02 錬金術師ミオソティス
ユッカ王国のとある子爵家の長男として、私はこの世に生を受けた。
母は産後の肥立ちが悪く物心がつく前に亡くなってしまい、父は仕事で忙しく屋敷にあまりいなかった。
五歳上の姉はとても優しく、暇を持て余した幼い私が彼女の淑女教育に同席しても嫌な顔ひとつしなかった。
私が見よう見まねでカーテシーを披露すると「ミオは私より淑女に向いているわね」と褒めてくれて、姉のドレスに興味を示すと父に内緒でお下がりを着せてくれたり、化粧も軽く教えてくれた。
その格好のままお人形遊びを一緒にしていると、まるで姉妹のようだと使用人も私たちを微笑ましく見守っていた。そんな日々が、私はとても楽しくて幸せで誇らしかった。
しかしそうしていられたのも五歳までのことだった。
六歳になり私の教育が本格的に始まると、姉と以前のように遊ぶのは難しくなった。
父は私を“男らしい”騎士にしたかったようだが、私に騎士の才能は一切ないどころか運動能力が壊滅的だとわかると、目に見えて落胆していた。
もちろん、姉の真似などもうできるはずもなかった。少しでも“男らしくない”ことをすれば、みっともないことをするなと詰られた。
そんな私を憐れに思った姉が、時折父の不在時に芸術や音楽を嗜んだり刺繡をしたりするのに誘い、息抜きをさせてくれた。
私が騎士に向いていないことを励まそうと、騎士になれなくても魔術師や文官になれば良いと教えてくれた。
私は姉が大好きで、姉もおそらく私を愛してくれていた。十歳の春に起きたあの事件までは。
姉が十五歳になった時、彼女の婚約者が初めて屋敷に来た。政略結婚だが、彼女は婚約者の惚気をいつも私に聞かせてくれた。
とても紳士的な人だと聞いていたので、私は姉にその人と幸せになってほしいと願っていた。
だから初めて顔を合わせた時、粗相のないようにとなるべく優雅に見えるように挨拶をしたのがいけなかった。
「君の弟、女みたいで気味が悪いな」
どうやら幼い頃から染み付いていた淑女らしい所作が滲み出ていたらしい。
紳士的だと聞いていた彼はただ一言、私に向かってそう吐き捨てた。大好きな姉が私に向けた瞳は、憎悪の色に染まっていた。
その日から姉は私と最低限の会話しかしなくなり、笑顔も見せてもらえなくなった。
それでも私を虐めたりすることはなかったので、やはり彼女には幸せになってほしいと思った。
家の中で居場所のなくなった私は猛勉強をしてアカデミーに入学し、寮に入った。
これで父の監視から逃れ多少は好きなことができるかもしれないと安堵したが、男子寮では同学年の生徒たちに「男じゃない奴が男子寮にいるのはおかしい」と揶揄われた。
私が女子と見紛う美貌を持っているというわけではない。
自分では周りに合わせているつもりでも、男としての違和感が所作や話し方などから滲み出てしまうらしい。
寮以外でも、不可抗力で男子生徒に近付くと侮蔑的な呼称を吐かれたり、逃げるように傍を離れられたりした。
心配しなくても意地の悪いあなたたちに興味はないから逃げる必要はないと声を大にして言いたかったが、私の恋愛対象はどうやら同性のようだとその頃に気付いたのであまり強くは出られなかった。
初恋は私を他の生徒と同じように扱ってくれる調合学の男性教師だったが、私の片想いがバレれば先生に迷惑がかかると思い、告白どころか卒業までまともに目も合わせられなかった。
将来は魔術師や文官になるといい、とかつて姉に言われた私は錬金術科へと進んだ。
魔法は身体を使うことよりは得意だったものの、魔術師として活躍できるほど魔力は高くなかった。
文官ではなく錬金術師になることを選んだのは研究が好きだったのと、錬金術なら私自身が気味悪かろうが調合物の品質さえ良ければ評価してもらえるだろうと考えたからだ。
卒論では動物が魔物に変化する条件についての研究を選び、ひたすら没頭した。
魔力の元となる魔素を過剰に体内に取り込むことによって魔物化するのではないかという通説とその裏付けの実験の結果、生物が魔素を取り込んでも魔物化はほとんど見られず、動物の死骸に魔素を取り込ませた場合のみ魔物化の兆候が見られた発見をまとめたものが評価された。
私の卒論を元に城壁外の野生動物の死骸を試験的に取り除いたところ、実際に魔物の発生数が抑えられたらしい。
それ以来、定期的に野生動物の死骸の防除が行われることになりユッカ王国周辺の魔物は激減した。
その功績を讃えられ、叙爵されて私は男爵になった。卒業後に一度だけ屋敷に帰ったが、父は褒めてくれなかった。
姉は例の婚約者とは結局うまくいかずに南方の領地の令息と結婚したらしいが、彼女の結婚式にも呼ばれることはなかった。
卒論が評価されたおかげで、私は若くして王室錬金術師に内定し城に務めることになった。
職場ではさすがに差別的な言葉を浴びせられるようなことはなかったが、他の同期は名前で呼ばれるのに私だけ「男爵様」とわざとらしく呼ばれたり、わからないことを質問しても教えてもらえなかったり嫌味を言われたりするようになった。
王室に務める誉高き人たちですらこんなものかと、私は落胆した。
そして自然と、誰とも私的な交流をせずに仕事の傍ら大好きな研究に没頭するようになっていたある日のことだった。
「ミオソティスというのは君かい?少し話があるのだが」
目の前の存在が声をかけてきたことが信じられず呆然と立ち尽くす私の目の前に立つのは、さらりとしたブロンドの髪に長い睫毛とアメジスト色の瞳を持つ眉目秀麗な青年。
すれ違えば誰もが振り返る鼻筋の通った甘いマスクと、線は細いが程よく鍛えられた身体には白地に金の刺繍とボタンの宮廷衣装がよく映える。
まるで絵本に出てくる白馬に乗った王子様のような出立の彼は、まさしくこのユッカ王国の第二王子。
それが、シオンと私の運命を狂わせる出会いだった。
マナと魔素、どちらの呼称を使用するか悩んで魔素に統一したつもりでしたがこの話だけ修正前のままなことに後から気付いて訂正しました。