◇◆二話 小恋の出自◆◇
「私は内侍府長の水」
「俺は衛兵長の、拳だ。今から、お前が巻き起こした今回の騒動に関して、幾つか質問をする」
内侍府――内侍府長の職務室。
衛兵達に連れて来られた小恋を前に、二人の男が口を開いた。
「教えろ。お前は《退魔士》なのか?」
内侍府長――水と名乗った、椅子に座った鋭い目付きの男性が、そう言った。
「……たいまし?」
小恋は、その単語を繰り返し、小首を傾げる。
聞きなれない言葉だ。
「えーっと……いいえ、かな? そう名乗った覚えはないので……」
若干馬鹿にしているのでは? と思われかねない返答をしてしまったが、それに対し水は表情を崩さない。
「……自覚は無いのか」
とだけ、呟いた。
「宮女、宦官達の眼前で不可思議な現象が起こり、その中でお前が月光妃を妖魔と呼んだと報告を受けている。お前は、妖魔を認知できるということでいいのだな?」
「はい」
小恋は素直に答える。
妖魔自体は知っている。
父から知識を教わったし、山で生活している中で何度も遭遇した。
野生動物と同じ感覚だ。
「ですが、妖魔は正確には月光妃様自身ではなく、月光妃様にとり憑いている形でした。狐の妖魔……自身を妲己と名乗っていました」
「妲己……」
水は顎に手を当て、思案する。
「内侍府長、妲己とは……」
そんな彼に、拳が問い掛ける。
「……古文書にも記されている、伝説の妖魔の名だな。それと同一のものなのかはわからないが……妲己は傾国の美女。美貌で時の権力者を騙し、国を堕落させる存在。女にかまけていては国を亡ぼすという、古人の残した教訓の例えではあるが……」
しばらく、静かに黙考を続けていた水だったが、やがて――。
「月光妃にとり憑いて、操っていたのか?」
そう、予想を口にした。
「いえ」
そこで、小恋が口を挟む。
正確な情報を伝えなくては。
「月光妃様は、妲己と協力者のように会話をしていました。おそらく、二名は共謀関係にあったのだと思います」
「……そうか」
水は、小恋の言葉を素直に受け取る。
「どのような経緯でそうなったのかは、現状では判断できないが、とすると月光妃は妲己の力を用い、皇帝のお気に入りとなったのかもしれないな」
皇帝をも魅了する美貌と魅力。
もしも本当に妲己なのだとしたら、あの狐の魔力のせいとも考えられるだろう。
そして、とするなら、月光妃はそれを知っていて自身の得のために妲己と協力したことになる。
「……お前、名前は」
そこで、水が小恋に尋ねる。
このタイミングで名前を聞くかね――と、小恋は思った。
「小恋です」
「どこから来た。どういう理由で宮女になった」
「陸兎州の片田舎にいたところを、採用官に見つかって、面白半分で採用されました」
端的に質問をする水に、小恋はテキパキと返答する。
「衛兵を相手に、武器を奪って大立ち回りをしたとも聞いているが」
衛兵長の拳が、続いて問い掛けてくる。
「武の心得は?」
「幼い頃から、父親とチャンバラごっこをしていたので」
「チャンバラ?」
小恋の発言に、拳は思わず苦笑する。
しかし。
「………」
水は、小恋の顔を見据え何やら考え耽っている。
(……むむむ……その鋭い目付きで真っ直ぐ見られると、怖くは無いけど居心地が悪くなるんだよなぁ……)
と、小恋は目線を泳がせる。
「……お前の、上の名前は」
やがて、水は口を開いた。
「いや……父親の姓と名は何という」
父の名前?
何故、と思いながら、小恋は答える。
「砦志軍」
「っ」
その名を聞いた瞬間、水の薄く研ぎ澄まされていた双眸が、若干見開かれたのが分かった。
動揺している?
何故だろう?
父を知っているのだろうか?
でも、お父さんって確かあちこちを旅して回っていた旅商人だったとしか自分を語ってなかったしなぁ。
訪れた場所で仕入れた色んな知識を、小恋によく教えてくれたのだ。
「……母親は? 両親は、故郷にいるのか?」
「二人とも既に亡くなっています。今は、私一人だけで暮らしていました」
「……そうか」
水は、一瞬だけ目を瞑る。
「下がれ」
そして、先刻までの鋭い両目に戻ると、小恋にそう言った。
「此度の沙汰は、早急に下す。それまで、判断を待て」
「あ、はい」
意外と呆気無く、取り調べは終わってしまった。
小恋は退室する。
扉の外で控えていた衛兵達に事情を伝え、室内にぺこりと一礼。
そして、後宮へと戻ることとなった。
「……どうなるのかな? 私」
今後の運命に関し、一抹の不安を抱えながら。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あの宮女の処断、如何いたしますか? 内侍府長」
小恋が去った後の、内侍府長室。
拳が、扉が閉まったのを確認すると、窓の外に視線を流しながらそう問う。
宮廷の中――華やかな花々と、手入れの行き届いた景観が、この世のものとは思えない風景を作り出している。
「………」
「……内侍府長?」
自身の問い掛けに返事を返さない水に、拳は首を傾げる。
「……ああ」
何やら考え込んでいた様子の水だったが、やがて何時も通りの表情を浮かべ、顔を上げた。
そして、小恋の今後について話を始める。
「本人は自覚がないようだが、《退魔士》としての素養があるようだ。偶然とはいえ、貴重な人材かもしれない」
「でたらめを言っている可能性もありますよ? 何より、素性が不明過ぎます」
「……ああ、その通りだ。当然、まだ全てを信用できるわけではない」
今は様子を見る。
水は言う。
「まずは、爆雷と一緒に行動させ様子を見てみるか」
「爆雷……あの問題児とですか?」
「奴の夜間警邏に同行すれば、仕事ぶりがわかるかもしれない」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――翌朝。
後宮内に、小恋の処断と月光妃の安否が伝達された。
月光妃は体調を崩し倒れたため、大事を取り故郷の塁犬州に帰郷し療養することになった――と伝えられた。
真実は、妖魔の力を借りて皇帝を魅了……おそらく、国の乗っ取りでも目論んでいたのだが、大事にはできないと判断されたのだろう。
誤魔化し、内々に処理する形にしたというわけだ。
と言っても、月光妃はもう放逐されたのと同じ扱いだろう。
二度とここに戻ってくることはない。
一方、小恋の方はというと――。
「……ふぅ」
現在、小恋は掃除用の道具を担いで後宮の廊下を歩いている。
今朝、彼女にも今後の沙汰が言い渡された。
本来ならば、皇帝の妃の一人……しかも、一番のお気に入りである第一妃に手を上げるなど、処刑されてしまっても不思議ではない暴挙だ。
しかし、前述の通り、今回の真実は目撃者達の口外も含めて禁じられた。
後宮内には、新入りの宮女が何か月光妃に失礼を働いた……程度で出回っているようだ。
結果、小恋は宮女から下女へと格下げとなったが、許された。
内侍府長の慈悲深い判断……と、伝えに来た文官は言っていたけど。
(……なんだか、血も涙も無さそうな冷酷っぽい人だったけど、本当に慈悲を掛けてくれたのかな?)
と、小恋が思っていると。
そこで、廊下の前方から宮女達がこちらに向かってやって来るのが見えた。
廊下の端に寄って、ぺこりと頭を下げる小恋。
「あら? この子は……」
すると、小恋の姿を見た宮女達は、何かに気付いてクスクスと笑いだす。
「月光妃様に失礼を働いて、初日で格下げになった『雑用姫』様だわ」
「バカね、せっかく宮女になれたのに。下女に落ちぶれたら、誰にも目を掛けてもらえなくなるじゃない」
「ゴミ捨て場の猫やネズミくらいなら相手になってくれるんじゃない?」
と、通りすがりにバカにされてしまった。
「………」
小恋は頭を上げ、進行方向に進む。
確かに、彼女達の言う通りだ。
下女とは、言ってしまえば後宮内の女の中でも一番格下の存在。
皇帝は当然、宮廷に仕える男に見向きもされないような下働きだ。
見下されても仕方がない。
……しかし、当の小恋は落ち込んでいるのかというと。
「はー、よかったー!」
周りに誰もいなくなったのを見計らい、小恋は晴れ晴れとした顔でそう叫んだ。
小恋は昨日一日で、既に自分は宮女には向いていないと考えていた。
人の顔色を窺ったり、気を遣ったり、男の自尊心を持ち上げたり、楽しませたり……そういうのは、どうにも性に合わない。
(興味本位とは言え)一度後宮に入ってしまうと簡単には出られないとも聞いていたし……この転職は大助かりだ。
雑用係なら好きなことができるし、気遣いもない。
むしろ、小恋は大喜びだった。