42.『戦いの聖女』と彗星③
啓示の儀を受け、マーティン様に婚約解消を申し入れて以来、私はスコールズ子爵家とは完全に疎遠になっている。
私がお父様に会うのはほぼ一年ぶりのこと。けれど、久しぶりの再会に湧き上がるのは喜びではなく嫌悪感だった。
「こんなところで……セレスティア、どうしたのだ」
「私は聖女ですから。お父様こそどうなさったのですか」
「ああ、そうだったか。今回、私もサシェの町へ派遣されてね。王都に戻っているところに、国から要請があったのだ」
なんとか表情を取り繕って会話をかわす。家族のあれこれに関しては、マイルドに表現してもぽんこつ……いえ、クズ極まりないお父様だ。
しかし人を動かすという視点で見れば優秀なのは、一度目と二度目のループでお父様を失ったスコールズ子爵領の領民が飢えたことからもわかると思う。こういった非常事態に声がかかってもおかしくはない。
「……そちらは?」
トラヴィスに向けられた、不躾なお父様の問い。できればフルネームを答えてほしくない。長いものに巻かれ、強いほうにひれ伏すお父様がこちらに来ては困る。
「トラヴィスと申します。聖女・セレスティア様に同行する神官です」
空気を読んだトラヴィスに続いて、リルも『リルです』と小声で自己紹介をした。お腹は見せなくて、いい子。まぁ、リルの言葉はお父様には理解できていないけれど。
「……ほう。セレスティアが一人前に聖女としての任務に就いているとは。マーシャやクリスティーナからはいい話を聞かなくてね。手紙に返事もくれないものだから、随分心配していたんだよ」
「……そうですか」
私が神殿に入ってすぐに招待された、エイムズ伯爵家のお茶会。そこで私がクリスティーナと継母を袖にしたことはお父様の耳に入っている。
そこでの振る舞いについて問い質す内容の手紙が定期的に届いているみたいだけれど、私は一度も返事をしたことがなかった。
最初に来た手紙に『話し合えばわかる』とお手本のような定型文が書いてあって以来、封を切る気すらなくしてしまったのだ。
マーティン様といい、お父様といい、どうしてこうもみんなゴミを量産するのだろうか。これからの任務は聖女としてきっと重要なものになる。それなのに、お父様も一緒……。正直、あまり関わりたくない。
けれど、お父様に私の落胆は通じていない様子だった。
「マーシャからはセレスティアが神殿でうまくやれていないと聞いている」
「そのようなことは。大丈夫ですわ」
「クリスティーナが昇格試験に落ちたのにはセレスティアが関わっていると聞いたが……。まさか姉妹でそんな細工をするなんてありえないだろう?」
「当然ですわ」
何を仰っているのかなお父様は?
『ねえ、ひとひねりしていい?』
さすがにそれはだめ。私は、不機嫌そうなリルをコートの中に隠す。けれど、この客車には私たち以外にも神殿から派遣された神官が乗車している。
私に関する『母親違いの妹をいじめる意地悪な姉』という誤解は解けているけれど、この会話を聞かれてはまた妙な噂が広まってしまいそうだった。
リルがひとひねりしないのなら、私がする必要があるだろう。
「黙ってください」とストレートな言葉を口にしようとした私を制したのはトラヴィスだった。
「スコールズ子爵。この客車は神殿から派遣された者たち用に貸し切られています。神力や魔力を整えるために部外者の立ち入りはご遠慮いただいております。家族としての語らいが必要でしたら、王都にお戻りになってからがよろしいかと」
穏やかながらも有無を言わせない物言いにお父様がぐっ、と固まったのがわかる。
「そ、そうだったな。すまない、神官殿」
「いいえ。ご理解いただけて何よりです」
トラヴィスの上品な笑顔に見送られてお父様は奥の客車へと消えて行った。私はため息をついて、彼に頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「セレスティアのお父上は……随分な人だ」
「エイムズ伯爵家のお茶会に一緒に出てくださったトラヴィスなら、何となくわかっていたでしょう?」
「まぁ、そうだね」
苦笑しつつ、トラヴィスは続けた。
「お礼はいいから、約束して欲しいな」
「……何をですか?」
「サシェの町に着いたら……というか、もう今の時点で単独行動は慎んでほしい。きみの父親が面倒なことを言うかもしれない、だけじゃなく任務には危険がつきものだ」
「……はい」
彼からのお願いは神官として当然のことだった。
遠征任務は今世では初めてだけれど、4回目までのループでは何度も経験がある。いろいろな危険と隣り合わせの、緊張感ある任務なのだ。突然矢面に立たされて死んだ聖女もいる。まぁ。二度目の人生の私のことだけれど。
すんなりと頷いた私に、トラヴィスは少し面食らった様子を見せる。
「素直だね。もっと嫌がるかと思った」
「任務ですから。私も、あなたの命を危険にさらしたりはしません」
「……頼もしいね」
「どうぞよろしくお願いいたします」
私が手を差し出すと、彼は手を握りかえしてくれた。ごつごつとしているけれど、ひんやりとした優しい手。
聖女としてはすっかり慣れたはずの、神官との同行。今から王都に帰るまで、私はトラヴィスとずうっと一緒に過ごすことになる。
これまでのループでも、相棒だった神官とはそうやって過ごしてきた。気安い関係だったと言えるのはエイドリアンだけだけど(しかも最後に殺されたというオチつき)、任務中は皆と離れることはなく一緒にいた。
だから、今目の前で見たトラヴィスの笑顔にどきりとしてしまったのは何かの間違い。ドキドキしつつ実は安心したのも、一緒にいることをうれしく思う気持ちが覗いてしまったのも間違いに違いない。
「サシェの町に、セレスティアは行ったことがある?」
「……いいえ。ないですわ」
「あ、その敬語もやめてもらおうかな。この任務限定とはいえ、相棒だろう?」
「! それはさすがに」
一度目の人生ではそう呼んでいたこともあるけれど、彼の出自を知ってしまった今は無理すぎる。
「いいから。普通は神官の方がへりくだるものなんだ。このままじゃおかしいから。深い意味はない、大丈夫」
「大丈夫、って」
「あ、そうだ」
楽しげなトラヴィスは、私の耳元に少しだけ唇を近づけた。距離はきちんと取ってくれているけれど、急な接近に眩暈がしそうだ。
「俺は神官として、聖女・セレスティアに仕える。ただ、もし命を懸けたとしたらそれは神官としてじゃない。覚えておいてね」
「!」
『命を懸ける』なんてふざけているのかと思えば彼の瞳は真剣で。私の声にならない悲鳴とともに、汽車はサシェの町へと向かっていた。





