91 重なる思い
「私は決めました。アレス様がなさらないのであれば、私が代わりに魔人と戦います」
ミーアは立ち上がり俺の方を見て、胸の前で小さな両手を握り締めていた。
俺が何もしないことで……ミーアが犠牲になるつもりなのか?
視界が暗くなるような目眩がしていた。
「何を言って……そんな馬鹿な話」
「アレス様は、私を守ってはいただけないのですか?」
握りしめていた拳の力は無くなり、肩を少し落としているようにも見えた。
ミーアは何を言っているんだ?
強者と戦う? 俺の強さを知っているにも関わらず?
俺がミーアを守る? そんなことが本当に可能なのか?
幾つもの疑問が浮かんでくるが、どれも決定的なものはなく、ただミーアの言葉に戸惑うことしか出来なかった。
その中でも一つだけ確実に言えることがあるとするのなら……。
「止めてくれ……ミーアを失いたくはない」
「それは何故ですか?」
何故と聞かれると言葉に詰まる。
助けたいと思う理由、今でも思い出せるほどに残酷な結末。
その回避のためにと、俺は一人で空回りをしていた。
「以前から、私に婚約破棄を勧めようとしていたのでは有りませんか? それなのに私のことなど……いつもです、いつもアレス様は何も仰ってはくれない!」
「ミーア」
ミーアからはこれまでにも何度も見てきた涙を浮かべていた。
その涙を見る度に後悔ばかりしていた。
こんな事をしたくないのにと、言いたくもないのにと……言い訳を並べ逃げて、ミーアの優しさに甘えていた。
「それなのに失いたくないなんて……アレス様のお考えが分かりません。私では……私の何がご不満なのですか?」
不満なんて何処にもない……あの時からミーアが婚約者でなくなれば、最後の時に俺一人だけでラスボスを倒してゲームが終わるものだと思っていた。
けれど今は、パメラやメアリもいて、ただ婚約破棄すればいいという話ではなくなっている気がする。
なら彼女達を置いて、一人で立ち向かえばいいだけの話だ。
強者を倒すためにと各地を転々とし、魔物を倒し今よりももっと強くなって、そうすれば目的を果たせるかもしれない。
だけど、そんな事をすればミーアは俺を探すために追いかけると言った。それで死ぬことだってあり得る。
そんな事になって欲しくないから、俺はもうミーアの隣りにいることを決めた。
「幼い頃に突き放された時、すごく悲しくて辛くて、毎日泣いてばかりでした」
「あの時は悪かった。うまく説明はできないが、俺は一人でいる必要があったんだ。それがいつの間にか、レフリア達と居るようになって、メアリとも婚約者にされた」
「はい……」
結末の修正は今では予測不可能で、だから俺に出来ることなんて最早何もない。
ミーアを助けることも仮にミーアじゃなくて他の二人だとしても、俺はそれを納得できるのだろうか?
そんなことばかりを何度も考え、何も解決にはならない。
だから、俺はもう諦めるしか選択肢がなかった。
手を加えれば加えるほど、もっと取り返しの付かないことになるかもしれないから……それでも、心の何処かで諦めきれなかった。
「色んな事がありすぎて訳がわからない。俺はどうすればいいんだ? 俺のせいでミーアを危険な目に合わせるとか……そんなのおかしいだろ? あえて強者に立ち向かう必要なんてないだろ?」
「アレス様! どうか、逃げないでください!」
その時、ミーアの唇が今度ははっきりと触れていた。
目の前にはミーアの顔だけが、その閉じられ瞼にははっきりと分かる涙があった。
ほんの数秒の間だったが、ミーアを引き剥がすことも、体を動かすことすら出来なかった。
「な、な、何を……どういうつもりなんだ?」
「私を……いえ、私達をもっと頼ってください。アレス様はお一人では有りません」
そんな事は分かっている。
でも、なんで!?
どうしてそこまで俺にこだわると言うんだ? もういいだろ?
お前の目の前にいるアレスは、本来のアレスじゃないんだ……だというのに、顔が火照っているのを感じる。
俺はミーアを抱きしめていた。
「申し訳ございません。また、このようなはしたない事をしてしまい」
「いや、それは別に、だな……」
「実はこれで二度目なのですよ?」
「ああ、あの時か……別に皆を突き放しているつもりはないが……すまない」
何という不意打ち。くそっ、顔が熱い。
一体どうなっているんだ? ミーアはこんなに積極的じゃなかっただろ?
それなのに、鼓動は早く心が少しだけ軽くなり嬉しいと思ってしまった。
もっとミーアと一緒に居たいとさえ思ってしまう。そんな事はありえないとわかっていても、それでも失いたくないとはっきりとそう感じる。
「アレス様が呪いで倒れている時……です。幻滅されましたか?」
「え、は? ちょっと待て。え? え?」
「あの時も今のように……その、苦しそうにされていましたので、少しは元気出ましたか?」
俺達は互いに顔を赤くしたまま。ミーアは隣へ座り俺に体を寄せ、胸に頭を乗せていた。
目を閉じて恥ずかしいのだろう。でも、安心しているようにも見える。
こんな不安定な時に……歯止めが効かなくなりそうで怖い。
側に居てくれるだけでこんなにも……。
『どうかお側に居させてください』
あの誓いにも似た想いは、以前と変わらずミーアの中にあるのだろうか?
俺は怖かった。
ミーアに近づけば近づくほどに、心惹かれているのが分かってしまったから。
あの時に感じた淡い恋心が、結局はゲームの設定という恐怖が付きまとい、自分の事ですらシナリオによって作られているんじゃないのかと、それを受け入れるのが怖かった。
今こうして、隣にいて高鳴る鼓動も、抱きしめることで感じられる心地よさも、何もかもが作られたものでしか無いのだと。
「少し嬉しいのです」
「な、何がだ?」
「アレス様の鼓動が聞こえます。私と同じ様に鼓動が早くなってます。それがなんだか嬉しいのです」
こんな状態になれば、誰だって胸の高鳴りぐらいする。
好きな人が隣りにいて、身を寄せてくれる。
俺はミーアが好きになっている。だけど……この想いは作られたものではない。
手から感じるミーアの髪の毛の感触。頬の柔らかさ、溢れ出てくる欲望の数々。
『本当に好きだから、お側に居たいのです』
ミーアの想い。
それはあの頃、出会ったあの頃から変わっていなかったんだ。
俺が初めてミーアを抱きしめたあの日から……ミーアをゲームのキャラではなく、一人の女性として見ていたんだ。
だから、離れていても想いは大きくなり、出会い、一緒にいることで心から好きだと実感し、それから逃げ続けていた。
それは、自分が失敗した時の逃げ道を作っていただけに過ぎない。
ゲームのシナリオだからと諦め、それを口実にメアリがパメラがと逃げているだけでしか無かった。深く関わらなければ、受ける傷も小さくなると勘違いをして……。
「私はアレス様だけをお慕いしております。私はアレス様をお守りしますので、アレス様も私を守っては頂けないでしょうか?」
「今言うのはずるいだろ」
俺はなぜミーアを守りたいのか、離れることは何時でもできていたのに、離れることを選べなかった。
その答えは決まっていたが、ただ逃げていただけだ。
「ミーア。ありがとう」
本当は伝えるべきだと思う。
その言葉を……でも、いつかきっと、ミーアに……好きだと伝えたい。
もたれかかるミーアを引き離し、ゆっくりと顔が近づく。
ミーアはそのまま目を閉じ、初めて俺から彼女にキスをする。
俺はミーアに誓うよ。
絶対に死なせたりしないと、必ず守るとそう心の中で誓った。