられているのを見て、思わず顔を綻ばせる。

 私は物腰が柔らかいとよく言われるし体格も良い方ではないものの、れっきとした成人男性だ。幼い少女を怖がらせないように、目線を合わせるように身体を屈ませた。


「きれいに摘まれた勿忘草ね。一束ちょうだいな」


 きょとんと目を丸くした後に花を差し出す少女の慌てっぷりを見て、失敗したなと苦笑する。

 私の女性のような言葉遣いに驚いたのかもしれない。久しぶりに人と話したので、つい取り繕うのを忘れてしまった。 

 しかし、彼女が驚いた理由はどうもそうではなかったらしい。少女は私からチップを込めた多めの銅貨を受け取りながら、おずおずと疑問を口にする。


「ありがとうございます。あの、このお花……ワスレナグサ、って名前なんですか?」


 服装等から察するに、彼女は貧民街で暮らす子供だろう。街外れに咲く花のなるべくきれいなものを摘んで売って、生計の足しにしているのだ。

 当然、教育を受けているはずもない。字も読めないし本も買えないから、自分が売っている花の名前すら知らないのだ。

 どう説明しようか迷ったが、彼女の役に立ちそうな情報をひとまず教えることにする。


「そう。勿忘草っていうのはね、恋の花なの」


 昔々、恋人のために勿忘草を摘もうとして死んだ騎士がいた……という悲恋の話は子供には重すぎるので、私を忘れないでほしいという想いを込めて恋人に花を捧げた男の話が由来だという説明に止めた。

 だからこの花を売る時はなるべく若い男や裕福そうな紳士に声をかけて、恋人や奥様へのプレゼントにいかがですかと添えるといいとアドバイスをすると、少女は目を輝かせる。


「きれいなお兄さん、ありがとう!」 


 深々と頭を下げて次の客を探しに行った少女は、私の助言通り学生の少年に声をかけて辿々しく花の説明をし始めた。

 それにしても徹夜明けのひどい顔をした私のことを、きれいなお兄さんと呼ぶなんて。

 もう何日もまともに睡眠をとっていないし食事も質素だったから、肌や唇もボロボロでクマもできているはずなのに。

 お世辞だとわかっていても嬉しいものだと、破顔する私の手に握られている花の別名は“ミオソティス”。私の名前の由来となっている花だ。

 母は私の性別が男女どちらだったとしても、どうしてもこの名前を付けたかったらしい。

 身体が強い方ではなかった母は妊娠中に自分が長生きはできないだろうと悟り、まだ赤ん坊だった私に自分のことを忘れてほしくないと願ったようだ。

 そして実際に母の懸念通り私が大きくなる前に亡くなってしまったので、思い出らしいものは何ひとつ覚えていない。だからこそ、使用人や姉が聞かせてくれた母の話を思い出代わりに忘れないようにしている。


 もし母が生きていたら、私のことをどう思っただろう。そもそも母がいれば私はこんな風に育たなかっただろうか。

 いつだったか同級生に笑われたことがある、「母親がいないとろくな育ち方をしないようだ」と。

 その時は怒りや悲しみよりも、本当にそれが原因なのだろうかと純粋に疑問に思った。

 しかし、同じく母親を亡くしていても真っ当に大人になっている人はたくさんいるので関係のないことなのだとすぐに納得した。

 思春期にそのことに気付けたおかげで、私は少し溜飲を下げることができたのだ。例えどんな環境にあっても、私は私である、と。

 勿忘草のおかげで久しぶりに母のことを思い出し、そういえば最近は家族に会うことがなかった上に忙殺されていたせいで母のことも思い出せていなかったなと、私は自分の親不孝を反省した。


 母に思いを馳せている間に少女が無事に接客を成功させたのを見届けて、胸がいっぱいになってしまった私はデザートを諦めて広場を後にする。

 この仕事が無事に終わったら、久しぶりに母の墓参りに行こう。

 その時は彼女からまた私と同じ名の花を買って、母に供えようと心に決める。

 私の手に握られた小さな勿忘草が、小さな決意を後押しするように春風に揺られていた。


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