100 アーク・ローバン陥落
「やれやれ、何でこんな事になっているんだよ……」
パメラとの婚約の話は一向に進まない中、俺は今とあるダンジョンへ来ていた。
父上の話では、へーバイン領に上位の魔物が出現しているという報告があり、応援を頼まれていたらしいが……どう考えても俺からすれば、ただのこじつけにしか思えなかった。
『ここのダンジョン。一週間で攻略してから、ヘーバイン公爵家に来るようにね』
おかしな話だ。父上のことだから、手土産のつもりかもしれない。
何も知らないダンジョンをたったの一週間で攻略しろとか無茶すぎる。
よりによってこんな厄介なところを選ばなくても。
「でも、やるしかないか……話し合いに関しては、父上に任せるとして……それにしても、かなり気持ち悪いな」
ここのダンジョンは植物系なのだが、どいつもこいつも毒々しい色をしていた。
毒のバッドステータスは、ゲームだとそんなに問題はないのだが、現実に於いては当然厄介なものになる。
キュアポーションもあるから、まだなんとかなるだろうけど。
近くに居ないかぎり、毒になるということはなさそうだな。
「それでも、やることは変わり様がないんだけどな」
そんな余裕の状態だとしても、念の為に毒霧を避けるためにエアシールドは展開したままにしている。
さっさと終わらせて、父上と合流したほうがいいよな。
「うへっ。こんなに居るのかよ……二階層でこれか」
* * *
アレスがダンジョンを進行している中、ヘーバインの屋敷では一人の男が尋問を受けていた。
「さてと、貴方様からお越しいただいたのです。丁重におもてなしをしなくてはいけませんね」
手を叩くと一人の侍女が、ワゴンに乗っているポットから飲み物を用意する。
侍女からは、ふちの欠けた見窄らしいコップに並々に溢れたただの水が、ゴンという音を立てて置かれる。
その衝撃で水がこぼれようとも、侍女は何食わぬ顔をしている。
アークはその対応で……自分の置かれている状況が、以前と何一つ変わっていないことを理解した。
「いえいえ、私にお構いなく。用事が済みましたら、早々に宿へと戻りますよ」
アークは一刻も早くこの屋敷から出たかった。
いくら息子の頼みごととは言え、ヘーバイン公爵家への頼みは困難を極める。
ローバン公爵家といさかいは全く無いが、アーク個人だけがあまり良く思われていない。
メルスフィア・ヘーバイン。
ラティファの母親にして、ヘーバイン公爵家当主。
笑みを浮かべつつ高圧的であり堂々と殺気を放っていた。
しかし、ローバン公爵家から頂いた書状にはちゃんと目を通し、内容においても真剣に考えている。
だとしても、目の前にいる男だけは許せなかった。
「そう易易と、帰れるなんて思ってはいないでしょ? アーク・ローバン?」
そう言うと、ペーパーナイフが宙に浮きアークを捉えていた。
へーバイン公爵家は代々、魔法を専門としている家柄。
アレス同様に、魔力糸を操りナイフを自在に操っていた。
「ダンジョンの攻略には、かなりの時間がかかるはず」
「あの子だったら一週間もあれば問題はないよ」
アークが腰を上げると、ナイフはアークの目の前を高速で通り過ぎ、壁に突き刺さっていた。
はぁっ、とため息をつきソファーに腰を下ろす。
ヘーバイン公爵家を頼り、パメラとの縁談を進めることにしたアークだったが、一筋縄ではいかない彼女に困り果てていた。
ストラーデ子爵の蛮行、子爵の爵位剥奪。アレスをダンジョン攻略者として認めてもらい、パメラの能力の活用性のための婚約。
メルスフィアにとって、ローバン公爵からの提案には些か理解に苦しむものがある。
蛮行、可能性があったとして、何故自分を頼る必要があるのだろうか?
その娘の婚約にヘーバイン公爵家が、関与する必要があるのだろうか?
子爵家と公爵家の縁談であれば、両家で行えば済む話を持ち出している意図が見えなかった。
「そうね、優秀な貴方様の息子が、今から一週間でダンジョンを攻略したというのなら考えてあげてもいいわよ」
「それは嬉しい返事だね……」
今度はペンが、ソファーを突き破り、硬い床に破裂する。
アーク・ローバンという男は軽蔑する相手であり礼を尽くす必要すらない。
この程度のことでは争いの種にもならない。
アークもこうなるとは八割ほど覚悟をしていた。交渉に対して微かな希望はなく、今となってはアレスによるダンジョン攻略が必要不可欠なものになった。
先に手を打っておいたおかげで、今から一週間だったが、五日前にアレスをダンジョンに向かわせていた。
「そうそう、奥方はお元気かしら?」
「ええ、おかげさまで元気ですよ」
今度はコップが壁に当たり粉々に砕けた。
メルスフィアは面倒くさそうに頬杖をつき、アークに対して何をしてやろうかと思案を広げていた。
一方アークは、ドアを見て隣に立つ侍女からの熱い視線から目をそらし、どうやって逃げようかとそればかり考えていた。
しかし、今逃げ出せばアレスがダンジョンを攻略しようとも、交渉の機会そのものが失われかねない。
二人の間に特別な何かがあったというわけではない。
メルスフィアと険悪になったのは、今より二十年少し昔のこと……アークがこの屋敷で犯した重大なミスが原因でこのような結果になっている。
「へーバイン公爵様。私がここに居てもお邪魔でしょう?」
「貴方にその権限はあるのかしら?」
「そうは申されましても……」
「そうそう、あの時のご息女。お名前はフィールさんでしたわね。もう随分と前に嫁がれたのですわね。遅くなりましたが、ご結婚おめでとうございます」
言葉もなく頭を掻き、困り果てていた。
あえて、今持ち出す必要のない話であり、アークにとっても触れられたくないものだった。
「そうそう、貴方が来ると聞いてね。特別にあの部屋を用意しましたの。私としては、奥様もご一緒だとさぞよろしかったのに、本当に残念でしたわね」
アークは諦め、床に膝を付き額を床につけていた。
メルスフィアに対して最大の謝罪をしていた。過去に犯した過ちを清算するにはこれしか無いと思っていた
「本当に申し訳ない。私の不徳の致すところ。どうか謝罪を受け入れて欲しい」
「あのね、不徳の致すところってなによ。普通に考えて誰もあんなことはしないわよ。普通は」
ワゴンに置かれているポットを魔力糸で操り、そのままアークの頭に水が注がれていく。
こんな事をされても、アークは彼女に対して怒ることも出来ない。
それを分かっているから、彼女も容赦というものがない。
「それは……」
最大の過ちは、メルスフィアが襲爵する式にアーク、ソフィ、そして幼い息子のアトラスは、この屋敷へ彼女を祝うために訪れていたときのこと。
メルスフィアは訪れていた各貴族に対して、部屋を訪問しては挨拶とお礼をしているときだった。
そんな事も忘れていたアークは、夫婦で営んでいたのをメルスフィアに現場を見られたのだ。
そして、その時に出来た子がフィールだった。
「や、やめないかこの話は……」
「そう? 一時はあの部屋を、ローバン家専用の子作りの間として、公開でもしようかとも考えたわ」
あの部屋にあったものは全て処分され、何もない部屋は以後五年は放置されていた。
そんな事もあり、アークは唯一と言っていいほどに彼女には頭が上がらない。
「本当に申し訳ございません」
「どうやら、まだまだ侍女の数が少ないようね」
「かしこまりました。手が空いている全ての侍女を連れてまいります」
「それは、やめてくれないかな? お願いだからさ……」
侍女からの熱い視線。
そう、それはローバン公爵家当主でありながらも、まるでゴミを見るような目で見られていたのだ。
アークの所業を知る侍女は多い。
なぜなら、その当時にメルスフィアはわざわざ侍女が数十人居る中で尋問をしていたのだから。
アークもあの時のことを思い出し、ガタガタと震えていた。