◇◆三話 雑用姫誕生◆◇
「お呼びいただきありがとうございます! 小恋、来ました!」
大きな声で、元気に挨拶をする。
下女降格一日目の朝。
小恋は、自分を呼び出した宮女達の元へとやって来ていた。
今現在、後宮内には皇帝の寵愛を受ける妃が12名いる(うち一名は、小恋が昨日ノックアウトしたので、正確には11名)。
ここは、その妃の一人が住まう宮の端。
専属宮女の詰め所である。
「あら、誰かと思えば雑用姫様が参られたわよ」
と、たむろしていた宮女達の間から、そんな小言が聞こえてきた。
小恋は気にすることなく、詰所の中をキョロキョロと見回している。
「よく来たね」
と、一人の宮女がそんな小恋の前に出てくる。
長い髪を後頭部で丸く結わえて纏めている、長身の宮女だ。
「私はこの宮の副宮女長だ。今日は、あんたに依頼したい仕事があってね」
と言っても、別にあんたを指名したわけじゃないんだけど――と、その副宮女長は言う。
まぁ、当然だ。
下働きの下女も複数名居る。
その中から、たまたま小恋が選ばれただけの話である。
まぁ、中には仕事っぷりが良かったり、評価の高い雑用係は目を掛けられ指名されたりすることもあるそうだけど。
「こっちだよ、ついておいで」
副宮女長の後につき、仕事場へと連れていかれる小恋。
宮の中をしばらく歩き、辿り着いたのは、敷地内の端っこにある人の気配のしない小部屋だった。
「うへぇ」
そこは、正に倉庫だった。
物が積み重なり、埃もたまっている。
蜘蛛の巣までかかっているところから、大分長い間放置されているのがわかる。
まるで動物小屋だ。
当分、掃除なんてしていないだろう。
「あんたには、この部屋を掃除してもらうよ」
副宮女長は言う。
「ここは?」
「長らく使われていない作業部屋さ」
彼女によると、ここを宮女の仕事部屋の一つにしたいと思っているが、今まで手が回らなくて掃除ができていなかったとか。
「夕方まで時間をあげるから、綺麗にしておいて」
「夕方まで、ですか?」
小恋は思わず聞き返す。
「ま、安心しなよ。こっちだってハナから綺麗に片付くなんて思っていないから。埃や煤や、虫の死骸を掃き出す程度の仕事で良いよ」
「………」
さらっと言っているけど、要は一日この不健康極まりない環境で働けということだ。
黙りこくる小恋の態度に、副宮女長は眉を顰める。
「なに? 何か文句でも――」
「了解いたしました! 頑張ります!」
不服を口にすると思い、威圧しようとした副宮女長は、小恋から返ってきた元気な返事に思わず目を丸める。
「……手を抜くんじゃないよ」
それだけ言い残し、その場を小恋に任せ彼女は去っていった。
「さて」
残された小恋は、汚れた室内を見回しながら腕まくりをする。
溜まった埃、虫の死骸、積み上がった重そうな荷物、腐りかけの床板に柱。
これは、やり甲斐がありそうだ。
「まずは、換気からかな」
口元に布巾を巻き、窓を開放しながら、小恋は呟く。
さてさて、じゃあ、まずはどこから直してあげようか――と。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――そして、夕方。
「………」
様子を見にやって来た、副宮女長をはじめとした数名の宮女達は、目前の光景を見て呆気に取られていた。
「あ、お疲れ様でーす」
と、額の汗を拭いながら、小恋が言う。
汚れと不用品が堆積し、修復不可能とさえ思われていたゴミ部屋――だった場所。
そこには、見違えるほど整理整頓され綺麗になった部屋があった。
「こ、これは……」
「嘘……別の部屋と間違えたんじゃないの?」
「いえ、でもここで合ってるはず……」
付き添いの宮女達は、ひそひそと呟く。
あの有名な『雑用姫』に、この宮が抱える問題のゴミ部屋の一つが押し付けられたと聞いて、物見遊山で結果を見物に来たのだが――想像と外れていたためだ。
壁や天井にこびりついていた汚れは綺麗に拭き取られ、破損していた床板等も補修されている。
適当に放置され、足の踏み場もなかった荷物の山も、不用品は処分され、まだ使い道のありそうなものは整理がされている。
「あんた、一人でやったのかい?」
「はい」
副宮女長の質問に、小恋はあっけらかんと答える。
片田舎の山で一人貧乏暮らしをしてきた彼女が培った、リフォーム術が発揮されたのだ。
まず、収納術。
壁に木の角材で簡易的な棚を作った(必要な道具は、後宮内の倉庫からもらってきて用意した)。
床から天井までの高さの柱を二本用意し、その柱と柱の間に横板を通しただけの簡単なものだが、手間無く作れる代物である。
しかも、不要になれば取り外し、解体もできる。
棚が作れれば、整理整頓も容易だ。
続いて、普通の人間なら触るのも躊躇するような汚れや虫の死骸等は、どうやって掃除したのか?
彼女の両手は、手袋で覆われている。
要らない雑巾を縫って作った手袋。
いわゆる、万能雑巾だ。
これで、部屋の隅や溝など、指が入る場所なら細かいところの汚れも掃除できる。
他にも、宮内の食堂で蜜柑の皮を煮出した水をもらってきて、それを布に着けて木の床を拭くことでピカピカにした。
また、余った胡桃ももらってきて、それで床板の色素が剥げてしまっているところを磨き、色をごまかしたり。
ともかく、彼女の働きのおかげで、ゴミ部屋は見事に再生を遂げていた。
「今日の仕事は、終了でいいですか?」
「え、あ、うん」
依然、ぽかんとしている宮女達の元に行き、小恋は副宮女長に一枚の紙きれを渡す。
「じゃあ、ここに仕事を終えたという事で証明の印をお願いします」
これは、下女や雑用係が、依頼通りちゃんと仕事をしたという報告証明のための書類だ。
書類に、今日の仕事の内容と、依頼した宮女のコメント、仕事の評価、それと仕事が完遂したという印が押される。
これを提出しなければならない。
「あ、ああ、ちょっと待ってて……」
副宮女長は小恋から報告用紙を受け取ると、近くの棚の上でサラサラと内容に記入し、印を押す。
「はい」
そして、小恋に返してくる。
おお、評価は星の5段階でされるのだが、星5個をもらえていた。
満点だ。
「じゃあ、またよろしくお願いしまーす」
最後に挨拶を残し、小恋はその場を後にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
時刻は夕方。
本日の業務を終了させた小恋は、そのまま帰路につき、敷地内にある下女の宿舎へと向かっていた。
「そうだ、明日のために先に色々準備しておこう」
後宮内には、雑用の作業道具が保管されている倉庫がある。
棚の材料などもそこで調達した。
道具を戻しに行くついでに、まだ何か使えるものがあるかもしれないから、先に確認しておいてもいいかもしれない。
「……ん?」
と、そこで気付く。
廊下の先から、一人の男がこちらに向かって歩いてくる。
着ている軽装備から察するに、宮廷の衛兵だ。
(……警邏中なのかな?)
でも、夕刻に男の兵士が後宮内をうろついているなんて珍しい。
「おい」
すると、その衛兵は小恋の目前で立ち止まり、声を掛けてきた。
小恋と同じ、黒色で癖の掛かった髪。
下がった目尻の双眸ながら、挑戦的な目付きの――正に血気盛んな若者と言った感じの衛兵である。
「お前が、小恋とかいう《退魔士》の小娘か」
「あ、はい」
小恋が答えると、その衛兵は数秒、彼女を見定めるように視線を上下させ。
「狼爆雷だ」
そう、名乗った。
「今日の夜、仕事だ。指定した時間通りに、指定した場所に来い」