46 アイデンティティ
本日は生物学の講義です。
次の日いつものようにカーテシーでガランに挨拶をすると、穴が開きそうなくらいじっと見つめられた。
「この前から思っていたが、その挨拶は何だ。その挨拶をする者を俺は今まで見たことがない」
「カーテシーのことでしょうか」
もう一度実演してみると、それだと頷かれる。何か粗相があっただろうかと困惑していたが、どうやらカーテシーが気になっただけのようだ。カーテシーを見たことがないという言葉に驚いたが、ガランは竜の魔王だから周りには竜族しかいない。
おまけに人間と交流がないのだから、よく考えれば何も不思議ではないのかもしれない。東方ではお辞儀という挨拶が主流だと聞いたことがあるし、水木の国でも見たことがないのだろう。
「これは淑女の挨拶です。淑女というのは、品位のある……女性、という意味です」
「つまり、本来は性別が女の者しかしないのか?」
私の言葉が詰まったことも気にせず、ズバリと斬り込むガランの容赦のなさに苦笑する。次は、ではなぜ男のお前がするのだと誹られるだろうか、私が淑女魔王と名乗っていることを知れば軽蔑されるだろうかと身構えた。
「他の者のカーテシーとやらを見たことがないから比べようもないが、ミオのカーテシーは美しいと思う。なぜ人間はそんなにも性別にこだわるのだ?理解に苦しむ」
ガランが予想外の感想を述べたので、私はしばし固まってしまった。しかも、ガランは私を慰めようとしたわけでも勇気づけようとしたわけでもない。短い付き合いだが、彼は自分に正直に生きているのだとわかる。つまり、今の言葉は私に向けたわけではなく正真正銘ただのぼやきなのだ。
「昨日のお前たちの会話を聞いた時もよくわからなかった。なぜ性別などに振り回される必要がある?性別関係なく美しいものが好きなら美しいものを愛でればよい」
「おっしゃる通りです。性別がどうしても関わってくるのは出産くらいですものね」
何の気なしに発言してから、しまったと口を噤んだがもう遅い。生物学的な意味での発言だったが、下手をすればハラスメントである。沈黙に耐えきれず恐る恐るガランの様子を伺うと、顎に手を当てて何やら考え込んでいた。
「ふむ。ならば今日は魔物の生殖について話すとするか」
「はい?」
てっきり失言してしまったと思っていたのだが、ガランは特に気にしていないらしい。安堵すると共に、こちらから話題を提供したとはいえまさかその話題のまま講義に移ると思っていなかったので驚いた。四天王たちが聞いたら何やら勘違いされそうなので、本日の講義内容は絶対に口外しないことにする。
「魔物は動植物の死骸に魔力が宿ることで生まれることは話したが、生殖の話はしていなかっただろう」
「はい。大変興味があります」
一歩間違えれば色々な意味で危険な話題だが、錬金術師としては気になるので正直に話に乗った。それに、ガランは野生の魔物の肉を食べていると言っていたし、魔物の生態が詳しくわかれば家畜化もできるかもしれない。魔物を家畜化できれば、空気中や土壌の魔素問題は半分解決することになる。
「まず、同種族の魔物同士の交配では当然子供が生まれる。この時、魔物の場合性別は一切関係ない。そもそも性別が存在しない魔物自体多い」
「魔物はそもそも交配の方法が動物とは違うのでしょうか」
「魔物の交配は、相手の体内に魔力を注入することで卵が産まれる。卵の中で互いの魔力が時間をかけて混ざり、新たな生命となって孵化する」
つまり、魔物は胎生ではなく卵生が多いということなのだろう。卵生だからといって性別が関係ないのは不思議だが、鶏のような卵の産み方ではないのかもしれない。
「先ほど同種族の魔物同士の交配ではとおっしゃいましたが、異種族間ではどうなのですか?」
「稀に交雑に成功して未知の魔物が生まれることもあるが、大抵は失敗する。例外として魔石を持たない種族との交配ならば成功するが、魔力が混ざることはなく魔物側の種族が産まれる」
魔石を持たない種族、というのは要するに人間や動物相手なら交配が成功するということだ。トレントなどの植物系の魔物ならば、普通の植物を宿主に増えることができるのだろうか。
そこまで考えて、ふと疑問が湧いてくる。将来的にそんな予定は全くないのだけれど、純粋に好奇心として。
「私の場合、種族はどういう括りになるのでしょうか?」
元人間の魔物、という区分になるとしたら、我が国の魔物は全員同じ区分になってしまうが恐らくそれはないだろう。この国には様々な様々な見た目の魔物が住んでいるが、彼らにそれぞれ種族が存在していることは一目瞭然だ。
対して私は、角が生えていること以外はどこから見ても人間そのもの。人が魔物になった姿といえば不死者が有名だが、不死者は基本的に自我がないのでどうも違う気もする。クレマチスのような吸血鬼でもなさそうだし、他には人間の姿の魔物といえば何がいただろうか。
「お前の種族は恐らくドラゴンだろう」
「えぇっ!」
人間の姿の魔物を手当たり次第思い浮かべていると、ガランの口から驚愕の発言が飛び出した。魔王になった時にドラゴンの姿へと変わっていたならともかく、なぜ人の姿のままでいる私がドラゴンなのかと戸惑っていると、ガランは私の心臓の辺りを指差す。
「人がドラゴンになった話など聞いたことがないが、お前の魔石からはドラゴンと似た魔力を感じる。魔石を宿していない人間が魔王になるのは不可能だと言ったが、お前は魔王になった時にドラゴンの魔石を使用した魔道具を持っていたのではないか?」
ガランに指摘されて、私はあの時つけていた賢者の石の触媒が火竜の魔石だったことを思い出す。確か昔城へ献上されたが扱える錬金術師がおらず、持て余していたものをシオンが融通してくれたものを使ったはずだ。
だから私の魔力がドラゴンに似ているということらしいが、ガランの竜人姿と違い鱗も何もない人間姿のままなのはなぜなのか。変化を極めれば火竜の姿にもなれるのだろうかと考えていると、魔石を譲ってくれた時のシオンの柔らかな笑みがふと脳裏を過ぎり胸がざわつく。
「つまり、人が魔物化する際に持っていた魔石がその人の種族を決めるのでしょうか」
「そもそも魔石を使って人が魔物になった話を今まで聞いたことがなかったのだが、それはどういう意味だ?」
説明をしようとして、私は思わず言い淀む。ガランには魔物を増やす際に魔道具を使用したとは言ったが、人の遺体に魔石のついた魔道具を使用して魔物にしたとは言っていない。
リスクを踏まえて濁していたのだが、今私が気になっている疑問を解消するにはもう少し情報を話さなければいけない。しばし悩んだ末に、大事な家族のためならばと意を決して口を開く。
「ガランに会ってほしい者がいます」
私が火竜の魔石を持っていたことでドラゴンになったのならば。ワイバーンの魔石を持っていた彼はなぜあのような姿になってしまったのか、彼の命を奪った私には知る必要があった。




