10 裸の王様
騎士たちに連行されるまま城の地下へ降りて重い鉄の扉を潜ると、暗くてひんやりとした地下牢に足を踏み入れた。
いつもの作業着と白衣のまま連れてこられたので、春とはいえ少し肌寒い。
既に罪人たちが入れられている小さな牢屋が並んでいる廊下を通り過ぎると、比較的大きめの天井付近の窓から光が差す空間へと出る。
看守たちが過ごす場所だろうか、暗闇が続いていたので僅かな光でも目にすると不安だった心が少し落ち着いた。
さらに地下に降りてまた暗い廊下を進み、辿り着いた独房の部屋に徐に押し込まれた。
「特に説明は何もないのね……」
それが不満だというわけではなく、罪人というのはこんな扱いなのだなぁと一知識として受け入れる。
独房の中を見渡すと、何も乗っていない机と椅子、便器と洗面台、簡易的なベッドのみがある。
石で作られた湿っぽい部屋自体は僅かにカビの臭いが鼻をつくが、ベッドシーツは清潔に見えた。
身体検査はされたが手足が拘束されていないのは、私が自害をしたとしても特に困らないからだろうか。
出入り口は頑丈そうな鉄の扉と人が通れない大きさの鉄格子の窓のみなので脱出の心配もしていないに違いない。
もっとも、脱出できたとしてもする気などさらさらないのだが。
「ミオソティス様、失礼致します」
やることがないのでベッドに腰かけてやりかけだった他の研究のことを考えていると、聞き慣れた声が鉄の扉越しに聞こえた。
返事をすると、シオン王子が研究室へ遊びに来る際いつも隣で控えていた側近の男が扉の小窓を開けて顔を覗かせる。
ノックをせずに問答無用で開ければいいものを、罪人相手に随分丁重な扱いだと私は心の中で笑った。
てっきり何も聞かされないまま口封じのために処刑されると思ったのだが、彼は今後の私の処遇について端的に説明をしてくれた。
私を処刑する表向きの理由は、魔女狩りのためということになるらしい。
一般的に禁術に手を出した魔術師を裁く行為だとされているが、国に害をなす可能性のある人物を裁く上で最も使い古された手法である。
女性を相手によく使われるが、この国では男性の魔術師が罪を犯した時に使用されることも少なくない。
私の場合は魔術師ではないが錬金術師なので、賢者の石を作るという研究の名目で禁断の薬や兵器を調合したということにされるのだろう。
その説明を聞きながら、そういえばこの男は眼鏡をかけていたのだな、殿下には圧倒的に負けるが意外と目鼻立ちの整った顔だったのだなとぼんやりと考えていた。
シオン王子といた時は背景のように捉えていたから、こうして一対一で話すことは今までなかったので新鮮だった。
「なぜ彼の提案を拒んだのですか?」
説明が終わればそのまま退散するだろうと考えていたのに、側近の男は突然私に質問を投げかけてきた。
殿下から頼まれでもしたのだろうか、眼鏡の奥には理解に苦しんでいる表情があからさまに滲み出ている。
どうせ誰かが兵器を作ることになるのだから、拒否したところで誰を救えるわけでもないのに。それならば自分の命を優先すべきだろう、とこの男は思っているのだろう。
その考えも一般的にはあながち間違いではないが、私にとっては大きな間違いだ。
「私には錬金術しかありませんから」
幼い頃から父親をはじめ、その存在を否定され続けてきた私にとって錬金術は初めて自分を認めてもらえた唯一の存在意義だ。
錬金術師になったことで初めて人に存在を受け入れられ、誰かの役に立つことができた。
私が兵器を作ることを拒んだことによって守ったのは、兵器によって被害者になる人々ではない。私の誇りで、人生そのものだ。
私の言葉を聞いて納得したのかそうでないのかはわからないが、彼はしばし沈黙を挟んだ後にそっと小窓から小さな箱を差し出してきた。
「あのお方からです」
受け取った赤銅色の箱を何気なく開いて、私は思わず息を呑んだ。
その中に入っていたのは、私が処刑されることになったきっかけでもあり、私が生み出した最愛の子と言ってもいい赤い輝きの石のついた指輪。
今朝完成させたばかりの、私の研究の集大成で最高傑作である賢者の石だった。
「最後の夜を、少しでも心穏やかに過ごせるようにとのことでした。他にもご所望のものがあれば、最大限融通しても良いそうです」
殿下の計画を邪魔することになってしまった大罪人など容赦なく切り捨ててしまえばいいものを。
心臓を握りつぶされたように胸がつんと痛くなり、目頭が熱くなった私は賢者の石を指に通す。
賢者の石を身につけた途端、胸に巣食っていた重苦しさがすっと引いたのを感じてやはり私の研究結果は間違いなかったのだと再確認した。
この指輪が背中を押してくれるのなら、人生の最後にちょっと勇気を出してみよう。
まるで心に羽が生えたように軽くなった私は、意を決して目の前の男に嘆願する。
「それなら、私の研究室の洗面台の引き出しから持ってきていただきたいものが――」
恐らく彼は今から私が指定した物を取りに行き、中身を検閲して訝しがるだろう。
何で人生の最後にこんなものを必要とするのだろうと困惑し、或いは嫌悪し、殿下にも報告するかもしれない。
それでも私は、賢者の石があれば悲しい気持ちを肩代わりしてくれるのだから何も怖くはない。
暗くて狭い地下牢に幽閉されていても、私の心はどこへでも自由に飛び立ってゆける。
指輪の大きさは調整できるようになっているのでどの指でもよかったのだが、無意識に左手の薬指を選んでいた私は賢者の石をそっと撫でる。
恐れや憎しみは消えてなくなっていたけれど、殿下の顔を思い浮かべる時の胸の苦しみだけはいつまでも消えなかった。




