38.不機嫌なトラヴィスの本音
「彼に何を言ったの?」
大神官様のお部屋で、なぜか少し怒っているトラヴィスを前に私は首を傾げた。
「全然心当たりが……」
ないわけではないけれど、まさかハンカチ一枚でころんと落ちる人っているのかな。あ、いたかもしれない。しかも、4回目のループのエイドリアン張本人だった。
大神官様は頭をかきかき仰る。
「昨夜、エイドリアンがわしの部屋を訪れ、急にセレスティアと組みたいと言い出してのう」
「足からはなぜか血が流れていて、自然治癒を待つ状態ではなかったらしい。シンディーを呼んで回復魔法をかけることになったそうだよ」
いや、ハンカチは?
ぽかんとした私に、トラヴィスはずいと一歩近寄って続ける。
「昨日図書館で会ったときにはそんな素振りなかったよね?」
「ええ、まあ」
むしろ私は怖がって震えていたぐらいです……。
「もう、いっそのこと全員をセレスティアの護衛につけるかのう。まぁ、それぐらいしてもいいとは思うのじゃ」
「あの、お忙しい神官方を無駄に働かせないでください」
「しかし、セレスティアが神殿に来てから半年以上がすぎた。そろそろ外での任務も出てくるじゃろう」
大神官様の返答に、私は言葉を詰まらせる。そう。ここから私が知っている数年間はイベントが目白押しなのだ。
まず気をつけないといけないのは、少し後に到来する彗星だった。彗星による被害を避けたら、次はその彗星によって勇者が召喚され、同時に長い眠りについていた黒竜が目覚めてしまう。
4回のループすべてで私の役割は違ったけれど、ここからしばらくはひとりでも多くの聖女の力が必要になる。いつまでもこうしてぐだぐだとわがままを言っているわけにはいかないのだ。
じいっ、とトラヴィスのことを見上げてみる。彼はずっと不機嫌そうにしていたけれど、私と目が合うと緊張を解いてくれた。
「なに。今、あまり機嫌がよくないんだけれど?」
「ご、ごめんなさい?」
よくわからないけれど謝ってみる。すると、ぷっ、と笑う気配がして大神官様は部屋から退出されてしまった。リルはここに来る途中にあった中庭でお昼寝中。いま、この部屋には私たちの二人きり。
トラヴィスは応接セットのソファではなく、床にしゃがみこみ頬杖をつく。
「……セレスティアの良さを知る人がたくさん出てきたのは本当にいいことだと思う。正直、初めて会った日は後ろにいる4人の神官の態度に引いたし」
「……私も、どなたと組んでも大変そうだなって思いました」
「だから俺に組もうって言ってくれたんだよね?」
「確かにそう申し上げましたが……」
目を逸らして濁すと、トラヴィスはへらりと顔を引き攣らせ笑った。自分が不誠実だし、ひどい態度なのはわかっている。
でも、私はこの人だけは好きになってはいけない。もしトラヴィスに殺されるなんてことになったら、こんな風に希望を持って次のループを生きられない。
トラヴィスの下から見上げてくる子犬みたいな眼差しはいつもと大きなギャップがあって、きゅんとする。……違うそうじゃないのに。
どうしたらいいのかわからなくなって、私も一緒にしゃがんでみた。顔が近づいて、トラヴィスがはー、と息を吐く。
「……エイムズ伯爵邸のお茶会のあと、一方的に想うだけならいいだろう、って言ったのがよくなかった?」
「確かにそれは大きかったです」
「でも、言わずにいられなかったんだ」
「それは我慢してくれたらよかったのに。そうしたら、」
「俺を側に置いてくれた?」
「!」
自然にハイ、と答えそうになった私は慌てて頭を振った。期待をさせることがどんなに酷いことかぐらいは私にもわかる。
「確かに言ったよ? 選ぶのはセレスティアだって。でも」
子どもっぽい言い方に、彼の素が出ているようでどきりとしてしまう。
「……どうして俺じゃだめなわけ」
◇
「……ねむい……」
「どうぞ」
さっと差し出された枕に、私は目を丸くした。
昼下がりの図書館。調べ物があって私はここまで来たのだけれど、なぜか枕を差し出してくる神官がいる。
彼の名はエイドリアン。数日前、私が怪我を気にかけたことで絆されてしまったらしい神官だ。
こんなとき、いつも助けに入ってくれるのがトラヴィス……なのだけれど、今日は大神官様のお供で出かけてしまっていた。
「あの……今日もクリスティーナとお約束を?」
「いえ、彼女には今度の昇格試験におすすめの参考書をいくつか推薦しておきました。あとはご自身で地道にお勉強されれば問題ないかと」
枕のこともエイドリアンが私と組みたいと言ったこともすべてが謎だったけれど、クリスティーナが試験に落ちそうなことはわかった。
とりあえず、枕を受け取る。
4つの力を持つ私のスケジュールは、聖女としては少し特殊だ。これまでのループでは同じ力を持つ聖女たちと一緒に修行し任務に就くことが多かった。
けれど、今世は聖属性の魔力が膨大かつフェンリルを連れていることもあり、基本的に大神官様直轄で動いている。
その関係で日中はこの図書館に来ることが多いのだけれど、恥ずかしながらここのところは寝不足が続いていてうとうとしてしまうことがあった。
「それで、どうして枕を」
「……必要かと思いまして。まだ承諾はいただいていませんが、聖女様と組むのは初めてで。少しでも助けになれればいいな、と勉強しております」
この人だめだ。いや、図書館で眠くなる私も大概だけれど。
4回目のループでクリスティーナにあっさり騙されるのもわかる。気がつかなかったけれど、一人に傾倒するともう抜け出せないタイプなのだろう。
そして、彼が完全にこちら側だということも把握した。
とりあえず、私はこの前の人生で私を殺した犯人に同情しつつ、三日連続図書館でうたた寝をしてしまったことを深く反省したのだった。
 





