71 折れる心
「アレス。起きたのかい?」
「父上。おはようございます」
父上は、俺の顔を見て少しホッとしたのか、何時もとは違い優しい顔をしている。
何時もはこっちだったな。怒られることが多くて、見え方が変わっていた。
父上には聞きたいことがあった。何故婚約者に迎えたのかを問いたかった。
今の俺が何を言った所で父上を説得できることはない。だとすれば、現状は変わらない。
「うん、おはよう。昨日は疲れているにも関わらず、無理をさせて済まなかったね」
「無理……ですか。あの程度のダンジョンは大したものではありません。気に病むことはなにもないですよ」
「アレス……怒っているのかい?」
「怒る? それは何に対してですか?」
俺がダンジョンを攻略するよりも、父上たちが行なっていたことのほうが称賛されるべきだ。
俺はただ魔物を倒していただけ。
いろんな事を言い訳にして、ただ逃げているだけだ。
「ねぇ、アレス。何で彼女たちをちゃんと見ようとはしないんだい?」
「俺が見ていないとでも?」
「婚約者が二人と、君を慕う女性。それなのに君は逃げている。その理由は私にはわからない。君は彼女たちを決して嫌っているわけでもないのに……なぜ?」
ここで打ち明けたとして、父上にとっては到底理解できる話でもないだろう。
「俺に婚約者など不要だとは思いませんか? こんななりをして、それでも俺のことを思ってくれる。これから先必ずと言って不幸になるのに、側に居ろというのは酷な話だとは思いませんか?」
「アレスには、何か思うところがあるのだろうね。私達はそろそろ戻るが、その悩みが早めに解決されることを願うよ」
「なら、俺の出番ということですね」
ならここでのんびりとしている訳にはいかないか……運ぶのは辛いけど、コレはしょうがない。そんな苦痛なんて最早どうでも良かった。
俺がしてきたことの全ては無意味でしかない。
ベッドから出ようとすると、肩を押されそのまま倒される。
「今の君には休息が必要だよ。今日一日、ここでゆっくりさせて貰うと良い。私達の事は心配しなくても良いんだ。ソフィとアトラスもいるからね。一緒に家族旅行の気分で帰るよ」
父上からすれば、俺に気を使わせない為に言っているのだろう。
何もしないという時間よりも、何も考えなくていいという時間が欲しかった。それなのに……一日ゆっくりしろというのか。
「そうですか。それも良いんじゃないですか?」
「アレス。君はやっぱり自慢の息子だよ。元気でね」
自慢の息子。何度聞いただろうか?
子供の頃は父上や母上、いや、あの屋敷に居るものは皆、俺をよく褒めてくれた。
だからこそ、俺は太ろうと思った。事ある毎に痩せろと言われ、屋敷の皆だけではなく、家族にさえも疎まれるつもりでいた。
婚約者であるミーアも、俺の体に絶望し一緒にいることを躊躇ってくれるものだと。俺はそう思っていた……。
だけど、シナリオはそれを許さなかった。ミーアは昔と何一つ変わらず、俺と接してくれる。
屋敷にいる使用人も、俺の容姿のことは特に何も言わない。ミーアとのことで色々と文句は言われるものの、考えとはまるで逆のことばかり起こってしまう。
「父上も……お元気で、母上にもお伝え下さい」
「うん、分かったよ。それじゃ、行くね」
こんな俺なんか、何時居なくなっても良いように。そして、ミーアとの婚約破棄をしてから、後は一人で片付けようと……それが当初の目標だった。
あの時、ミーアを追いかけなければ……。
あの時、ミーアを助けなければ……。
あの時、ミーアを受け入れなければ……。
アレスの意思か、俺の迷いなのか、俺はまだ離れることが出来ないでいる。
ミーアには死んでほしくないと、そんな思いで俺が最初に間違えたのは、学園に通ったことだ。
あの日からずっと一人で居れば、ミーア達の様子を見なければ……だが、関与さえしていなければ、今頃どうなっていたのかわからない。
あのまま逃げられたのかもしれない。あるいは……
『過去が変えられないのなら、これからを変えていけばいい』
我ながら何とも馬鹿なことを言ったもんだ。今の俺は過去にとらわれ、反省でも教訓でもなく、後悔を繰り返している。
あの時の彼女と何も変わらない。
「ああ、やっぱり来るんだな……ミーア」
扉の前には、三人の反応がある。あの後どうなったのか、今はそんな事を考える気力も残っていない。
静かにドアが開き、ミーアは少しだけ顔を出し部屋の様子を探っているが、それを見ていた俺と目が合い、いつもの笑顔を見せてくれる。
「アレス様。お目覚めになられたのですね」
「ああ。おはよう」
「おはようございます」
「おはよう」
二人は心なしか元気が無さそうに見えた。
俺が意識を失った後、それぞれ後悔をしていたのだろう。
しかし、掛ける言葉が出てこない。
元気がないのも、目を腫らす事になったのも全部俺のせいだと言うのに……。
泥沼に仕立てのは俺なのに、何故ここに敢えて三人で来るのだろうか? 心配だから? 俺に好意を持っているから?
俺の視線に二人は怖じ気付いている。
しかし、ミーアだけはそんな事も気にせず俺の所までやってきた。
「どうしたんだ?」
「私達は、街の復興のお手伝いをするつもりです。アレス様は如何なされますか?」
何時ものように、何時もと変わらないように、けれど彼女は自然を装っている。
明るい声で振る舞う。たとえ、手を伸ばし、頭や頬を撫でとすれば拒むこともなく受け入れるのだろう。
怯えた二人とは違って……それは、ミーアが主人公であり、アレスはただの攻略者によるものだ。
これだけミーアが俺に対して臆する事が無いのは、決別しようとしていたあの日から、ミーアの心を強くしてしまったのだろう。
「父上に今日はゆっくりしてろと言われた」
「そうだったのですね。お疲れの所失礼しました。レフリア様には私からお伝えします」
「ああ。分かった」
「それでは、後でまた伺います」
彼女達が退室して、一人になるとベッドの中へ潜り込み何もする気が起こらない。
頭の中に渦巻いているのは、過去の後悔ばかりだった。たら、ればを繰り返し、答えなんて見つかりもしないのに、考えを止めることが出来なかった。
そして、何もかもから逃げるように眠りへと入っていった。
夕方にミーアが訪れ、街の現状や今必要なものと細かく説明されたが、俺はただ生返事を繰り返した。
夕食を運んできたり、就寝前にもわざわざ挨拶へやってくる。
今の俺に何を望んでいるのだろうか?
「アレス。朝だよ」
「ハルトか……お前に起こされるとは、何のようなんだ?」
俺はやっぱり馬鹿だな。何でミーアのことを考えていたんだ。
他の誰でもこうしてやってくることは、それが当たり前のことだろう?
今になって何を期待していると言うんだ?
「せっかく起こして上げたのにさ。皆、食堂で待っているよ」
「分かったよ」
考えようによっては、ハルトに起こされるというのは、俺と会うのが気まずいそう考えるのが妥当だろう。
俺もどう向き合えば良いのかわからない。
重い足取りで、ハルトの後ろを歩いていた。
「おはようございます。アレス様」
ミーアは昨日と変わらず、二人からもいつものような挨拶を受け、席に案内される。
しかし、何故ミーアが来なかったのかを考えている自分に苛立ちすら感じる。
エプロンを付け、食堂のテーブルに朝食を並べる彼女の姿を見て、安堵している自分が堪らなく情けない。
「今日は随分と辛気臭い顔をしているわね」
「レフリア様? そのような発言お控え頂きたいですわ」
レフリアに対して、メアリは睨みを効かせ反論している。
突然の言葉にたじろぐレフリアは、ミーアに助けを求めるかのように視線を流していたが、微笑んで返しただけだった。
「ご、ごめん、なさい。だって、ね?」
「アレスとはいつもこんな感じだから、許して貰えないかな?」
「そうですか……何も知らず申し訳ございません」
「メアリもこの程度、気にすることはないだろ? 俺のような醜態は忌避される所を、レフリアはわざわざ話しかけてくれるだけでも立派だろ?」
俺がそう言うと、食堂には乾いた音が鳴り響いた。




