32 閑話 四天王の休日【美しい名前】
クレマチスの話です。
ミオソティス様が無事に建国宣言をされ、魔物たちの配備も終わり、まだまだ城の改装等で慌ただしくはあるがようやく魔王国としてある程度の落ち着きを見せ始めた。
本日は、ミオソティス様から直々に仰せつかった四天王の休養日である。ミオソティス様のために旧ユッカ王国の国民たちを魔王として蘇らせたあの夜から、俺たちは一日も休むことなく働いた。ミオソティス様のお役に立てるのなら、休日など必要なかったからだ。それに対して、心優しいミオソティス様が業を煮やして四天王に休むよう命じられたのだ。
さすがに四天王全員が休んでは、ミオソティス様の護衛がいなくなってしまう。今の膨大な魔力を持つミオソティス様は俺たちが護衛せずとも自分の身を守れるだろうとはいえ、体裁的に魔王であるミオソティス様に護衛がつかないわけにはいかなかった。
最終的に誰か一名が休養日を明日に回すことでミオソティス様には納得していただけたが、そこからが問題だった。誰が護衛に残るかで揉めに揉めたのだ。何せ、他の四天王を差し置いてミオソティス様を独占できるまたとない機会だ。俺は絶対にその機会を逃したくはなかったのだが。
「魔物じゃんけんで決めよう!」
コリウスのこの頭の悪い一言のせいで、魔物じゃんけんで決めることになってしまった。今この国で流行っている魔物じゃんけんは、身体のジェスチャーで勝負する遊びである。両手をあげて威嚇するポーズが魔物、剣を構えるポーズが勇者、腰に手を当てて仁王立ちが勇者の母親だ。勇者は魔物に勝ち、魔物は母親に勝ち、母親は勇者に勝つという三すくみになっている。ミオソティス様がコリウスに教えてから、夢中になったコリウスが昼夜を問わず勝負を仕掛けてくるので、わかりやすいコリウスに勝つのは容易かった。のだが。
「ふむ、クレマチスよ。私の勝ちだな」
あろうことかピオニーに負けてしまった。絶望に打ちひしがれた俺は、ミオソティス様を差し置いて休息をとることを余儀なくされてしまったのだ。
しかも生前も読書くらいしか趣味がなかった俺の今の趣味はミオソティス様のお役に立つことだけだったので、休息をとれと言われても何をすればいいのかわからない。惰眠を貪ろうにも、ミオソティス様のことが気がかりでまったく眠れない。そもそも魔族は、必ずしも睡眠が必要なわけでもない。
「クレマチスーやることないなら一緒に遊ぼうよぉ」
しかし無為に時間を過ごしているとこうしてコリウスが構ってもらいに来るので、俺はコリウスを抱えてダチュラの部屋を訪ねた。奴に押し付けてしまおうと考えたのだ。
「あら。私は今忙しいんですのよ」
ダチュラの自室は、意外にもモノトーンでまとめられた落ち着いた部屋だった。忙しいと言いつつ俺たちを迎え入れたダチュラは、使用人にお茶を頼んで再び机に向かう。どうやら、スケッチブックにミオソティス様のドレスの新作を描いていたらしい。それは忙しいはずである。
ミオソティス様に関わることなら邪魔するわけにもいかないかと思ったが、ひとりでコリウスの相手はしたくない。仕方がないので、俺はそのまま部屋に残りコリウスがダチュラの邪魔をしないよう監視をすることにした。これならば、ひとりでコリウスの子守をするより遥かにマシだ。
「そういえばさ、クレマチスってなんでママのこと名前で呼ぶの?」
「それは私も気になっていましたわ」
ダチュラの部屋にある物をひとしきり観察し終えると、使用人が淹れてくれた紅茶を飲みながらコリウスが俺にくだらない質問をしてきた。
コリウスはママ、ダチュラはお母様、ピオニーは母上と呼ぶのに、俺はミオソティス様と頑なに呼び続けることが疑問らしい。確かに、俺はミオソティス様の作った賢者の石とミオソティス様の魔力によって蘇った。ミオソティス様が生み出したという意味では、彼が母親だという表現もあながち間違ってはいないのだろう。だが。
「美しい名前だろう」
毅然とした態度で答えると、二人の顔が歪んだ。コリウスは俺の言葉の意図が理解できないようだし、ダチュラの顔には、うわっきも……という表情があからさまに浮かんでいる。
別に嘘は言っていない。こいつらに気味悪がられるのはいつものことだし理解を求めているわけでもないので、俺は素知らぬ顔で紅茶を飲む。
俺がミオソティス様の名前を呼んだのは、あの日の地下牢が初めてだった。それまでは、ミオソティス様は俺のことを認識していたのかも定かではない。シオンの側近として仕えていたのに、目があったことすらなかったのだから。
あの日初めて俺は、名前を呼んだ。次の日には、顔を合わせることも名前を呼ぶこともなくミオソティス様は命を落としてしまった。そして吸血鬼として蘇り再び名前を呼んだ時、あのお方の名前は何て甘美な響きだろうと思った。
これからは、いくらでもその名前を呼んでいいのだ。名前を呼べば、ミオソティス様は俺の目を見て返事をしてくれる。こんなに嬉しいことはない。
ミオソティス様は、決して私の物にはならない。まかり間違えてもなってはいけない。ミオソティス様は崇高な存在でなくてはならないのだ。
だからこそ、名前を呼ぶという特権だけは傍に仕える者の中で自分だけのものにしたい。
この気持ちを詳らかにしてしまえば、ならば自分もと全員ミオソティス様の名前をきっと呼びたがるだろう。だからこそ、秘密にしておかなければならない。
シオンはそもそも喋ることができないので名前も呼べないのは大変いい気味だ。
嗚呼、どうか俺の気持ちが誰にも気付かれませんように。あの方の名前を呼べるのは永遠に自分だけでありますように。
そんなささやかな願いを胸に、俺は目を閉じる。そうすると瞼の裏に、俺の名を呼ぶミオソティス様の尊いお姿が鮮明に映し出されるのだった。




