66.王妃陛下つきの神官・ノア②
「もしかして、黒竜討伐のどさくさに紛れて、トラヴィスのことを消すつもりだったんじゃないですか……」
だって、普通に考えれば黒竜との戦いは相当苦戦するはずだった。トラヴィスの存在を目の上のたんこぶみたいに思っている王妃陛下が手を回していてもおかしくない。
もしそうだとしたら絶対に許せない。こぶしをぎゅっと握った私を見てノアはへらっと笑ってから話題を変える。
「あの、保護院にいる子……レイくん、だっけ」
「レイのことは……今は関係ありません」
「え~? 大神官様が養子をとるなんて前代未聞でしょ? 大神官様は神に仕え、国王陛下にも匹敵する権力をお持ちの方だ。王宮ではまだ話題になってないけど、絶対にこれから大きな波紋を呼ぶよ」
「!」
「国王陛下が賛成しても王妃陛下が反対したらどうなるかな? 大神官様だって無駄な摩擦は嫌だろう。レイ君を養子にすることを躊躇うかもしれないね。そうしたら、レイ君はサシェの町のヒューズ家に出戻りだ。前より酷い目に遭うかも」
どうしてこんなに酷いことが言えるんだろう。この旅に出発する前、私を激励して見送ってくれたレイの笑顔が脳裏に浮かぶ。ブランコを高く漕ぎながらちょっと恥ずかしそうに、でもすごくうれしそうに大神官様の養子になれることを報告してくれたレイの顔が。
――大切なものへの侮辱は、何よりも悲しい。私は怒りをこらえて口を開いた。
「レイの未来は私たちが政治的なツールとして弄んでいいものではありません。それに、大神官様もそんなものには屈しません」
「そう。……君の答えはそれなんだ」
ノアがそう呟いた瞬間、彼から光が放たれる。
それは攻撃魔法ではなくて神力による攻撃だった。構造はいろいろ違うものの、彼が私を攻撃したという事実には変わりない。
この攻撃をはね返すのは簡単。けれど、たぶんノアは怪我をする。いやこの人は全然罰せられていいはずの人なんだけど……でも。一瞬ためらった私の顔のすぐ横、背後から手がすっと伸びた。
その手から、ノアが発したのとは倍の神力が放たれる。二つの神力はぶつかり合って、一瞬でノアに跳ね返っていく。
「うわぁぁあああ!」
ちょうど、本人にヒットしてノアごと木に叩きつけられる。どしん、という衝撃に、ノアがそれなりのダメージを負ったのがわかる。そして、私を助けてくれたこの神力の持ち主も。
「……トラヴィス」
「間に入るのが遅くなってごめん。少し前から見守ってたんだけど、どうしても彼の手の内を全部見ておきたくて。でもこういうときは躊躇わずに聖女の力を使うべきだ」
「ごめんなさい」
真剣な瞳をしたトラヴィスが言うことはもっともで。私はしゅんとしながら『ぼくがはねかえすつもりだったよ?』と囁いてくるリルの身体をなでた。
ノアと私の間にトラヴィスが立ちはだかる。そして、ぶつかった木の根元でうずくまるノアに問いかけた。
「ノア。話は聞いていた。弁解があれば言え」
「ト……トラヴィス殿下。やだなあ。今のは冗談ですよ? 」
「ううん、違うよ。セレスティアに死ねって言ったよね」
そ、そっち!
てっきり、レイの未来をおもちゃにしようとしたことに怒っているのだと思っていた私は気が抜けた。少し冷静になって、ノアに向き直る。
「私がループするというサイドスキルを持っているから、殺してもいいと思ったんですね。あなたとしてはそんなに罪悪感はないし、私がいなくなればトラヴィスはトキア皇国に戻るし、でちょうどいいと」
「別に、王妃陛下の命令とかじゃ……ないから……これは僕の独断」
「どうしてそこまで」
王宮に出向して王妃陛下に感銘を受けたのがはじまりだとしても、ここまでの忠誠心はちょっと不思議すぎる。トラヴィスも同じことを思ったようだった。
「そこまでして何がほしい? ……金か」
まさかそんな。……と思ったけれど、ノアは反論しなかった。それは肯定にしか見えなくて。トラヴィスはそのまま続ける。
「ベネット商会の経営状況が思わしくないという噂は聞いている。あちこちで華やかな事業を展開しているが、その実情は火の車だと」
「さっすがトラヴィス殿下。なんでもご存じですね?」
ノアははぐらかすように笑っている。
「王妃陛下がベネット商会への支援をちらつかせていると言ったところか」
「僕は答えません。これは独断ですから」
ノアとトラヴィスの会話を聞いていて、何となくわかった。きっと、ノアの実家には王妃陛下から秘密裏に多額の支援金が渡ることになっているのだろう。だから、ノアは絶対に口を割らない。
実際に私は、三回目のループで実家が破産し行き場を失ったノアを見た。この推測は当たっている気がして、トラヴィスに囁く。
「ノアを大神官様に突き出しても無駄になりそうだわ。だって、彼はあくまで独断でやったことだと言い張っているんだもの」
「ああ。全部俺たちの憶測にすぎない。とりあえずここを離れよう。あとは大神官様の指示を仰ぐ」
「ええ。私もそれがいいと思う。でも、一言だけ言わせて」
この場を離れようとしていた私はくるりと振り返ると、木の幹に寄りかかって座り込んだままのノアに叫ぶ。
「さっき、ノアはちょっと死んでやり直すだけ、って言ったでしょう? このループの一番つらいところはね、あなたなんか助けなきゃよかった、って心の底から思えないところよ!」
「僕を助けなきゃよかった……って、なにそれ……?」
「私の人生がループ5回目だってことを考えればわかるんじゃないかしら?」
暗に、どこかのループで不幸になったノアを見たことを伝えると、彼の顔は強張った。
ボタンの掛け違いで人と人との関係は変わる。ほんの少しの変化で、自分だけじゃなく誰かの未来も変わる。たぶん、ノアと私は仲良くなれない。こうして、わざと彼の心に傷を残したくなるぐらいに。
けれど、少しでも彼に私の言葉が届けばいい。他人を傷つけることの意味を知ればいい。そう思った。
 





