31 Monster
話の構成の都合上、31話のタイトルを変更しました。
男は跪いていた。これまでの人生で彼は人に跪かれる側の人間であり、人に対して自分が跪くのはこれがはじめてのことであった。それも、自身が畏れ、嫌悪していた女に対して跪くことになるなど予想だにしていなかった。
男の名はクラウン。元ユッカ王国の第一王子であり、跪いている相手はモンステラ王国の王太子とその妃。モンステラの謁見室での出来事だ。
「それで、ユッカが滅んだというのは本当なのでしょうか」
鈴の鳴るような声で語りかけてきたのは、王太子妃でありクラウンの妹であるアスタだ。モンステラは国王夫妻が存命のはずだが、体調が思わしくないようで王太子夫妻が政を仕切っている。譲位するのも時間の問題だという噂だ。
ユッカも国王夫妻は存命だが、国から逃げる際に軽い魔素中毒になってしまい今は国境付近の村で休んでいる。そのため、クラウンが早馬で先にモンステラを訪問し、庇護を求めたのだ。
「今のユッカは魔素が充満していてとても人が近づける環境ではない。おそらく国民の大半が命を失ったとみていいだろう。原因は定かではないが、魔女の処刑中に魔力が爆発したのでおそらく魔女の仕業ではないかと思われる」
「クラウン」
可憐な、しかし冷たい声でアスタが男の名前を呼ぶ。お兄様でもクラウン王子でもなくぞんざいに呼び捨てたのは、モンステラに無理やり嫁がされたことを恨んでいるのだろう。そして、ユッカが滅んだことでお前はもう王子ではないと知らしめるためでもある。
「……申し訳ございません、妃殿下」
背筋に冷や汗をかきながらクラウンが遜ると、アスタは満足そうに微笑んだ。これだからこの女が嫌いなのだと、クラウンは悔しさに歯を食いしばる。
ユッカにいる時からそうだった。母国では聖女だの何だのと呼ばれていたがとんでもない。奴ほど性根が腐った女をクラウンは見たことがない。この女は、人の心を手玉にとるのがうまいのだ。そのせいで、自分も何度煮え湯を飲まされてきたことか。
もちろん奴自身が優秀なのは間違いないが、奴は両親をはじめ重役の貴族や使用人までもを虜にし、まるでクラウンが無能であたかも自分がその尻拭いをしているかのように振舞っていた。そして周りは見事にそれを信じて、クラウンを廃嫡させようという動きまで見せ始めた。
だからこそ、危機を感じたクラウンはかねてより友好関係にあったモンステラの王太子であるフィカスを焚きつけたのだ。そして女好きで有名だったフィカスは、まんまとアスタに惚れこんで妃に迎えた。
モンステラに嫁いでしまえば、奴がどれだけ暴れようと自分とは関係ない。そう思っていたのに。
「どうする、アスタ。君の大事な家族だろうし、我が国に迎え入れるかい?」
モンステラ特有の褐色肌に黒髪の王太子、フィカス。久しぶりに会ってみれば、彼の心も見事にアスタに掌握されてしまっていた。王太子はフィカスなのに、先ほどから会話の主導権はアスタが握っている。
遊び人だったフィカスが結婚してからは正妃一筋で、側妃への渡りもほとんどないらしいという噂はどうやら本当のようだ。
この分だとおそらく、国王夫妻も似たようなものだろう。病床に臥せっているのは果たして本当に病気が原因なのだろうかと、思わず邪推してしまうが。
「えぇ。できることなら両親とクラウンだけでなく、逃げ延びた国民はモンステラで受け入れたいわ」
アスタの言葉を聞いて、クラウンは安堵する。国が滅んで王族としての地位は失ってしまったが、命あっての物種だ。本音を言えばアスタには頼りたくなどなかったのだが、他に頼れる場所もないので仕方がない。
自分の命を守れたことに安心しきっていたクラウンは、この先自分に待ち受ける苦難など想像もしていなかった。
「錬金術師ミオソティス、ね」
ユッカが滅ぶ直前に魔道具で届けられたシオンからの手紙に目を通しながら、アスタは水煙草を吸う。まさかシオンの報告にあった錬金術師が、国を滅ぼすほどの兵器を生み出すとは予想外だった。
手紙には戦争をなくす魔道具を作ったと記載があったので、今後の計画の邪魔にならぬよう処刑を命じたのだが早計だったかもしれない。
平和のための魔道具でどうやって国を滅ぼしたのかはわからないが、腕のいい錬金術師だったようだ。シオンに好意があったようだし、誘惑させて手玉に取った方がよかっただろうか。
シオンという優秀な駒を失ったのも、アスタには痛手だった。
まぁいい。モンステラにも優秀な錬金術師は多い。アスタの名で国費を惜しまずに投資したおかげで、アスタに逆らえない錬金術師はある程度確保できている。
クラウンの話によれば、旧ユッカ王国は人が近寄れないほどの魔素量で満たされているようだ。その魔素を利用すれば、魔道具の研究に生かせるかもしれない。
「ちょうど大量に実験台も手に入ったことだし」
まず最初は、いけ好かない兄を実験台にしてやろう。これまで舐めさせられていた辛酸を、彼にも味わわせ、死んだ方がマシだと絶望させてやろう。それが終わったら、自分のことを聖女だと持ち上げてモンステラに嫁がせた国民全員を同じ目に遭わせるのだ。
これから味わえるであろう享楽を思い、アスタは嬌笑を浮かべる。
モンステラ王国の元に新魔王誕生の知らせが届いたのは、それからまもなくのことであった。




