◇◆二十六話 鮫人◆◇
鮫人。
人と魚の混ざった、半人半魚の妖魔である。
人魚のような形態が基本だが、全身を二本足の人間の姿に変えることも、逆に、ただの魚に変えることもできる。
――美魚は、かつて竜王妃の宮へと贈られた、贈り物の動物だったのだという。
十二の宮に住まう十二人の妃達に、皇帝が宮の名にちなんだ贈り物を贈った。
幻竜宮の竜王妃には、流石に空想上の竜を贈ることはできなかったので、代わりに、美しい魚が捕らえられ贈られたのだ。
その魚が、魚の姿に変身していた美魚だったのである。
隙を見計らい逃げようと考えていた美魚だったが、彼女を受け取った竜王妃は、何を思ったか『この贈り物の魚を食べたい』と言い出したのだ。
美魚は竜王妃に食べられそうになり、慌てて正体を明かしたのだという。
……竜王妃らしいハチャメチャなエピソードである。
何はともあれ、食われそうになった美魚は自身の正体を晒し、実は妖魔の鮫人であるということを彼女にバラしたのだ。
その正体を知ると、竜王妃は美魚を『面白い奴だ』と気に入り、自身の側近の宮女という立場を与えた。
最初こそ、自身に巻き起こっている状況に混乱し、なんとか隙を見計らい脱出せねばと考えていた美魚だったが、竜王妃と共に過ごしていく内に、徐々に彼女に惚れこんでいった。
そしていつしか、幻竜宮内で当たり前のように生活するようになったのだ。
ちなみに、幻竜宮に居る間は自身の妖気を押さえ込み、小恋に正体がバレないようにしていたそうだ。
それでも、何を切っ掛けに真実が露呈するかわからないので、小恋に幻竜宮から早急に出て行くように働きかけていたのである。
――それが昨夜、小恋が竜王妃から聞かされた美魚の真相である。
「くっ!」
竜王妃の中に眠っている《竜の血族》の力を覚醒させる。
その為の秘術を決行しようとした呂壬の手元から、美魚は竜王妃を取り返すことに成功した。
彼女は、湖の中心に立つ呂壬の元まで泳ぎ、竜王妃をかすめ取ると、再び湖面に着水。
「姫様! 少しの間、辛抱を!」
そしてすぐさま、竜王妃を抱いて潜水する。
現在、その下半身を魚のものへと変貌させた彼女の遊泳能力は、正に水を得た魚。
すさまじい速度で、呂壬のいる湖の中心から畔へと戻ってくる。
しかし――。
「逃がすか!」
それを容易く見逃す呂壬ではなかった。
彼は懐から札を取り出し、呪文を唱える。
瞬間、その札から光の弾丸が発射された。
放たれた光球は、水中を進む美魚に命中する。
「きゃっ!」
攻撃を受けた美魚は、その勢いのまま跳ね上がり、湖の畔に投げ出される。
彼女に抱えられていた竜王妃も同様だ。
「美魚さん!」
打ち上げられた竜王妃は当然、美魚も、衝撃で気絶している。
小恋は、なんとか二人の元に向かおうとする。
しかし、体に掛けられた重力により、身動きの全てを封じられてしまっている。
「小恋! 行け!」
そこで、後方の爆雷が叫んだ。
「爆雷、でも――」
「思い付いた! 俺の《退魔術》でなんとかする!」
同じく重力の負荷を受けている爆雷が、そう吠える。
「お前は、竜王妃達を助けろ!」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『《退魔術》を使えるようになったそうだね』
――後宮での記憶。
あの、占い師に扮した《邪法師》を倒した夜の、その翌日の事である。
爆雷は烏風に、昨夜自分の身に起こった事実を説明していた。
加えて先日、鉄の鍋が腕にくっ付いて離れなくなったことも。
『……って現象が起こったんだが、一体全体、俺の《退魔術》はどういう力なんだろうな?』
『ふむ……おそらくだが――』
そこで、突然。
烏風は印を結び、自身の《退魔術》――《怪生三昧》を発動した。
足下に浮かんだ黒い沼から、魑魅魍魎達が湧き上がり爆雷に攻撃を仕掛ける。
「うお!?」
すかさず、爆雷は力を発動。
襲いかかってきた魑魅魍魎達が、爆雷の腕――正確には、腕に触れるか触れないか位の、腕の“周囲”――に纏わり付き、『きゅー』『きゅー』と暴れている。
『いきなり何しやがる!』
『なるほど、それが君の《退魔術》か』
悪びれもせず、烏風は言う。
『私が操作しようとしても、魑魅魍魎達が他の強力な力で支配されているようで、君の腕の周囲から離れない……』
『そうなのか?』
『おそらく、だが』
顎先に指を当て、烏風は爆雷へと言う。
『“指定した対象を自身の腕に纏わせる”――それが、君の《退魔術》なのだろう』
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「《退魔術》――《理合ノ累》」
烏風によって名付けられた、自身の能力の名を呟く。
それを合図に、体内――臍の奥を意識し、力を発露する。
瞬間――湖の畔で倒れていた竜王妃と美魚の体が、爆雷の方向へと引っ張られ、動く。
「爆雷!?」
「まだだ!」
更に、爆雷は意識する。
竜王妃は右腕に、美魚は左腕に纏わり付かせるよう意識した。
それによって、二人の体は引っ張られ、飛んできている。
そこで一旦指定を解除――爆雷は続いて、両腕に“自分の体を押さえつけている力”を集中させるよう意識。
「ぐ、あぁっ!?」
小恋と爆雷、二人を押さえつけていただけの力だ。
それを両腕に集中させれば、相当な負荷となる。
ミシミシと、腕の筋肉や骨が軋み、悲鳴を上げる。
それでも、爆雷は耐える。
「今だ、行け!」
そして、合図を出す。
重力から解放された小恋は、すぐさま服の下から取り出した矢を握る。
文字通り、矢継ぎ早に放たれた矢が、次々に邪法の発動に集中していた構成員達に命中した。
「がっ!」
「ぐわっ!」
肩や足に矢を受けた構成員達は、その衝撃で邪法を解く。
「ぅおおおおらぁぁっぁあ!」
そして、すかさず起き上がった爆雷が、片っ端から彼等に拳を叩き込み、昏倒させた。
「竜王妃様! 美魚さん!」
一方、小恋は接近してきていた竜王妃と美魚の体をキャッチする。
美魚の体は、気絶する直前の魚の下半身のままだ。
しかし何はともあれ、二人の救出に成功した。
「よし! 早く、逃げ――」
刹那、だった。
そんな彼等に、呂壬が攻撃を仕掛けていた。
「逃がさないと言ったはずだ!」
自身の《邪法術》で足場を形成し、湖の上を疾駆する呂壬。
その状態で更に、先程美魚を襲った光の弾丸も発動する。
放たれた弾丸が、爆雷と小恋に向かって襲いかかってきた。
「小恋!」
しかし咄嗟、爆雷は小恋を突き飛ばしていた。
結果、二発の弾丸の内、一発は爆雷に命中。
もう一発は、小恋の脇腹を掠めるに済んだ。
「がはっ!」
「あっ――」
軽傷で済んだ小恋は、その場に蹲る。
一方、衝撃で吹き飛ばされた爆雷の体は、固い地面を数回跳ね、バタリと倒れる。
「お前達の処理は後だ」
そんな彼等を尻目に、呂壬は真っ直ぐ、寝かされた竜王妃の元へと辿り着いた。
横に並んだ美魚の体を乱暴に蹴り飛ばし、竜王妃を見下ろす。
「先程施した術は、この娘の中の《竜の血族》としての力、特殊な妖力を目覚めさせるためのもの。その準備は整った。後は――」
相も変わらず、自分の仕事を自分で誇るかのように。
仰々しく独り言を呟きながら、呂壬は懐に手を伸ばす。
その手が取り出したのは、呪文の刻まれた小刀だった。
「組織から授かってきたこれを、この娘の体に打ち込めば、血の力が覚醒する――」
「う……」
そこで、竜王妃の口から呻き声が聞こえた。
呂壬に眠らされていた彼女も、ここに至って、流石に意識が覚醒したのだろう。
薄らと開かれた両目が、小恋に向けられる。
「しゃお……りゃん」
「っ!」
小恋は自身の太腿に拳を叩きつける。
立て、動け、走れ。
竜王妃様を助けるんだ。
何が何でも、呂壬の野望を阻止しなければ。
その一心が、彼女の体を思考よりも早く動かした。
駆ける、走る。
そして、手にした小刀を、竜王妃の体に突き立てようとする呂壬。
その呂壬と竜王妃の間に、割って入った。
「な!?」
驚愕の声を上げる呂壬。
結果、呂壬の持つ小刀は、小恋の体に突き立てられる事となったのだ。
「あ……」
体を貫く衝撃に、小恋は今更ながら、自身に起こった現実を理解する。
「貴様、何を!」
焦燥感を露わに、呂壬は小恋の胸に刺さった小刀を握り直す。
「返せ!」
叫び、小恋の体から小刀を引き抜こうとする。
が、その瞬間――呂壬の手が、何かの力によって無理やり弾かれた。
「なに――」
呂壬は、思わず瞠目する。
小恋の胸に刺さった小刀が、吸い込まれていく。
彼女の体に、溶けるように、消えていく。
竜王妃の力を目覚めさせるはずだった秘術が、小恋の体に取り込まれていっているのだ。
「……――――――――」
そこで、小恋の体に異変が起きた。
彼女の長い黒髪が、その根元から色を失っていく。
白く……いや、輝くような白。
白銀に、染まっていく。
「なにが、起きている……」
呂壬の目前に立つ小恋。
髪の色が変色した彼女が、ゆっくりと双眸を開ける。
見開かれた両目。
その目の色もまた、白銀だった。
「な……」
地面に伏せ、血を吐きながらその光景を見ていた爆雷も、驚愕の表情となる。
小恋の体に起こった異変。
何より変化した、髪の色、目の色。
その色は、まるで――。
「皇帝陛下と、同じ――」
そう、現皇帝と同じ色をしていた。
「な、何が起こってやがんだ……」
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