21 僕と花
魔物になってからは空腹も疲れも睡魔も感じないので、あのまま広場の遺体の処理に移りたかったのだが家族全員に却下されてしまった。
ピオニーは疲れを感じていなくても普段通りのスケジュールで休むべきだと苦言を呈し、ダチュラはとにかく今のメイクをオフするのが最優先だと言って聞かない。よくわかっていないコリウスはそうだそうだと何となく便乗し、シオンは私の腕の中で溶けるように身体を崩して寝てしまった。
結局火葬厳禁のルールを破らずにどう遺体を処理するかも決まっていなかったので、お言葉に甘えて一度休むことにする。私の自宅は登城者用の寮にあるのだが、最近は専ら研究室へ籠っていたせいで生活必需品は全て揃っている研究室へと帰ることになった。
「母上は本当にここで暮らしていたのか?」
研究室に着いて扉を開けた途端、ピオニーが髭を引き攣らせながら私に質問してきた。生活感はあるはずだし疑われるとは思ってもいなかったのだが、何か不思議なことでもあるのだろうか。
「あなたの身体の持ち主は貴族様だったのでしょうけど、庶民ならこのくらいの部屋で過ごすものですわ」
「ふかふかー!」
「いやしかし、母上も貴族だったのにこの狭さは……」
なるほど、どうやら私の暮らしが貴族の割にあまりに質素すぎて驚愕していたらしい。私としてはあまり広すぎる家も掃除が大変だし持て余してしまうので、この研究室や寮の部屋くらいがちょうどいいのだが。
騎士団長は良い家柄のようだし、そこその広さの屋敷から通いだったのだろう。貧民街で暮らしていたコリウスは、シオンと共に嬉しそうにソファに寝そべってクッションに顔を埋めている。
「別に不思議なことではありませんけれど、今やお母様は一国の主ですし部屋は変えるべきかもしれませんわね」
「一国の主になったつもりはないのだけど……」
ダチュラの言葉を慌てて否定すると、私にそのつもりがなかったとはいえ国を滅ぼして一人生き残ったのだからこの国は私の物になるのが当然だと言われてしまった。理屈ではその通りかもしれないが、自分が無人とはいえ国を所有するなどまったく実感が湧かない。
ただこの研究室は家族全員が過ごすには狭すぎることは確かなので、貴賓室がまとまっているフロアにでも移動しようか、貴賓室など行ったこともないがどこにあるのだろうかと思考を巡らせていた時だった。
「シオン?」
先ほどまでコリウスと寛いでいたシオンが、扉の前へ移動してぴょんぴょんと跳ねている。どうやらついて来いと言いたいらしい。そういえばシオンには殿下の記憶が残っているはずだ。それならば貴賓室の場所も知っているのかもしれない。
スライムが魔物をぞろぞろと引き連れて先導する今の光景がおかしくて、笑いながらシオンの後をついていくと彼は元気よく跳ねながら豪奢な廊下を進んでゆく。貴賓室ともなれば宮殿のような場所に設けられるのだなぁと感心しながら追っていたのだが。
「シオン……まさかここで到着だとは言わないわよね?」
スライムに声帯はないので言葉はわからないが、えっへんという台詞が聞こえてきそうなくらい得意げに反っているシオンが私たちを連れてきたのは絢爛豪華な王族の部屋。
中でも私に宛がおうとしている部屋は、よりにもよってシオン王子が使っていた寝室だった。
「趣味の良い部屋ですわね。ここをお母様に使っていただいて、私たちは一先ず両隣の部屋を使わせていただきましょうか」
「きらきらぴかぴかー!」
満足そうに頷いているピオニーとはしゃぐ女性陣を見て、私は逃げ道がないことを悟る。まさかこんな形で、元想い人の部屋で一夜を過ごすことになろうとは。
現実逃避をしながら遠い目で家族を眺めていると、突然シオンが部屋の裏側へ慌ただしく跳ねて行くのが見えた。
「失礼、母上。私が退かします」
「待って」
シオンが駆け寄ったものを見て、邪魔だと退かそうとするピオニーを止める。部屋の出入り口付近に転がっていたそれは、遺体だった。
殿下が私の研究室を訪れる時にいつも側で控えていて、処刑前夜に独房へ殿下からの伝言と賢者の石を届けに来てくれた、あの側近の男性だ。いつもかけていた眼鏡は倒れた時に身体の下敷きになったのか、フレームが曲がった状態で床に落ちてしまっている。
国に異変が起きた時、殿下が広場にいたことを知らずに部屋へ様子を見に来たところで息絶えたのだろうか。あの時の殿下は個人的な護衛もつけていなかったし、もしかしたら私の最期を見届けようと城を抜け出して来ていたのかもしれない。
彼は要望通り化粧品も独房に持ちこんでくれたし、私を奇異の眼で見たこともないので感謝はしている。だが、正直家族にしたいほど親しかったかというとそういうわけではない。ないのだが。
「シオン、もしかして彼も家族にしてほしいの?」
彼に寄り添うシオンの姿が、寂しそうに見えたのだ。シオン自身は殿下とは別人格だとしても、記憶の中でいつも一緒に過ごしていた相手のことは気になるのかもしれない。私の質問にぴょんぴょん跳ねているところを見ると、あながち間違いでもないようだ。
私は魔封箱から吸血鬼の賢者の石を取り出すと、彼の手に握らせる。吸血鬼の素材を使った賢者の石は、魔石ではなく吸血鬼の灰と血を混ぜて宝石状に固めたものを代わりに使用している。吸血鬼は体内に魔石が存在しない、人と魔物の中間のような生物だとされているからだ。
我が子のはじめてのお願いくらい聞いてあげてもいいだろう、という気持ちが半分。この魔石もどきでも魔物化が成功するのか実験したい、という気持ちも半分。
あまり大所帯にするつもりはなかったのだが、実験も兼ねていることだし彼を魔物化させてもいいだろうと私は結論付ける。何だか、私の中で段々と倫理観が欠如していっているような気がする。
殿下を介してしか話したことがない彼の本当の名は知らない。シオンなら知っているだろうが、話すことができないので知りようがない。仕方がないので私は、彼のイメージに合う名前を新しく付けた。
「クレマチス」
光が止んだ時、そこに一人の吸血鬼が佇んでいるのを見た私は。最後の家族が増えた喜びよりも、実験が成功したことを手放しで喜んだのだった。
闇落ちしていっているように見えますが、抑圧されていたミオソティスの本性が解放されて表に出ているだけです。
ちなみにシオンは、寂しいわけではなくこいつもいたら便利やなくらいの気持ちです。




