63 メアルーン・ロンダリア
雨が降りしきる中、慌ただしく空からアレスが突然やって来て、メアリを残してさっさと去ってからも、二人は見つめたまま動くことがなかった。
どちらとも一歩たりとも動くことはなく、互いを見つめ合っていた。
その状況の中、先に動きを示したのはレフリアだった。ただ腕を組み、なぜアレスが彼女をこの場所に連れてきたのかを考えていた。
突拍子もない事を当たり前のようにしてくるのがアレス。
それが分かっていたとしても、レフリアにとって今は最も会いたくもない人物の一人だった。
彼女の名前は、メアルーン・ロンダリア。
今回の事件の首謀者の一人、ロンダリア伯爵の娘。その彼女は敵陣ともいえるドリアン男爵の屋敷にいる。
アレスが彼女のことを理解し、ここにわざわざ連れてきたという事は、レフリアの頭の中には想像すらしていない。アレスが訳ありだから匿ってくれと、そう言っていることで何も知らないまま連れてきたと予想していた。
レフリアはため息を漏らすものの、メアリは姿勢を正したままじっと見つめているだけだった。お腹の前で手を重ね凛と立ち、レフリアと対峙したまま視線を反らさず雨に打たれていた。
「中へどうぞ」
雨に打たれる彼女を見て、このままにもして置けず屋敷の中へ招き入れた。
メアリは深く礼をしてから、レフリアの横を通り過ぎ部屋の隅に佇んでいた。
レフリアが彼女にタオルを差し出すと、メアリは再度深く頭を下げて、両手を差し出していた。
だけど、その礼儀正しい所作に激しい嫌悪感をレフリアは抱いている。
これまでとは違うそんな彼女を見て、自身の髪を拭く手に自然と力が入り、髪が数本小さな音を立ててちぎれていた。
受け取ろうともしないメアリの手にタオルを渡す。
彼女から違和感しか感じ取れない。
事情を聞かされていないレフリアは、彼女が敵であると認識していた。
しかし、彼女を連れてきたのはアレスであり、更には匿って欲しいと。
そのためレフリアにはどう接するべきか……どう、対処するべきかを判断しなければならなかった。
「お気遣い頂き、深く感謝申し上げます」
「!?」
以前の彼女であれば、頭を下げることは勿論。下位爵家に対して礼を言うなんてありえなかった。
レフリアは距離を取り、自然と剣の柄を握っていた。
それは反射的なものであり、彼女の低姿勢そのものが何かの企みにさえ思えていた。
レフリアにとって彼女は最も忌むべき相手であり、憎悪の塊のような相手だから警戒するのも当然の行動だ。
幼少から彼女に何度も虐げられ、持っている物を取り上げられるのが当たり前だった。
そして、取り上げられたとしても、感謝の言葉を口にするのはレフリアの方だった。『お使い頂き有難うございます』と……。
何度も何度も搾取され、事あるごとに良いように使われてきた。
「剣を抜いても構いませんが、わたくしは何もすることはありません」
「それはどういうことなのですか?」
「言葉通りにございます。わたくしの事を警戒されるのも無理はありません」
その真っ直ぐな視線に、レフリアは掴んでいた剣の柄から手を離す。
「ソファーにお掛けになったらどうですか?」
「そう、仰るのでしたら、失礼致します」
レフリアは置かれているベルを鳴らすと、ミーリアがやってくる。
中にいる人物を見せないようにドア越しに、お茶を用意してもらうように告げる。
カップを二つということに、疑問を抱くも快く引き受けていた。
重要人物である彼女を、このままにしても置けず、雨に打たれ冷えた体を温めるためお茶を用意させた。
レフリアは何時でも剣を抜くことができる。レフリアは対面に座ることもなく、睨みつけていた。
こんなことをすれば、彼女にとって腹立たしいことだったが……レフリアのことを気にする様子もなく、ただ一点を見るだけで、何もすることはなかった。
そんな対立のなか、ミーリアが部屋に戻ってくる。
ワゴンを押し、中へ入るが……座っている人物を確認し、彼女の体は何かを拒絶するように震えだしていた。
レフリアを見るが、一度だけ頷くだけで……震える手でお茶の用意をする。
「お茶をお持ちいたしました……」
ミーリアは、震える手でメアリに紅茶を差し出す。それは、また熱い紅茶を掛けられる恐怖によるものだった。
あれは、メアリの誕生日での出来事だった。
招かれたミーリアは、彼女に挨拶を済ませると態度が気に入らないと、火傷はしなかったもののまだ熱い紅茶を掛けられドレスを台無しにされたことがあった。
ミーリアが震えている理由は、その場に居合わせていたので当然その事を知っている。
更にしての階級であるミーリアに対して、彼女がどうするのかを見ていた。
「お気遣い、ありがとうございます」
これまでとはまるで違う彼女の行動に、様子をうかがっていた。
さっきとは違い、座っていたこともあって軽く頭を下げる程度だった。
「い、いえ」
ミーリアはそそくさと部屋から出て行こうとする、レフリアは小さな声で「ありがとう、ごめんなさい」と礼を言っていた。
何かを言いたそうにするものの、ミーリアゆっくりとドアを締めた。
「頂いても、よろしいですか?」
「どうぞ」
メアリは差し出された紅茶を一口含み、小さな吐息のようなため息をついていた。
服装はともかく、その洗練された所作は貴族令嬢としての振る舞いそのものだった。
「メアルーン・ロンダリア様。なぜアレスと?」
深い一礼をしてからレフリアに視線を合わせていた。
その様子からは、敵意といったものはまるで感じ取ることは出来ない。あの頃のように蔑むこともなく、ただまっすぐに見つめる。
「その前に、レフリア様にはご訂正を申し上げます。わたくしは既にロンダリア家を追放された身、今のわたくしには家名はありません」
「そう、ですか。では、メアルーンと呼び捨てにしても?」
「お好きなように……ふふっ」
何かを思い出したのか、クスっと笑うメアリに、レフリアは思わず剣を抜き取っていた。
しかし、メアリが笑ったのはアレスとの会話を思い出していただけ。
笑ってしまったことを謝罪し、何時もとは違う彼女に少しだけ何があったのかが気になっていた。
「貴方はなんでアレスが匿うようなことに?」
気になるのはことは色々と出てくるが、ダンジョンに行っていたはずのアレスが、なぜメアリと会っていたという事実。
アレスの行動一つで、状況がどの様に変化するかわからない。
だからこそ、アークによってダンジョンの攻略にあてがわれていた。
本来であれば出会うことの無い二人。疑念はどんどんと大きくなっていく。
「アレス様がこちらに、わたくしを託したのか存じ上げません。レフリア様は私のことを怪訝なされているのも当然のことです。となりますと、わたくしは何かしらの危険因子があるということですね」
「ええ、その通りよ」
「アレス様と近しいレフリア様でも、アレス様の行動はご理解できていないということですね」
「何が言いたいの?」
それが分かれば苦労はなかった。
何を考えようにも『なぜ』が付きまとう。
「アレス様はダンジョンへ向かわれました。おそらくわたくしが邪魔だったのでしょう」
「だから……?」
「今現在において何が起きているのか、わたくしには分からないことが多い。ですので、アレス様とお会いする経緯からご説明しても?」
「ええ、話して」
レフリアは、メアリが話すことに何一つ声を発すること無く、ただ聞いていた。
アレスの襲撃を受け、ルーヴィア子爵がロンダリア伯爵との会談の後。
メアリは父である、ゼスゲインに呼び出され、ダンジョンの視察を命じられた。私兵である冒険者を十人程任され、暴走の危険を調査する簡単なものだった。
三階層へと辿り着き、ある程度進んだ所で、先頭を歩いていたメアリは魔物が現れると突き飛ばされ、なんとか魔物を倒したときには、周りには誰も居なく置き去りにされたのを理解した。
当然一人になったことでパニックになっていた。
武器は所持していたので、上へと目指しているが、魔物たちと遭遇し逃げだした。地図もなくさまよい、あの袋小路でアレスによって助けられた。
「朝になって気がついたのですが、これを……」
「これは……!?」
「アレス様にはお見せしておりませんが、私の荷物の中にそのような物が入っておりました。何の目的があったのかは存じません。なぜ敢えて入れたのかさえも」
一枚の手紙を読み進めていると持っている手が震えていた。
メアリ自身、これが何故入れられた物かも分からないと言った。
わざわざ最後に書かれている名前に、レフリアは恐怖を覚えた。
何故こんな事を自分の娘にと。
そう、この手紙を書いたのは、彼女の実父であるロンダリア伯爵によるものだった。