35 閑話 四天王の休日【茜色の夕日】
ピオニーの話です。
慌ただしい日々が過ぎ、執務室から窓の外を見ると夕日が沈みかけていて青と赤のグラデーションができていた。今日一日私以外の四天王が休日をとり、忙しくはあったが何の滞りもなく一日が終わりそうだ。
「ありがとうピオニー、あなただけ休日がずれてしまって申し訳ないけれど助かったわ」
「この程度の連勤で疲れるような身体ではない。母上は何も気にする必要はない」
一人だけ残った者が母上の護衛を務めると聞いた時、何が何でも私が勝たなければいけないと思った。
母上の熱狂的な信者であるクレマチスを二人きりにさせるのは危険な香りがするし、ダチュラが残ればおそらく母上は一日中拘束されて新作のドレスを着せ替えさせられる羽目になるだろう。コリウスを残してはいけないのは言わずもがなだ。
魔物じゃんけんは、生前の留学時に似たようなお座敷遊びを経験していたので無事に勝利をもぎ取ることができた。予備動作でどのジェスチャーを出すか見抜けばいい上に、クレマチスのように頭を使いすぎるタイプにはフェイントをかければすんなりと引っかかってくれるので楽に勝つことができる。
「そういえば、あなたと初めて会ったあの日も夕焼けがきれいだったわね」
母上の言葉に、私たちがはじめて会話したのは朝方だったはずだがと思わず口をつきそうになり、そういえば母上には生前の私と今の私は別人だと嘘を吐いていたことを思い出して口を噤んだ。
自分のついた嘘が、真綿で首を絞めるように私の良心を痛めつける。
「そうだな、母上に蘇らせてもらった日は美しい黄昏時だった」
つい数日前のことなのに、もう随分と昔のことのようだ。それだけこの数日間が濃厚だったということだろう。
母上が処刑され、国が滅び、私が魔族として蘇り、他の四天王と共に賢者の石を配って国民を蘇らせ、ユーカリプタス魔王国が建国され、城の改装と城下町の復興が行われた数日間。
食料関係などまだまだ問題は山積みだが、ようやく国として形になってきたと思う。
「母上、練丹術の話をしたことを覚えているか?」
「えぇ、もちろん!」
練丹術という単語を聞いて目を輝かせる母上を見て、良心がちくりと痛む。賢者の石を生み出すほどの錬金術師ならば、探究心が強いはずだ。
あの日私から練丹術の話を聞いた母上は、おそらく東方へ行ってみたいと願ったはずだ。それなのに、母上を魔王にしてこの国に縛りつけてしまった。その事実がずっと、私の心の中で燻っている。
「東方の国へ行ってみたいか?」
他の四天王が出払っている今日ならば、母上が強く望むなら国を抜け出すことも可能かもしれない。
母上に国を治めてほしいというのは我々のエゴだ。魔王など投げ出してしまいたいと思うのならば、それもやむを得ないことだろう。
動悸を悟られないようなるべく平静を装って質問してみたが、母上は返事をせずに柔らかく微笑んで私の毛むくじゃらの手をとった。
「ピオニー。東の方角というと、東方の国はあの辺りかしら」
夕焼けで赤く染まるバルコニーへと私を連れ出し、母上の白い指が東の方角を指す。城壁の向こう、鬱蒼と生い茂る森の先に地平線が見えた。
「そうだ。あの森の向こう、海沿いに東方で一番大きな国である日輪の国がある」
それから、私は母上から次々に投げかけられる質問に答えて東方の国の説明をした。
港があるので魚介類を使った料理が美味なこと。魚を生で食べる文化。酒は米を使った醸造酒と芋を使った蒸留酒が主に流通していること。発酵調味料の種類が豊富なこと。海の向こうには魔王の住む島があるが、海入道という魔物がいて近寄れないこと。魔物の種類がこの国の周辺とはまったく異なること。
私の話を、母上はとても興味深そうに聞いていた。海鮮料理に思いを馳せ、寄生虫はどう取り除いているのか不思議がり、酒の種類が異なるのは食文化に合わせてのことだろうかと分析し、発酵調味料の製作過程を見てみたいとため息をつき、何より魔物の種類が異なることに一番興味を示していた。
魔物の種類が異なるということは、魔物からとれる素材も未知のものなので錬金術師として魔道具や調合に新しい可能性を見出しているのだろう。
やはり母上は根っからの研究者で国に縛り付けておくべきではないかもしれないと、夕焼けを眺めながら再確認した時だった。
「いつか皆で行きましょうね、ピオニー」
母上の言葉に思わず振り向くと、穏やかな笑顔が目に入る。どうやら、強がりで言っているわけではないらしい。今ではなく、いつか行けたらそれでいいと。その時は、皆一緒がいいと。
私としたことが、母上を慮るあまり周りが見えなくなっていたらしい。確かに、魔王だからといって国に常駐する必要はない。わざわざ逃避行をせずとも旅行などで行きたい場所へ行けばよい。そんな単純なことに気付かなかった、自分を恥じた。
「ああ、母上。いつか一緒に」
さすがに全員で国を空けるわけには行かないので、その時は二人ほど国に残るべきだろう。そうなると、誰を連れていくべきだろうか。
クレマチスは問答無用で国に残すとして、最近食欲の止まらないコリウスを連れていくべきだろうか。いや、ダチュラも異国のファッションを観察したいと立候補してくるかもしれない。
先ほどまでの陰鬱とした気持ちと違い、旅行のことを考えて柄にもなく浮ついているらしい。無意識に尻尾がぱたぱたと揺れているのに気付き、慌てて隠したが母上に目撃されていたようだ。
くすくすと笑みがこぼれる母上の横顔が、夕日で赤く照らされる。
嗚呼どうか。明日も、来週も、来月も来年も百年先も。こうして共に、あの日と同じ夕焼けを共に見られますようにと。
私は、黄昏に向かってひそかに心願を立てたのだった。




