◇◆四話 囚われの小恋◆◇
――あの『雑用姫』――下女の小恋が、幻竜宮に囚われたらしい。
そんな噂が、後宮内に広がり始めていた。
内侍府で働く宦官や宮女達の間でも、朝からこの話題が交わされている。
「小恋は大丈夫じゃろうか?」
ここは陸兎宮。
縁側に座り込み、脚を揺らしながら、楓花妃が心配そうに声を漏らす。
『うさ~』
『がうがう』
楓花妃の傍に寄り添う雪と玉も、彼女を励ますようにそう鳴きながら体を乗せてくる。
「……一体、何があったんだよ?」
「わからない」
そして現在、その場には爆雷と烏風もいる。
行方知れずになった小恋と、そんな彼女の現在の状況を匂わせる噂話を耳にし、真相を究明するため皆で集まったのだ。
「理由は不明だ……しかし、宦官達の噂話によると、なんでも幻竜宮の主――竜王妃の戯れに呼び出されたらしい」
烏風が、顎元に手を添えながら言う。
「その途中、小恋が竜王妃を投げ飛ばして負かした……というのが、原因と言われているが……いや、引っ叩いたとも聞いたか」
「……よく妃をぶっ叩く奴だな、あいつ……」
そう呟いて、爆雷は頭を掻く。
「それで竜王妃の逆鱗に触れ、彼女の宮に軟禁。現在は拷問をかけられているのではないかと……」
「拷問!」
その単語を聞き、楓花妃が青褪める。
「やべぇじゃねぇか! とっとと、助けに行くべきだろ!」
焦燥感を露わにし、爆雷が叫んだ。
そこで、だった。
「いや、その情報はいささか正確ではない」
彼等の前に、一人の男性が現れる。
厳格な風格を漂わせる、鋭い目付きの男。
「内侍府長!」
現内侍府長――水である。
「厳密には、竜王妃は小恋を気に入り、自分の宮で囲っているようだ」
幻竜宮で働く宦官から情報を届けてもらった――と、水は言う。
そこで彼は、自身が聞いた情報を、爆雷達に伝えた。
「腕自慢を集めて、手合わせを?」
「その竜王妃って妃も、中々めちゃくちゃだな」
事の詳細を聞き、烏風と爆雷が驚く。
「で、その手合わせに、噂を聞きつけた竜王妃が小恋を呼びだした、と」
「ああ。そして、その戯れの結果、竜王妃と手合わせをした小恋が怪我をしたらしい」
「怪我!? 大丈夫なのですじゃ?」
飛び上がり、不安そうな表情になる楓花妃。
そんな彼女を安心させるように、水は穏やかな声で言う。
「いや、何でもその怪我というのも嘘らしい。小恋が、竜王妃から逃れるために咄嗟に嘘を吐いたのだろう」
しかし、結果として竜王妃は小恋を逃さず――介抱という名目で自身の宮に閉じ込めた。
竜王妃自らが小恋の怪我の経過を観察し、怪我が治ったら、再び自分の相手をさせる思惑だという。
「これが、私が幻竜宮の宦官から聞いた話の限りだ」
「……どうする、助けに行くべきか?」
水が話を終えると、爆雷が烏風に言う。
爆雷は、小恋の〝隠された身の上〟を知っている。
しかし今は単純に、彼女の事が心配なのだ。
「……いや」
対し、烏風は何か疑問を抱いているのか、眉間を顰めている。
「……内侍府長」
そして、水へと顔を向けた。
「気になる事があるのですが……そもそも、竜王妃のこの傍若無人な行いの数々が、なぜ許されているのでしょう? どこか、彼女は特別扱いされているような気もするのですが」
「その通りだ」
そんな烏風の質問に対し、水は答える。
「竜王妃に関する勝手な振舞の数々は、以前から問題になっていた。しかし、彼女はこの夏国でも一・二を争う権力を持つ幻竜州出身の妃。多くの才覚や、高度な身体能力を有する、通称、《竜の血族》の子孫だ」
「《竜の血族》……」
何か思い当たる節があるのか、烏風は呟きを返す。
「政治的見解からも、世継ぎの器としても、宮廷の重役達の間では一刻も早く彼女との間に子を作るべきと、皇帝陛下に進言する者も多い」
「もし、我々が勝手な真似をして彼女の機嫌を損ねてしまえば……それはそれで、また問題に発展する可能性がある、ということですね」
烏風が言うと、水が頷く。
宮廷も特別視する竜王妃。
どうやら、爆雷達が思っているよりも、とてもナイーブな問題だったようだ。
「幸い、幻竜宮の宮女や宦官達は竜王妃を宥めるために、小恋の嘘を知っても一緒に芝居を打ってくれているようだ。今のところ、支障は出ていない」
「今は様子見をするしかない……という事ですか」
「くそっ、小恋……待ってろよ」
自分達には手出しができない事を理解したのだろう。
爆雷が、近くの柱に拳を打ちつけながら、悔しげに唸る。
「おもちゃにされて大変かもしれないが……頃合いを見て、絶対に助け出してやるぞ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
……しかし、実際は、そんな彼等の心配に反し――。
「どうだ小恋、困っていることは無いか?」
「………」
幻竜宮の中での小恋の生活は、正に至れり尽くせりのものだった。
豪奢な内装に、高級そうな調度品の数々が犇めく、竜王妃の部屋の中。
羽毛を詰め込まれて作られたふわふわな布団の上に座らされ、宮女達の仕立てた高級品の衣服を着させられている小恋。
正に、お姫様のような待遇である。
……居心地が悪い。
「欲しいものがあるなら言え、取り揃えるぞ」
「いえ、特には……」
向かい合うような体勢で寝転がり、竜王妃が言う。
彼女の言う通り、食べたいものがあればすぐに用意してくれる。
暇なら書物を持って来させたり、芸者も呼ぶとも言われているが、とりあえず今は断っている。
「それで、医者は何と言っている。小恋の怪我はいつ治る?」
竜王妃は、小恋に付き添っている宮女に問う。
「はい、もう少し経過を観察すると……」
宮女はチラリ、と、小恋に目配せする。
……実は怪我なんてしていないのだが、今更そんな事を言い出せない雰囲気になってしまっているのだ。
宮女達にはこっそり話してあるのだが、彼女達も竜王妃の機嫌を損ねないように、小恋の嘘に乗ってくれている。
それだけが救いだ。
ちなみに、小恋の調子を見に来る医師とも口裏を合わせている。
「そうか」
呟いて、竜王妃はごろりと寝返りを打つ。
「まぁ、時間はかかっても仕方がない。治るまでここにいてもらうだけだ。そして万全の状態になったなら、即座に再戦をするぞ」
「………」
さて、どうするべきか……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――その夜。
看病(という名の監視)をしている竜王妃と共に、彼女の部屋で一緒に夕餉を食べる小恋。
運び込まれてきた途轍もない量の宮廷料理が、小恋と竜王妃の前に並べられていく。
「………」
豪勢な料理を前にしながら、小恋は手が伸びずにいる。
というのも、料理の大河を挟んで向かい岸の竜王妃も、寝転がった姿勢のまま食事をしようとしていないからだ。
「食わぬのか?」
座ったままの小恋に対し、竜王妃が言う。
「……あまり体を動かしていないので、食欲も無く。竜王妃様こそ、食べないのですか?」
「我もだ」
言いながらも、竜王妃は視線を逸らすことが無い。
ジーッと、小恋を真っ直ぐに見詰めてくる。
……こう見詰められていると、迂闊な行動が取れないので困る。
「……しかし」
そこで、不意に、竜王妃が口を開いた。
「このような小さな体の小娘に、我が負けるとは……本当に不思議だ」
「はぁ……」
「技能か、術理か……その謎を早急に解き明かしたい。早く良くなれ、小恋、この我の命令だぞ」
竜王妃の傲岸不遜な命令に、小恋は「はい、頑張ります」とだけ答える。
「……ところで」
続いて、今度は小恋の方が会話の口火を切った。
「竜王妃様は、どうして街中から力自慢を呼び寄せて手合わせなんて、そんな危険なことを?」
「………」
「あまりお妃様らしくないというか……そもそも、そんなこと、本来は許されないのでは?」
「許されるに決まっているだろう。この我が言っているのだ」
さも当然と言うように、竜王妃は胸を張る。
「幻竜州で暮らしていた頃、我が欲せば、父上も母上も、一族の者も民も、皆が我の言う通りに動いた」
「……なんでも思い通りだった、ってことですね」
「ああ」
竜王妃は、そこで双眸を伏せ、嘆息する。
「実につまらなかった」
「え?」
「何をやっても思い通りになり、くだらない。退屈だった。だから、皇帝の妻となり後宮に来れば、そんな退屈もまぎれるかと思って、妃に立候補した」
しかし、ここに来ても、日々は大して変わり映えはしなかった――と、彼女は言う。
「むしろ、更に退屈になっただけだ。皇帝との子作りにも興味は無い。そもそも皇帝にも興味が無い。いっそ、放逐でもしてくれればいいものを」
「………」
なるほど。
恵まれた出生。
恵まれた才覚。
恵まれた環境。
彼女は、囲われた生活の中で、なんでも思い通りになる身の上から、ずっと退屈を抱えて生きて来たのだ。
そう、小恋は気付いた。




