◇◆三話 小恋vs竜王妃◆◇
幻竜宮の奥――大広間。
そこで現在、小恋はこの幻竜宮の主、竜王妃と向かい合っている。
何のためかと問われたなら――バトルのためである。
(……どうしてこうなった)
「始まりの合図が鳴ったら開始だ」
未だ状況を受け止めきれていない小恋の一方、竜王妃は淡々とルールを説明していく。
「勝敗は、降参か失神、もしくは場外だ」
「……えーっと、あの」
半信半疑の小恋は、困り顔で問う。
「本当にやるんですか?」
「不安か?」
小恋が聞くと、竜王妃は表情を変えることなく言う。
ずっとそうだ。
彼女は常に、憮然とした顔を崩さない。
「安心しろ、数度手合わせすれば実力の程度は知れる。貴様が取るに足らん者なら、大事に至らぬように手加減してやる」
そいつら同様な――と、舞台の端に転がった男達を指し示しながら、竜王妃は言う。
彼等は、竜王妃が戯れの相手に呼び寄せた一般人の男達だ。
相手にならなかったため、今は観客となっている。
そう、腕試し。
自身の戯れ、遊びの為に、小恋や腕自慢の男達を宮へ集めた――それが、彼女の目的だ。
(……しかし、皇帝陛下や宮廷の役人に断りも無く、一般人を後宮に招くなんて……)
結構な暴挙を犯しているという自覚はあるのだろうか?
……まぁ、そういうの気にしなさそうな感じではあるけど。
「説明は以上だ。では、始めるぞ」
そこで、喋り終わった竜王妃が、舞台の外の宮女に合図を送る。
その宮女は、この試合の審判を務めさせられているようだ。
手元の鐘を、槌で叩く。
開始の音が鳴った。
間を置くことなく、大股で竜王妃が迫ってくる。
(……考える暇もくれないんだ)
どうやら、本当に本気のようだ。
瞬時に、小恋は受けの構えを取る。
刹那、間合いを一瞬で詰めた竜王妃が、拳を放ってきた。
(……ちょ、この人、マジじゃん!)
ここで言うマジとは、本気――という意味ではなく、その実力が紛い物ではないという意味だ。
速い、鋭い。
打たれる拳撃を、小恋はなんとか回避の動きで捌いていく。
「ほう」
小恋の体術を見て、竜王妃もそのポテンシャルを見抜いたようだ。
即座、攻め方が変わる。
拳を打つために伸ばされた手が、小恋の衣服の襟首を掴もうとしてきた。
「っ! とぉ!」
身を捩り、掴みから逃れる小恋。
殴り合いだけじゃない。
小恋が父から学んだのと同じ、打つ、投げる、極める……全方位に精通した戦い方だ。
加えて、そもそもの身体能力も高い。
技も力も兼ね揃えている。
(……確かに、この人は強い)
これが、幻竜州の血族の力か。
そんな風に、竜王妃の力に感心する小恋の一方――。
「……ありゃあ、ただの下女じゃないのか?」
ギャラリー達は、小恋の身のこなしに感心していた。
腕自慢の男達も、幻竜宮付きの宮女や宦官も、竜王妃と同等に渡り合っている小恋に驚いている。
(……さて、どうする)
一方、竜王妃の攻めを捌きながら、小恋は思う。
竜王妃の強さに感心するよりも、今は、この戦いをどうやって終わらせるべきか考えないといけない。
当然、妃である彼女に怪我を負わせるなんて言語道断。
(……ここは、適度に合わせて、折を見て負けて終わらせるのが吉かな……)
良さそうな攻撃が来たら、わざと当たって、ダメージを軽減しつつ倒れてしまおう。
小恋の体格自体は、決して恵まれているというわけではない。
耐久力を言い訳にすれば、それで納得してくれるはず――。
と、考えていると。
「……貴様、手を抜こうとしているな」
そう、竜王妃が言った。
「何か思案している。動きが適当になった」
(……バレてーら)
「我に誤魔化しは通用しないと言ったはずだ」
竜王妃の声に、不愉快そうな気配が混じる。
……どうやら、彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。
「手加減すれば処刑すると言ったな。変更だ。このまま我に負けたら処刑する。死ぬ気でかかってこい」
「えぇ……」
この勝負、負けられなくなってしまった。
そこで、動揺した小恋の胸に、竜王妃の鋭い掌手が見舞われる。
「う……!」
衝撃により、舞台の際まで吹っ飛ばされる小恋。
更に、一気に距離を詰め、竜王妃が追撃をしてくる。
「……もう、長く保ちそうにないな」
そんな彼女達の姿を見て、ギャラリーの男達の間からは、そんな同情の混じった声が漏れ始めていた。
――しかし。
「ん?」
「お、おい……」
そこで、男達も気付く。
徐々に、徐々にだが、押されていたはずの小恋が、逆に竜王妃を押し始めた。
「こいつ……」
と、いきなり速度とキレが加速した小恋の動きに、竜王妃も驚いている。
(……手加減をして勝てる相手じゃない)
舞台際まで吹っ飛ばされた時、小恋は決心していた。
こうなったら、細かいことは考えていられない。
本気になるしかない――と。
加えて、先程から竜王妃の攻撃に対しひたすら受けの姿勢でいたため――段々、彼女の動きがわかるようになってきていた。
(……そうだ)
小恋は思う。
この速度、この手数。
どこか、父を彷彿とさせる動きだ――。
(……なんだか、久しぶりにお父さんと遊んでるみたい)
拳が舞い、隙あらば相手の衣服を掴み、関節を狙う――そんな息を飲むような攻防の最中、小恋は父を思い出し、顔をニヤニヤさせる。
その表情に、竜王妃は憤慨する。
「貴様、何がおかしい!」
怒りを纏った、大振りな拳撃の動き。
その隙を、小恋は見逃さない。
伸ばされた腕を取り、竜王妃の体を勢いのまま、背負って投げる。
「な――!」
投げ飛ばされた竜王妃は、そのまま舞台の外に出て、着地。
審判は決着の鐘を鳴らさない。
しかし、他の誰でもない竜王妃自身が、その事実を理解し、停止していた。
「我が……負けた?」
竜王妃の場外により、小恋の勝ち。
沈黙が、広間の中を包み込む。
「……あ」
今更ながら、小恋は現状を察知。
自分の行いを理解する。
ヤバい――。
ともかく、何とかせねば――。
「あ……あーーーー! 大丈夫ですか、竜王妃様! どうやら足元が滑っちゃったようで! 場外に出てしまわれましたね! いやぁ、運が良かった良かった!」
そう、小恋は早口で一気に捲し立てると。
「では、小汚い下女はこんなところで! 本日はお招きいただきありがとうございました~」
小恋は、全力疾走で幻竜宮から逃げ出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――その翌日。
「どうしよう……」
竜王妃と手合わせをした、昨日の今日。
下男下女用の寮の庭で、小恋は仕事の準備をしている。
結局制止の声も聞かずに、あのまま逃げるように幻竜宮から帰って来てしまった。
報告書への署名も、当然もらっていない。
事情が事情だから仕方がないのだが……流石に、このまま無視を決め込むのもまずいかもしれない。
「内侍府長に相談すべきかなぁ……」
腕組みし、「うーん」と唸る小恋。
『ぱんだー?』
傍でコロコロ転がりながらノンビリしていた雨雨も、小恋が難しい顔をしている事に気付いたようで、転がるのを止めた。
すると、そこで。
「おい、そこの下女」
一人の宦官が、小恋の前に現れた。
見たところ、妃の専属とかではない、役人の一人のようだ。
「貴様が小恋か?」
「あ、はい」
「幻竜宮より、竜王妃様がお前をお呼びだ」
そう言う宦官の顔は、どこか青く染まっていた。
「……お前、竜王妃様に何をしたのだ?」
「………」
……とても嫌な予感がする……。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
再び呼び出しを食らい、小恋は幻竜宮へと訪れた。
あの荘厳な門を潜り、宮内を進み、指定された竜王妃の部屋へと向かう。
到着したのは、前回の広間とは別の部屋だが、これまた広い空間だ。
そー……っと、中を覗いてみると……。
「……おお、教坊の人達だ」
教坊――宮廷専属の楽士や踊り子達がいる。
しかし、演奏も演舞もしておらず、びくびくした様子でその場に控えているだけである。
見ると、玉座の位置で横になっている竜王妃の姿が。
何やら、不貞寝しているようだ。
「りゅ、竜王妃様、せっかく教坊の者達も呼び寄せたのですし、もう少し演目を……」
「もういい。つまらん」
傍にいた宮女が話しかけるが、不機嫌そうだ。
どうやら、楽士や踊り子を呼んではみたけど、お気に召さなかったようだ。
「あ、小恋!」
そこで、一人の宮女が、小恋が覗いていることに気付く。
「竜王妃様! 小恋です! 小恋が来ました!」
それを聞いた瞬間、竜王妃は枕に埋めていた顔を持ち上げた。
「……来たか」
そして、鋭い目で小恋を見る。
「ど、どうも……」
逃げるわけにもいかず、小恋は彼女の前に立つ。
「あのー、今日は何用で……」
「教坊から楽士や踊り子を呼んだが、どうにも気が乗らん。何をしてもつまらん……これもすべて、貴様が我の頭の中に居座っているからだ」
自身の頭を指し示しながら、竜王妃は言う。
「私が……ですか?」
「もう一度勝負だ、小恋。貴様を全力で叩きのめさねば、気が済みそうにない」
そう言って、びしっと挑戦状を叩きつけてくる竜王妃。
うぐぅ、困った……。
「えーっと、ちなみに負けたら……」
「処刑する。命懸けで来い」
「えー……」
「それと、昨日の試合は悔しいが負けは負けだ。財宝は貴様のものだ」
「えー……」
これは流石にハイと言うわけにはいかない。
ともかくこの場は誤魔化して、幻竜宮から出て、すぐさま内侍府長に助けを求めよう。
そう思った小恋は――。
「ええっと、実は昨日の試合で怪我をしてしまいまして、本調子が出せないんですよねー」
と、嘘を吐いた。
それに対し、竜王妃は。
「そうか。ならば、怪我が治るまでこの宮で暮らせ」
と、即答した。
「下女としての仕事は休みだ。この幻竜宮で療養して、本気が出せるようになったらもう一度勝負だ。それまで勝手な行動も宮から出ることも許さん」
「そ、そんな……でも、許可をもらわないと」
「何故許可が必要だ? 我がそうしろと言っているのだ。問題無い」
……おおう、強引。
正に天上天下唯我独尊である。
「いや、でも……」
流石に、小恋も断ろうとする。
が、そこで。
「お願い、小恋!」
小恋に縋りついてきたのは、周りの宮女達だった。
「……竜王妃様、小恋がいないと不機嫌になって仕方がないの!」
「……あなただけが頼りなのよ!」
ぼそぼそ声で、必死に頼み込んでくる宮女達。
「ええ……そんなぁ……」
思いがけない援護射撃に、小恋も動けなくなってしまう。
「決まりだな。では早速、小恋を我の部屋に運び安静な状態にせよ。万全の体になるまで、余計な事をせぬよう見張る意味も込め、我が直接看病する」
「「「「「はい!」」」」」
「え! え!? ちょ――」
こうして、逃げ出す間も無く。
小恋は竜王妃に拘束され、幻竜宮からの外出を禁じられてしまった――。