57 心優しい兄上。だから許して
ぶらりと屋敷を見て回るが、手入れがまだ行き届いていないから、ホコリとかもそれなりに残っている。
ああ、なるほどな……。
窓の外からは小さな畑が見えている。あの畑だけで一体どれだけ苦労をしてきたのだろうか?
たった四人になってもここを離れることもなく、この場所に居続けていた。
一階では、ローバンから来た私兵たちが慌ただしくしている。
そのあたりの状況や、残っている人達の保護などやることは山積みだ。
そんな中、俺は何もできることもなく、ただ歩き回ることしか出来ない。
荒れ果てた庭には草が生い茂り、石畳からも草が伸びている。
これだけの広さであれば、きっと花が好きだったのだろう。花壇の面影は消え、以前ならこのアーチにも花が咲いていたんだろう。
「アレス様?」
「ミーリアか……ここには花でも?」
「はい。もう三年は手入れをしておりません」
三年か……俺がまだダンジョンに居たときぐらいからか。
ミーリアは、今年で十七だったよな。俺の先輩として、学園に在籍をしていたのだろうな。
そんな事をできる状況でなくなっていたのだろう。
「私はこの場所が好きでした。母は、この場所に来ては庭師と一緒になってよく花の手入れをしたり、土を触ったりしておりました」
ここは、彼女にとって思い出深いものか……一見分かりづらいが、手入れをしようとしていた痕跡のようなものもあるな。
草を刈っては、途中で止まり、またやってはの繰り返しのようだな。
「もう少しの辛抱だと思う……だけど、俺には確約したことは言えない。俺でなく俺の父上や兄上を信じてくれ」
「いえ、アレス様のことも信じております。私はこれで……」
「ああ」
ミーリアが立ち去った後も俺は、ここに広がる草を眺めていた。
風に揺られ、葉が擦れる音が聞こえる。
手に集めようとする風が、辺りの草を撫でていくだけだ。
魔力を全力で出しすぎたことによる後遺症なのか、普段から使っていた魔法を作り出すことも出来ない。
草を風の刃が薙ぎ払い、風によって刈り取った草が巻き上げられ一箇所へと集まると炎によって燃え上がる。
そんな事は簡単に今までなら出来ていた。
「上手くいかないな」
風を集め、一箇所に留める。手のひらに集まることもなく、何度も草を撫で続けるだけ。
草をむしり取り、魔力を集めるが燃え上がることはない。
「どうなっているんだか……」
魔力糸を伸ばそうにも、形態を維持することもなく、途切れると霧散するだけ。
俺の調子がこんなだと、せっかく来た貰った父上や兄上のどうやって説明すればいいんだ?
きっと二人は俺を戦力としてみているはずなのに……このまま何も出来ない、今のように見ているだけなんてありえない。
「これなら……どうだ!」
集めた魔力は制御されることもなく、圧縮された魔力により大きな音だけが響き渡る。
俺はそのまま倒れ込んだ。
制御できなかったことで、さっきの衝撃により手には痛みを感じていた。
「アレス。何をしていた?」
「兄上……魔法の制御の訓練を少し……」
「それで? 失敗でもしたというのか?」
その言葉通りをまだ理解したくはなかった。
今まであれだけ自信家だった俺に、魔法が使えないとただのデブでしか無い。
それだけはどうしても認めたくはなかった。
「大丈夫です。もう少しすれば以前の感覚は戻りますから、俺に構わず戻ってください」
「そう無理をするな。今のお前にできることは、まず休むということだ」
「そんなこと……」
「アレス。君はよくやっている、僕の自慢の弟だよ。昔からむちゃばかりしていたよね。だけどね、僕たちはそんな君が笑っているから嬉しかったんだよ。だからね、今のようなアレスを僕は見たくないんだ」
兄上はなぜ……何で泣いているんだろうか?
俺を見たくないってどういうことなんだろうか?
「兄上?」
「アレス、自分を追い詰める必要はもうないはずだろ? 君に大きな負担を掛けたのは申し訳ないと思う。でもね……いま動かないと、アレスを守ることができなくなってしまうんだ」
「俺を守る? 兄上が?」
「僕だけじゃない、父上もだよ。今は僕たちを信じて、もう少しゆっくりと休みなさい。いいね?」
兄上に促されるまま、手を掴みそのまま俺にあてがわれた部屋へと戻される。
実質謹慎のようだけど……兄上があんな事を言ってくるとは思わなかった。
俺は皆からは嫌われているようだった。だけど、俺が笑っているだけで皆が嬉しいとは……。
俺はそのままベッドに寝転がり、兄上が言っていたことを何度も思い返していた。
「アレス様? お休みなのですか?」
ミーリアはドアをノックするものの、返事がなかったがゆっくりとドアを開けていく。
アレスが寝ているのを確認するが……その寝顔から目が離せないでいた。
一日ダラダラと寝ていたおかげか、昨日とは違って魔法の制御は少しだけ回復をしていた。
風を放つまでには至らないが、留めておくぐらいのことは出来ている。
「アレス。少し良いかな?」
「なんでしょうか?」
「君にやって貰いたいことがあるのだけど、少し話をしてもいいかな?」
思っていたのよりも早く動く必要があるみたいだな。
一日でこれだけ回復しているのなら、数日もあれば完全に回復するのかもしれない。
「ここまで来ているのですから、素直に命令でもいいとは思うけど。父上のことだからどうせ拒否できないですよね?」
「アレス? 君は何を言っているのかな? 父上はまずは君の体のことを心配してそう言っているのがわからないの?」
静かな声を発していたのは兄上だったが、背後からは言いようのない重圧を感じていた。
俺とは違い、父上の遺伝子を色濃く受け継いだようだ。
父上とは違い、首筋に剣を置くのはどうなのでしょうか?
昨日のアレは幻覚だったのかと思えてくる。
「い、いえ。そうではなくて、このようなことを招いたのは他でもない俺なのですから、言われたことをやるのが当然かと……その、心配をしてくれるのは誠にありがたく思います」
「今の様子だと、まだ本調子で無い様だったからね。それでもアレスはダンジョン攻略者だ。無茶を言っているのは分かるけど、この辺りにあるダンジョンの攻略を頼みたい」
この前暴走の危機にあった所の事を言ってるのだろう。スォークランに比べて弱い所だから今からでも問題はないか?
足元に転がっていた石を放り投げ、それに目掛けて風魔法を放つ。が、風が過ぎ去るだけで石は原型を留めたまま転がっている。
「んーー。後一日でどうなるかということになりますね」
「べつに今から行けとは誰も言っていないからね。無理だけはしないようにね」
「よっと。これぐらいならできるか」
魔力糸を使い、俺が持っている剣を宙に浮かせていた。
フヨフヨと危ない感じが残る。
「こんな芸当ができるのはアレスぐらいなものだよ」
それはどうなんだろうな。俺の他にもう一人、ずば抜けた存在が居るのは確かだ。何処で何をしているのかもわからないけど。
あいつもダンジョン攻略者になっているかもしれない。
あの時の一端しか見ていないからな……魔物の討伐数から考えると、上級者ですら太刀打ちできないレベルになっていてもおかしくはない。
「ダンジョンの数は三つ。どうやら記録に残っていないダンジョンのようだね」
ダンジョンの管理は伯爵の仕事だ。ロンダリアは、この辺りを見捨てるつもりのようだな。
ハルトの父親がこの事を知っていたかどうかだな。
それにしても……三つもあるのか。あの二つだけではないんだな。
「それは私の仕事だからね。君は何も心配する必要はない。ダンジョンをこのまま放置するわけにもいかない。やってくれるね?」
さらっと、心を見透かしてくるのは相変わらずだな。三つともなると不安要素を残したまま行くのは不味いかもしれない。
それに、上層であれなのだから多少バラけたとしても、数の異常なのは変わらない。
そして、一つは現在全くの手付かずになっている。街から離れているから、最後にするべきかな?
「わかりました。ですが、今日は休んで明日になって体と相談します。ここの場所であれば、それほど強いというわけではないので。剣を使ってでもダンジョンへと向かいます、構いませんか?」
「うん、その判断は君に任せるよ。だけどね、たまには僕と剣の訓練をしようか。その剣を見せてもらったけど、随分と使っていないようだし、錆をきちんと落としておかないとね」
サビなんて無いとは思うのですけど……。
そもそも父上はそんな時間なんて無いですよね?
「アトラス。倒れる程度に留めるんだよ」
「勿論です」
前提がおかしくないか?
俺は魔法制御したいんだよ。魔法さえ使えれば、剣なんて使わないんだし……やばい、心を読まれたのか?
兄上はあえてゆっくりと剣を抜いていたが、俺は先に大きく後ろへと下がる。
「いい判断だ。けど……近いよ?」
背後に回った兄上に、氷の壁を作るも弱々しい壁はいとも簡単に剣で切り払われる。
たったの一振りのように見えて、数十回斬るとか本当に人間なのかと思いたくもなる。
兄上にとってこの程度の距離は、まともな障壁を作れない俺にとって太刀打ちができるはずもない。強烈な蹴りを浴びせられると、俺の体はふっ飛ばされた。
何だよこれ、加減されているのを全く感じない……ぐふっ。
「まだ始まったばかりだよ? 寝ているなんて悲しいな、久しぶりに兄弟で仲良くしようじゃないか」