44.『戦いの聖女』と彗星⑤
今回、国から派遣された私たちの仕事は住民を避難させることに尽きる。サシェの町周辺一帯から一般の人々を避難させるのが、何よりも大切な任務なのだ。
「住民の方々を駅に集めるって聞いたけれど、その後はどうするの?」
「俺たちが乗ってきた汽車に乗せて、安全な場所まで運ぶ。汽車は明日の夜まで何往復かするようだね」
「それなら皆を安全な場所に避難させられるわ」
「うん」
サシェはとても綺麗な山あいの町だった。平らな道はほとんどなくて、石畳の階段や緩やかな坂がそれぞれの家や店をつないでいる。視線を上に持っていくと、樹々や花が生い茂る丘が目に入って美しい。
さっき、避難して行く人たちが「この景色は見納めかもしれない」と話していた。今回はそうならないように私たちがここにいるわけだけれど、気が引き締まる。
サシェの町の人々に駅へと集まるように案内しながら、トラヴィスの口元が緩んでいることに気がついた私は閉口した。
「……ねえ?」
「ごめんごめん。こんな重要な任務のときに考えることじゃないね」
「私が敬語を使わないのがそんなに楽しい?」
「ううん、とってもかわいい」
放っておこう。
彼は任務が始まりさえすればそつなくこなすと思っていたこともあった。どうやら買い被りすぎだったらしい。しゃんと伸ばすまえの、気の抜けた私の背筋を返して。
と思えば、トラヴィスの視線は街角のお屋敷をとらえていた。つい三秒前までのふざけた雰囲気を一瞬で消して、厳しめの任務中の顔をしている。何かあったの、と私は首を傾げる。
「……どうしたの?」
「あそこ、誰かいそうだな」
トラヴィスが指差したのは、とあるお屋敷の窓だった。三階の端の部屋。カーテンが閉じられている。
「でも……このお屋敷は避難済みなのではないかしら? だって、中に人の気配がないわ」
「確かにそうなんだけどね。……念のために行ってみよう」
このお屋敷は、領主さまの館なのかもしれない。二つの棟に、噴水が備え付けられた庭園。豪奢な馬車が数台。
屋敷をぐるりと取り囲む柵越しに見たときには人の気配がないと言ったものの、門をくぐるとそれは間違いだったとすぐに気がついた。
庭には国から派遣された役人と騎士たちがいて、その真ん中には私がよく知っている人の顔があった。
「……お父様……いえ、スコールズ子爵。何かあったのですか」
長いものに巻かれ強いほうにひれ伏すその人の名を呼ぶと、お父様は任務中だというのに目を輝かせた。
「セレスティア! お前も手伝いをしているのか。感心だな」
「当然のことです。それよりも、このお屋敷の方々の避難は済んでいるのですか?」
「まぁ、一応……な」
「一応とは?」
歯切れの悪いお父様の言い方に、すかさずトラヴィスがつっこむ。
「いや、ここはサシェの町を治める領主の屋敷なんだが……駅に向かう馬車に乗っていた人数がリストに載っていたものと違うという報告を受けてな」
「屋敷内を捜索しましょうか、スコールズ子爵」
騎士からの提案に、お父様は首を横に振った。
「いやいいだろう。彗星が飛来しても、王国騎士団が守るのだからこの町はなくならないしこの屋敷が被害を受けることもない。避難は念のためと聞いている。それよりも、この家にとって明るみに出したくない秘密を守る方が大事だろう」
お父様の言葉に、付き添いの騎士や役人たちが息を呑んだ気配がする。
私もお父様が何を言ったのかがわからなかった。だって。この人は今、屋敷内に残っているかもしれない人を見捨てると言ったのだ。
動揺を隠せない私とは対照的に、トラヴィスがきっぱりと言い放つ。
「スコールズ子爵のお考えは十分に伺いました。ただ、私どもは屋敷内を捜索させてもらいます」
「いやいい。サシェの町を治めるヒューズ伯爵とは旧知の仲だ。この忙しいときにごたごたを起こしたくないというのも理解できる。屋敷内への立ち入りは許可しない」
「許可は必要ありません。私たちは神殿の直轄で動いていますので」
「神官殿、勝手をされては困りますな」
「住民全員を安全に避難させよ、という国からの命令に勝手に背こうとするのはスコールズ子爵のほうではないでしょうか」
トラヴィスとお父様の応酬を聞きながら、何となく話がわかってきた。
この家には、外に出したくない人間がいるのだろう。少し前までの私のように、どこかに閉じ込められ都合よく隠蔽されている存在が。
さっき、トラヴィスが指差した窓がある棟は明らかに古びていて手入れも満足にされていないように思えた。きっと、あれが別棟。そしてそこにいるのは。
『セレスティア、だいじょうぶ?』
「ちょっとだめ」
『そっか』
さっきからずっと私の魔力をもぐもぐと食べ続けているリルは、私の怒りに気がついたらしい。
ああ。もし6度目の人生があったとしたら、お父様が乗った馬車を助けなくてもいいのではないだろうか。領民が飢えないためにもっと別の道を考えよう。そんな風に思ってしまうぐらいの、ひどい話で。
薄々気がついてはいたけれど、目を逸らしていた事実――“お父様が私の境遇を知っていたのに面倒が嫌で継母のいいなりになっていた”、ということまではっきりと確定してしまった。
怒りに震える私の頭上から、トラヴィスの声が冷たく響く。
「スコールズ子爵。あなたはこの任務に就くに値する人間ではないようだ」
「神官殿、これは随分な言い草ですな。この一帯のことは私に任されています。先ほどもお伝えした通り、この屋敷の主とは親しいのです。口出しはやめていただけますかな」
お父様の発言に背後で立ち尽くす神官が蒼い顔をしたのが見えた。神官は皆、トラヴィスの身分を知っているからだ。
「俺は、トラヴィス・ラーシュ・ガーランド。神殿の長、大神官様の代理と考えてほしい」
この国の神殿と王宮はそれぞれ独立していて、国王陛下と大神官様は対等な力関係にある。トラヴィスが名乗って立場を示したことで、役人や騎士たちの顔色が変わった。けれど、お父様は食い下がる。
「わ、私は国王陛下の勅命でサシェの町に来た。神殿からの指図は受けない。大体にして、大神官様の代理とはいえ君はただの神官だろう」
苦しまぎれに言い訳をするお父様に、トラヴィスが温度のない笑みをこぼす。それは、見たことがない笑い方で。なぜか胸がちくちくとする。
「言い忘れていたが、国王は俺の兄だ」
 





