◇◆四話 《退魔士》としての仕事◆◇
一日の仕事を終えて――深夜。
小恋は夕方、爆雷に指示された時間通りに、指示された場所へとやって来た。
後宮の中、妃達の住まう各々の宮の一つである。
現在、皇帝から寵愛を受ける12人の妃は、この夏国を構成する12の州それぞれの代表という形である。
12人の妃が住まう12の宮は、それぞれの妃の出身州の名が冠されている。
ここは、炎牛州出身の妃、金華妃の宮。
炎牛宮。
何を隠そう、今日の昼間、小恋がゴミ部屋掃除の仕事をした宮である。
(……あの人が昼間にうろついてたのも、理由があったのかな?)
夕方、この宮の廊下で爆雷に遭遇した時の事を思い出す。
あの時、彼に「水内侍府長からの伝言」を聞かされた。
どうやら、大罪人である小恋が処分されることなく後宮で生き続ける交換条件として、雑用係に降格したのに加え、夜は《退魔士》としての仕事も行え――という事らしい。
で、今回、その相方として行動する予定なのが。
「よう、時間通り来たな」
彼――狼爆雷なのだとか。
回想を終えると同時、小恋は約束の場所――炎牛宮の端の東屋に到着を果たす。
そして、夕方出会った若い衛兵――爆雷が、そこで待ち構えていた。
黒色で癖の掛かった髪に、挑戦的な目付きの垂れ目。
血気盛んな雰囲気は、木々も寝静まった夜の静寂の中でも、依然として感じられる。
「一秒でも遅刻したら、ぶっ飛ばしてるところだったぞ」
「あ、はい、それはどうも(?)」
なんと返して良いのかわからない会話を切り出されたので、そんな感じで適当に返してしまった。
荒い雰囲気は、流石は武官と言ったところか。
「おら」
と、そこで。
爆雷が小恋に、東屋のテーブルの上に置かれていた何かを差し出してきた。
何かと思ったら、蒸籠だった。
かすかに、美味しそうな匂いが漂ってくる。
「なんです、これ?」
「昼間は随分、雑用係としてこき使われたんじゃないのか?」
爆雷が蒸籠を開けると、中から現れたのは点心。
肉まんが四つほど。
「この後、疲労で役に立たないんじゃこっちが困る。きちんと腹ごしらえでもして――」
「いいえ、別に大丈夫ですよ」
小恋は、ケロリとした顔で爆雷に言った。
宮女達の小言も、体力を使う雑用仕事も、小恋にとってはどうってことない。
あの程度で疲れはしないし、むしろ好きなことをやらせてもらっているのでストレスもない。
「……んだよ、今の自分の境遇を気に病んでるかと思って、わざわざ差し入れを持ってきたってのに」
すると、爆雷は拗ねたように顔を逸らして、ぶつぶつと言い出した。
なんだ、この人。
案外、良い奴なのかも。
「でも、そのご厚意は大変ありがたいので、謹んでいただきます」
「あ、おう」
蒸籠の中から肉まんを一つ手に取り、頬張る小恋。
流石、宮廷内の料理人によって作られた(と思われる)点心だ。
柔らかくもちもちして甘い皮の中から、ジューシーな豚肉の脂が溢れ出てくる。
(これなら、いくらでも食べられそう……)
「おい、全部は食うなよ。半分は俺んだ」
(……自分も食べるんかい)
そんな感じで、二人そろってもぐもぐタイムを終え。
「さて、仕事の時間だ」
「で、何をすれば良いんですか?」
腕を伸ばし準備運動をする爆雷に、小恋が尋ねる。
「……ここ最近、この金華妃の宮で、宮女が連続して不審死を遂げている事件が相次いでいる」
歩き出す爆雷の後に、小恋は続く。
「原因となる事件は夜に起こっているようだ。目撃者もいない。妃も宮女も怯えている。そこで、俺が夜の警邏を買って出た」
「はぁ……」
「そんなある日、夜中、宮内を巡回していた俺は、偶然あるものを目撃した」
「あるもの?」
「……空を飛ぶ生首だ」
爆雷は、心底忌々しそうに呟いた。
「人間の頭だけが、空を飛んでたんだ」
「………」
「その夜、この宮内で宮女の一人が死亡しているのが発見された。あれは、まず間違いなく、妖魔の類だ。そして、この連続怪死事件の犯人」
しかし、その目撃談を証言しても誰も信用しない。
仲間の衛兵達も、寝惚けて見間違えたんだろうと取り合わなかった。
「そこに来たのがお前だ。お前、妖魔を感知することができるんだろ?」
「え、えーっと……」
「ごまかす必要はねぇよ。俺も、月光妃の件の顛末は内侍府長から聞いてる」
そこで、爆雷は立ち止まり、小恋を振り返った。
「これは幸運だ。お前の力を使って、妖魔を探し出せ。そうしたら、俺がこの手でぶっ倒してやる」
バシンッ! と、拳を手の平に叩き付けながら、爆雷は言う。
相当な意気込みだ。
しかし、妖魔を拳骨で倒すのは難儀するとは思うけど……と、小恋は思う。
「後宮の平和のためにそこまで……正義感が強いんですね」
「当たり前だ。悪をぶっ潰してこその武官だろ」
そこで、爆雷はジッと小恋を見据える。
「しかし、なんで《退魔士》なんかが後宮の宮女になったんだ。給料が安かったのか?」
「いえ、私《退魔士》じゃないです」
「は?」
「そもそも《退魔士》なんていうものが存在してることも知らなかったです」
小恋が、妖魔を感知できたり抵抗なく戦えたりするのは、幼い頃から山の生活の中で知っていたからだ。
後、父の教えもあったから。
「というか、その《退魔士》とかいう人達がいるなら、普通に雇ったりしないんですか? 後宮の中で死者が出るような事件になってるのに」
当然の疑問を、小恋が口にする。
「……しない」
それに対し、爆雷は即答した。
「《退魔士》の徴用に関しては、宮廷でも長年渋ってる。理由はまず第一に、信用できないからだ。この国には《退魔士》の組織は確かに存在するが、どうにも胡散臭いしキナ臭い。何でもかんでも『妖魔の仕業』に結び付けて、関係の無いことにまで口出しして金を毟り取ることもあるそうだ。だから、妖魔をどうこうできるっつぅお前がやって来たのは、不幸中の幸いだったのかもな」
「なるほど」
そうこう話している内に、小恋達はある部屋の前に到着する。
前回、事件が起こった際の、被害者の宮女がいた部屋だ。
この炎牛宮に住まう第五妃、金華妃の専属の宮女で、とても優秀な人だったそうだ。
「被害者は、ここで殺されてた。何か、わかるか?」
「うーん……」
小恋は意識を集中させる。
妖魔がすぐ近くに居たり、自身の存在を大きくアピールするような素振りを見せたりすれば、こっちが意識しなくても感付けるが(というか、これは目立つような行動をする人間と変わらない)、向こうが気配を殺して隠密行動等をしている場合は、集中と気力が必要になる。
全身の神経を研ぎ澄ませ、耳を欹て、脳を巡る血液を加速させるように――。
「……っ」
きんっ、と、肌を針で刺されたような刺激が来た。
「あっちです」
「よし、向こうだな!」
小恋は自身の感知した方向に向けて走り出し、それを爆雷も追い駆ける。
ただ――。
(……この気配、結構強力かも)
感知した気配は、あの妲己にも劣らない程、大きなものだった。
待ち構えているのは、大物かもしれない。
「爆雷さん、覚悟してくださいね」
「あん?」
もし何かあったら、自分が彼を守らねば。
そう思いながら、小恋は走る。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
やがて、小恋が辿り着いたのは、炎牛宮の端に位置する庭。
その奥の、竹藪の中だった。
「こっちから気配がします」
「よし……お前はここに居ろ」
「え?」
小恋が止める間も無く、爆雷は竹藪の方へとずんずんと進んでいく。
「出て来い、妖魔! この俺が直々にぶちのめす!」
(……えー、そんな大声で叫んだら逃げられるかも――)
と、小恋が思った、その時だった。
竹藪の中から、何かが爆雷の顔に向かって飛び出した。
「んな!」
雄叫びを上げる爆雷は、顔を覆われそのまま頭から地面に倒れる。
「爆雷さん!」
更にそいつは、爆雷から小恋へと飛び移り――。
――もふっ。
「へ?」
何か、小さなもふもふとした塊が小恋のお腹に引っ付いた。
見下ろす。
白と黒の毛並みの、四つ足の小さな動物が、小恋の胴体に抱き着いた状態で見上げてくる。
「ぱ……パンダ?」
『ぱんだー!』
それは、パンダだった。
しかも、子供のパンダ。
「なんで、こんなところにパンダが……」
いや……というかこのパンダ、今『ぱんだー!』って鳴かなかったか?
パンダって、『ぱんだ』って鳴くんだ……。
困惑する小恋の一方、子パンダは小恋の体にふにふにと体を擦り付けてくる。
「ああ、あったかい……って、そうじゃなくて」
「お、おい、なんだそいつは……」
強打した後頭部を摩りながら、爆雷が起き上がる。
「パンダですね……」
「なんで、後宮の中にパンダがいる!? いや、今はそれどころじゃ……」
と、その時だった。
小恋の肌に、再びピリッと痺れが走った。
妖魔の気配だ。
「爆雷さん、隠れて!」
小恋は子パンダを抱えたまま、爆雷と共に竹藪の中に飛び込む。
そして、空を見上げる。
……上空に浮かんだ満月に重なるようにして、何かが飛んでいるのが見える。
あれが、感知した気配の正体?
「……あいつだ!」
爆雷も、震える声を発する。
空を飛翔する、人間の頭部を見上げながら。
「飛頭蛮……」
それを見て、小恋は小さく呟いた。