33 閑話 四天王の休日【ふたつの世界】
今回はダチュラの話です。
クレマチスが眠そうだからという理由で、私の部屋でのお茶会は解散となった。本当は眠いわけではなく目を閉じてきもい妄想に耽っていたことなどお見通しだが、そうでもしないと今日という一日が彼らの相手で終わってしまいそうだったのでそういうことにしておいた。
「やぁっとひとりになれましたわ」
先ほどまで木炭を走らせていたスケッチブックを閉じて、私は腕と尾を伸ばす。お母様のドレスをデザインしたかったのは嘘ではないが、それは普段の業務中にもできる。私が折角得た休日で本当にやりたいことは、別にあるのだ。連中と違って暇ではないので。
私は引き出しの二重底から一冊の魔導書を取り出すと、机に広げる。日本語で私の知識が記された魔導書は、お母様が錬金術のレシピを魔導書に記しているのを見て着想を得た。
私も人に知られては困る秘密は魔力を登録した魔導書に記せばいいのだと気付いて、それからは前世の秘密は魔導書に書くようにしている。日本語で書いてあるので中を見られても読み取られることはないはずだが、念には念をだ。
私が転生者であることは、誰にも明かしていない。貴族時代に愚かな男と駆け落ちした時も、唯一の理解者に嫌われるのが怖くて打ち明けていなかったのだが、騙されたとわかった時は真っ先にそのことを安堵した。
お母様には打ち明けてしまった方が色々と動きやすくなるが、どうも生前お母様と多少関わりのあったピオニーやクレマチスは、生前の自分と今の自分を別人格だということにしたいらしい。
私が転生者だと明かしてしまうと、その嘘に不都合が出てしまう。記憶だけ引き継いでいることにしようかとも思ったが、その設定だといつかボロが出そうだ。
魔族となって魔力が高まったとはいえ、私やコリウスは戦闘など今までしたことがないので護衛には心許ないし、政治にも疎い。お母様のために国を作ってしまった以上、ピオニーとクレマチスという戦力が失われることは避けたい。
それに、ピオニーはかなり高貴な血が流れている。どうも王族の傍系のようなのだ。お母様がそれを知れば、王位は自分よりピオニーに相応しいと言って魔王の座を譲りかねない。だからこそ、ピオニーは尊敬するお母様に断腸の思いで嘘を吐いているのだろう。
嘘もいつかは露見してしまうかもしれないが、少なくとも魔王国ができたばかりの今は避けたかった。
お母様は異様に自己肯定感が低い。生前情報ギルドに調べてもらっていたのは国に影響がありそうな人物だけだったので、男爵位のお母様の過去は何一つ知らない。ただ、お母様が淑女然としていることに関係しているだろうことは想像に難くない。
だからこそ、魔王国ではお母様がお母様らしく生きられるようにしたい。そのために私の転生前の知識を生かしたいのだが。
「この世界、思ったよりチートができないのですわ」
異世界転生の鉄板ともいえる、食の革命は一切の必要がなかった。南のモンステラ王国発祥でカレーは既に存在しているし、東方の国には醤油も味噌もあり、百年前から各国に広まって今では当たり前のように多国籍な料理がレストランには並んでいる。
魔力や魔法が存在するこの世界では、前世の家電のような魔道具も錬金術師や魔道具師によってたくさん生み出されている。不便がないどころかむしろ前の世界より便利な魔道具も存在するくらいで、トイレも水洗で清潔だ。
そこで私は、化粧品やファッションに目を付けた。百年前に鉛や水銀を使った化粧品は一掃されていたが、身体に無害な材料を使った簡素な化粧品しか普及していなかった。だから私は、前世の知識を生かして質のいい化粧品やコルセットのいらないドレスを売り出したのだ。
百年前。その時代を皮切りに、様々な分野で革命が起きている。おそらく、私以外の転生者が存在していて、その者が変えたと見てもいいだろう。それほどの不自然さがある。
私は使用人に持ってきてもらった卵サンドを昼食に頬張りながら、誰かもわからぬもう一人の転生者に思いを馳せる。できることなら話をしてみたかったが、活躍していたのが百年前ということはおそらくもう存命ではないだろう。
誰かは知らないが、おかげでおいしい食事ができるのはありがたい。化粧品やドレスがほとんど手つかずだったのは、転生者が男性だったということなのだろうか。
同じ時代に生まれていれば友人になれたかもしれないが、時代が違ったものは仕方がない。
「この世界には食の革命は必要ありませんけれど、問題はこの国ですわね」
お母様が魔王として覚醒した時、膨大な量の魔素がこの地を包んだので全ての動植物が死滅してしまった。人だけではなく、農作物や家畜もだ。
今食べている卵サンドは、備蓄の小麦粉やコカトリスの卵などが使われているがフレッシュな野菜は一切使われていない。野菜がこの国には存在しないからだ。
食事をしなくても魔素さえあれば魔物は生きていけるが、娯楽として食事は必要だろう。それに経口摂取で食材から魔素を取り込むことも有効である。
大気中の魔素は魔王国民を目覚めさせた時に使用してかなり薄くなったので、家畜は他の国から連れてくればいいだろう。問題は野菜だ。
お母様の話によれば、土壌に染み込んだ魔素を薄めるのは至難の業らしい。トレントを植樹して土壌から魔素を吸い上げてもらおうと考えているらしいが、成果が出るまでにおそらく数年かかる。
それまでは皆に農作物を提供することができないだろうと申し訳なさそうにお母様が謝るので、私はどうにかして他の解決策を考えたかった。
「はぁ、他の魔王国はどうしてるのでしょう」
他の魔王も、覚醒時に似たような悩みがあったはずなので話を聞いてみるのが一番早い気がする。しかしこの大陸にいる三人の魔王は人間と交流がまったくないので種族以外の詳細がまったくわからない。
そもそも、魔王が何人もいることにダチュラは最初驚いた。前世で読んだ創作物では、魔王は一人だけだというのが多くの作品のセオリーだったからだ。
他の魔王に話を聞いてみたいものの、こちらに友好的か定かではない。魔王国間で戦争にでもなれば、せっかく作ったお母様の居場所を台無しにしてしまうので下手に藪をつつかない方がいいだろう。
願わくば、あの心優しい魔王が穏やかな日々を過ごせますように。
私は開いていた魔導書を閉じて、裏表紙を見る。お母様にお願いして書いてもらった自分の名前があまりに愛おしくて、私は顔を綻ばせながらお母様の文字をそっと撫でていた。




