38 南行き
第二章開始です。初っ端から新キャラです。
肌を刺すような霜風の吹く氷山。並の生き物では凍りついて辿り着けぬ山の頂上に聳え立つ古城で、俺は突然目を覚ました。外を見ればあたり一面雪と氷で真っ白に輝いているが、ここでは一年中同じ景色なので外の様子だけでは今の季節もよくわからない。
何時ぶりの目覚めかもわからぬ俺が澄んだ空気を深く吸い込むと、一羽の烏が外からこちらを見ていることに気付く。
「ふむ」
事態をある程度把握できたので軽く咆哮を上げれば、外からパタパタと聞き慣れた小さな足音が近付いてきた。
「おはようございます、ガラン様!今回はひと月ほどお休みでしたね」
咆哮を聞いて寝室へと入ってきた世話係のエビネは、血色の悪い肌色をした少年の姿をしている。彼はドラゴニュートではないが、俺の世話をする時は竜人の姿の方が手先が使えるので便利らしい。髪は獣竜の姿の毛色と同じ雪白と藤色のグラデーションで、ふわふわとした綿毛のように柔らかい。そしてその髪からは、羊を彷彿とさせる巻き角が覗いている。
俺が眠っていた間の報告を聞くと、ほとんどあの女が毎日やってきて俺が起きるのを待っていたという話だった。国の方は相変わらず変化がないようだ。よく言えば平和だが、刺激がなく停滞しているとも言える。
「今日は中央へ少し出かける」
「お、お出かけですか?中央というとユッカ王国の辺りでしょうか」
俺の行動に滅多に動じないエビネの動揺する姿を見て、そういえば自主的に城を出るのはいったい何年ぶりだろうかと考えを巡らせるがいまいち思い出せない。無理やり連れ出されたのを除けばもしかすると数十年ぶりかもしれない。
「新たな魔王が誕生したようだ。そやつの魔力の大きな揺らぎのせいで目が覚めた」
「それは……カガチ様以来なので百年ぶりですね」
あの男が魔王になったのはついこの間のことのように感じるが、もうそんなに経つのかと驚いた。最も、俺が起きている時間が圧倒的に少ないせいなのだろう。
「まだわからぬ。今度の魔王は果たして魔王に成れるのか」
この百年の間にも、何度か新たな魔王誕生の兆しはあった。だがどの魔王も、自分の中に急激に増えた魔力の影響で不安定になったり、自分が大量の命を奪った罪悪感に押し潰されたり、魔王へ変じる際の感情の起伏のせいで気が狂ったりして自滅してしまった。
それらを乗り越えて身体が魔王として馴染んでも、自分の配下が出来るまでの過程で孤独に耐えきれずに自ら命を絶った者もいた。おそらく俺の知らない魔王のなり損ねも大勢いるのだろう。そのため、周囲に魔王として認知されるまでは正式な魔王としては認めないことにしている。
「どういった条件を満たせば魔王として認められるのでしょうか?」
エビネは、てっきり魔王としての証さえあればいいと思っていたらしい。確かにあれが一番わかりやすい。そもそも証を完全に顕現できる者はほとんどいないのだから。
「そうだな。なりかけでも証がある、自我のある配下が一名でもいる、国として統治できる縄張りを所有していることだろうか」
その条件を全て満たしていれば、魔王として不完全でも多少の手解きをしてやってもいいだろう。もちろん、何かしらの対価は差し出してもらわなければならないが。
「そんなの、数日で達成できることではないでしょう。新しい魔王が認められるのは当分先になりそうですね」
俺が至極真面目に並べた条件を聞いて、エビネは新たな魔王を憐れむようにくすりと笑う。確かに、数日で条件を満たすのは難しいかもしれない。
配下を育てようにも自分の魔力から魔物を生み出そうとすると、一番知能の低いスライムですら数週間かかる上に魔族に育てるには何年もかかる。
その上、国として統治できる規模の縄張りを持つ魔物などほとんどいない。徐々に縄張りを広げていくとして、魔力が身体に完全に馴染んでからさらに数ヶ月はかかるだろう。下手をすれば年単位で時間が必要だ。元々存在していた国を滅ぼして自分のものにすれば別だろうが、あまり現実的ではない。
「さすがにこの短時間でそこまで求めてはいない」
「ガラン様、昼食は召し上がらないのですか?」
寝室から繋がっているバルコニーへ出て俺が背中の翼をばさりと広げると、エビネが慌てて昼食の確認をしてきた。目が覚めたばかりで時間の感覚がなかったが、既に陽が高くなっていたらしい。
眠りから覚めたばかりなので食事で手早く魔素を摂取すべきなのだろうが、まだ余力もある上に食欲もないので昼食は断ることにした。
翼を羽ばたかせて地面を蹴り上げると、強風に煽られるエビネが目に入る。
「晩餐までにはお帰りくださいね!」
小さな身体で大きく声を張り上げているエビネに頷き、俺は中央にある国へ向かって飛翔する。中央の国がどの辺りにあったかよく覚えていないが、南方へ飛べばいいはずだ。ある程度近付けば、新しい魔王の魔力を感知して所在を掴むこともできるだろう。
「退屈な日々に、少しでも刺激を与えてくれる者ならいいのだが」
ぼそり、とそう呟いた俺は。さて新たな魔王の顔を拝んでやろうと、南へと向かう速度を上げたのだった。




