99 ストロボ
場所はユーカリプタスで人気の歌劇団の営む、月下美人劇場。劇場内に併設されたレストランの個室には、甲高い声が鳴り響く。
「今回の演目もとってもよかったわ!ミオもそう思わない?」
「そうね。アネモネに歌劇を気に入ってもらえて何よりだわ」
忙しそうなアネモネを息抜きのために歌劇の鑑賞に誘ってみると、二つ返事で了承されたどころか今すぐ行こうと興奮気味に捲し立てられ、そのまま流れるように予約を個室の予約をとって夜の部を鑑賞することになった。
アネモネがベラドンナを連れてきたので新しい臣下と交流でも深めたいのだろうかと思ったのだが、本人に聞いてみるとただの布教だと返された。
布教と言っても宗教の話ではなく、ダチュラたちの世界で布教という言葉は自分の好む文化を友人へ伝播するための行動にも使うらしく、言い得て妙だと気に入ったアネモネもその表現を使っているようだ。
ユーカリプタスで着実に人気を博しつつある歌劇という文化にアネモネにも触れてもらい、感想を聞かせてもらおうという算段だったのだが、既にアネモネは月下美人歌劇団が発足されてすぐのタイミングで劇場へ足を運んでいたらしい。
そして好奇心で観劇して以来歌劇にすっかり夢中になり、演目が変わる度に訪れるどころか同じ演目でも気に入った物なら何度も鑑賞するほどのめりこんでいるのだとか。
「ガランが最近アネモネに会ってないと言っていたから、魔王業で忙しいのかしらと思っていたのだけど楽しい日々を送っているようで安心したわ」
今回の演目で主演女優の素晴らしかった箇所を早口で解説していたアネモネにそう伝えると、彼女の顔色が僅かに曇った。
もしかすると、ガランと何かあったのだろうか。喧嘩でもしたのかと頭を過ったが、先日のガランの様子からはそのような気配は感じられなかった。
「ねぇ、ミオは歌劇の演目みたいに燃えるような……相手のためなら死んでもいいとすら思えるような本物の恋ってしたことある?」
「え?そうねぇ……恋をしたことは何度かあるけれど、毎回燃え上がる以前に相手と深い仲にはなれなかったから」
突然の質問に戸惑いつつも、アネモネの真剣な深紅の瞳を見て私も茶化さずに答えを返す。
一番長続きした恋はシオン相手の時だと思うが、あの時もシオンとは友人どまりだった。そもそも王子と一介の錬金術師が恋仲になるなどあり得ない話で、友人になれたことすら奇跡だ。
そしてあの頃はこれ以上の恋はないと思ってはいたが、今思い返せば自分の実力を唯一認めてくれたシオンに軽率に靡いてしまっただけのような気もする。
ただ、だからといってあの恋が偽物だったとも思わない。彼を好きになったことも後悔していない。そもそも、恋に本物も偽物もあるのだろうか。
「ダチュラとベラドンナは?」
「私は以前もお話した通り騙されて駆け落ちした男がいましたけれど、記憶から消し去りたい存在でしかありませんのでとても本物の恋とは呼べませんわね。前世でも何度か恋はしましたし恋人になった方もおりましたけれど、相手のために死ねるほどかと聞かれるとちょっと……」
「あるわけないじゃん。悪魔で本気の恋したことあるやつの方がレアじゃない?」
つまり、誰も本物かはともかく燃えるような恋はしていないらしい。個室にいる全員から答えを聞かされたアネモネは、暫し押し黙った後に意を決して口を開く。
「あのね。あたし、ガランと初めて会った時に目がちかちかするくらい眩しくて、胸が苦しいくらいに高鳴って、どうしても欲しいって思ったの。今までそんな風に思ったのはガランだけだった」
アネモネの表現は、まさしく歌劇や恋愛小説で描かれる恋に落ちた物の心情そのものだ。
彼女は私を含めたここにいる者たちとは違い、一方的とはいえ現在進行形で燃え上がるような恋をしている。
そんなわかりきったことをどうして今さらと不思議に思っていると、アヒージョのスキレットが乗せられた卓上焜炉にアネモネが徐に魔法で火をつけた。
ゆらゆらと揺れる炎を見つめて、アネモネは深いため息を吐く。
「でもね、最近思うようになったの。あたしのガランに対する想いって、もしかして恋じゃなくて――推し対象としてなんじゃないのって」
「推し?」
「だって、歌劇団のムーンダスト様に対する気持ちも同じような感覚なんだもの……!」
ダチュラによると、推しというのは創作物や著名人に対して抱く好感のことらしい。
なるほど、アネモネはどうやら歌劇団の女優にも恋に似た感情を抱いており、自分の気持ちがわからずに混乱しているらしい。
聞く人が聞けば笑われそうな微笑ましい悩みではあるが、アネモネは至って真剣だ。ならば私も、真剣に向き合ってあげたい。
「あのね、アネモネ。好きって感情には色々な形があると思うわ。友情と恋情の違いだけではなくて、恋愛感情の中でも星の数だけ形があると思うの。その全てに、本物だとか偽物だとか決めようとするのは無理じゃないかしら」
「確かに……同じ恋愛を題材にした脚本でも色々なパターンがあるものね」
アネモネが娯楽として嗜んでいた歌劇は、思いの外彼女にとって感情の勉強になっているらしい。
「あなたはガランのことが好きでそのムーンダスト様のことも好きになった。好きな物が増えたのなら、それはとても喜ばしいことなんじゃない?」
「そうね、言われてみればそうだわ!それに今すぐ答えを出す必要もないわよね。三百年間もガランに片想いしてたんだし、もう数百年このままでも特に困らないはずだわ」
最終的に自分で落としどころを見つけられたアネモネが元気になったようで、私は安堵する。
そして元気になったアネモネに、少しだけ意地悪をしてみることにした。
「実はね、私今度ガランとデートをするのよ」
「デッ……!」
アネモネの瞳の中で、嫉妬の炎が燃え上がる。それだけでも彼女の気持ちは火を見るより明らかなのだが、彼女が自分で気付くまでは黙っていた方が良さそうだ。
「もしかしたら私とアネモネは、恋のライバルになるかもしれないわね?」
「そ、そんなの……」
わなわなと震えるアネモネの表情に笑ってしまいそうになるのをぐっと堪えながら、彼女の次の言葉を待つ。
恐らく彼女は、こう言うだろう。
「そんなの最高じゃない!あたしとミオが恋のライバルなんて……まるで歌劇の世界だわ!」
予想した通りの返事がキラキラした瞳と共に返ってきて、私は思わず破顔する。
人間同士である王子と錬金術師の恋ですらあり得ないのに、竜の魔王と新人魔王の恋なんて成り立つはずもないというのに。
心の中でこっそりと自嘲した私は、なぜか胸の奥がちくりと痛んだことに気付かないふりをしたのだった。
ジギタリスも歌劇が好きでアネモネにお供してよく観に行くのですが、今回はベラドンナへの布教活動のためにお留守番係です。




