16 LAY YOUR HANDS ON ME
手のひらに乗ったぷるぷるとした紫色の生き物を前に、私は困惑していた。いったい今何が起きたのだろう。
賢者の石を乗せた殿下の遺体からよくわからない物体が生まれその後スライムへと変質した、という事実は認識しているのだが理解が追い付かない。
「えぇと……殿下?」
スライムが言葉を話したという事例は聞いたことがないが、念のために私は対話を試みる。
しかし、スライムは私の言葉にまったく反応を見せなかった。
「シオン王子の肉体からできたものだし、言葉を話せなくても意思疎通ができないものかと思ったのだけど」
どうやら無理のようだ。そう諦めようとしたが、私の言葉を聞いたスライムが今度はわずかに震えて反応してみせた。
先ほど呼びかけた時と何が違ったのだろうかと考えて、彼がスライムへ変化した時にとった私の言動を思い出す。
「シオン王子?」
殿下、ではなく彼の名前を呼んでみると再び震えだす。
ただ何か不満があるような、混乱しているようなぐゃぐにゃと捏ねられた粘土のような動きをして何かを訴えている。
「……シオン?」
まさかと思い敬称をとって呼んでみると、今度は喜ぶようにぽよんぽよんと私の手のひらの上で身体を弾ませた。
私に対して殿下は友人のように親しげに接してくれて、私のことを愛称で呼ぶまでになっていたが私は殿下を一度も呼び捨てなどしたことがない。
それなのに呼び捨てにしてほしいというのはなぜなのだろう。国が滅びたからもう自分は王子ではないということなのか。
そもそも、このスライムは自我があるようだが中身は殿下なのだろうか。それとも、私が最初に呼んだ名前を自分の名前だと認識しただけの一匹のスライムなのだろうか。
疑問を解消するためにいくつか質問を投げかけてみるも、言葉が離せないどころか身振り手振りもできないのでいまいち要領を得ない。
殿下の遺体が魔物化したのはまだいいがよりにもよってスライムとは。もう少し意思疎通ができそうな魔物になってくれればよかったのになぜスライムなのだろう。
頭を抱えた私は、広場の中で一番損傷の少ない騎士団長の遺体を見て一つの仮説を思い浮かべた。
殿下、いや便宜上シオンと呼んだ方がいいかもしれない。彼に与えた賢者の石はワイバーンの魔石のものだった。決してスライムの核のものではない。
彼がスライムとして魔物化したことに賢者の石の質が関係ないのならば、遺体が人の形をしていなかったせいでスライムとして魔物化したのではないか。
そしてその仮説が正しいのならば、比較的きれいな遺体をしている騎士団長に賢者の石を与えれば人の姿の魔物へと変化し、彼から説明を聞くことで今のこの状況が少しは改善されるかもしれない。
しかしそんな身勝手な理由で人を魔物化してもいいのだろうか。シオンの件は事故だったが、魔物化するかもしれないとわかっていて試すのは人体実験と同じだ。
死体を扱うのだから厳密には人体実験とは言えないので、命の冒涜には違いないが問題ないとも言えるだろうか。
そもそも私の行為を責めることができる人間はもうこの国に存在しないのだから、気にする必要もないのかもしれない。
ぐるぐると考え込んでいるうちに自分の行為を正当化しはじめた私は、結局知的好奇心に負けて騎士団長の遺体へと近付いた。
魔封箱を開けてどの賢者の石を使えばいいか迷った私は、彼が赤獅子と呼ばれていたことを思い出しキマイラの魔石製のものを取り出して遺体の上に置く。
彼の死に祈りながらしばらく待つと、賢者の石が遺体に沈むように吸収されていくのを見てひとまず安堵した。
しかしそれから半刻ほど待ってみても、彼の肉体は一向に魔物化しなかった。どの手順で間違えたのだろうかと、シオンが魔物化した時のことを思い出しているうちにある事象が足りていないことに気付く。
殿下の名前を呼んだ瞬間に、魔力をずるりと抜き取られた感覚だ。おそらく、名前を呼んだことで私が名もなき魔物であったシオンに名付けをしてしまったのだろう。
魔物化するにあたって不安定だった彼の存在は私に名前を付けられたことで安定し、私の魔力を使ってすぐにスライムへと姿を変えることができたのかもしれない。
この仮説が正しければ、彼の遺体を触って名前を呼んでみればいい。だが世情に疎かった私は彼の名前を知らないことに気付き、悩んだ末に新しい名前をつけることにした。
「ピオニー」
名前をつけた瞬間、再び魔力が抜き取られる感覚に襲われたが今回は心の準備をしていたので動揺しなかった。
魔力が抜かれるのと同時に、慌てずに空気中の魔素を体内へ取り込めば眩暈も起きない。
そしてシオン同様騎士団長の身体も光を放ち、光の眩しさが落ち着くとそこには魔物として意識を取り戻した彼の姿が――
「え?」
ぱちりと開かれた彼の獰猛な瞳を見て、私は言葉を失い背中を冷や汗が伝う。
シオンと違って騎士団長は、いやピオニーは生前と同じく二メートルはありそうな巨躯のままで魔物化することに見事に成功した。成功したのだが。
「貴方が私の主様か」
生前の騎士団長と同じ低い声。言葉も話せるし意思疎通もできそうだ。ただひとつ、予想外だったのは。
ピオニーと名付けられた彼は、ふさふさの鬣と尻尾を持った二足歩行の獅子の姿で魔物化していた。




