◇◆二十話 来訪◆◇
かくして、皇帝陛下陸兎宮来訪の日。
この日に催される宴が、白虎宮・珊瑚妃も同席しての共同によるお出迎えという形式に決定した。
そのためか、珊瑚妃から楓花妃に、できる事があれば何でも協力するとの提案があった。
服や化粧品、料理のための食材や酒等、支援できるものがあれば何でも言って欲しい、と。
「……いえ、有難いですがお断りさせていただきましょう」
しかし、どこか気掛かりを覚える小恋は、楓花妃に提案を断るよう助言した。
今回、皇帝が訪ねに来るのは陸兎宮の楓花妃。
あくまでも主役は、彼女なのだ。
ならば、もてなしの酒食は全てこちらで用意するべき。
珊瑚妃は、同席してくれるだけでありがたい――と。
「ふむ……小恋の言う通りかもしれぬ。わかったのじゃ」
楓花妃は小恋の言うことを聞き、珊瑚妃からの協力を丁重に断った。
……無論、上記の理由はただの建前。
(……やっぱり、楓花妃様と違って、どこか珊瑚妃様の事は信用しきれない部分があるんだよね)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――そして遂に、皇帝来訪の日、当日。
現在、陸兎宮の入り口には、皇帝出迎えのため宮内全ての人間が総出で集まっている。
楓花妃をはじめ、全ての宮女と、下女の小恋。
「……おい、俺達も一緒にいていいのか?」
「君は知らないが、少なくとも私は現在後宮専属の《退魔士》で、この陸兎宮の警備を承っている立場だ。別におかしくはないだろう」
それに衛兵の爆雷、退魔護衛の烏風も。
『ぱんだ!』
『うさ!』
……それと一応、雨雨と雪も厳粛な面持ちで並んでいる。
「……! 来た!」
「シッ」
そんな彼女達の前に、皇帝とその側近達が姿を現した。
「凄い……重役の側近の方々も」
「やっぱり、皇帝陛下が来るとなると、こんな感じになるのね……」
ひそひそと、小声で会話を交える宮女達。
「ようこそ、お越しくださいました」
一方、皇帝の前に立ち、楓花妃が出迎えの挨拶を発する。
ぺこりと頭を下げ、練習した通りの言葉を紡ぐ。
「本日はお日柄も良く、陛下をお迎えするに相応しい日となりました事、心よりお喜び申し上げます……のじゃ」
「楓花妃」
若干、緊張で震えている楓花妃に、皇帝が言う。
「体調が回復したようで何よりだ」
厳格な声だ。
いつも、小恋と一緒の時に見せるような柔和な雰囲気ではなく、どこか機械的で威厳に満ちた佇まいである。
やはり、公の場ではこんな感じなのだろう。
「はい。ご心配をおかけいたしました」
「一時期、陸兎宮の中は大分荒れ果ててしまっていたと聞く。主として、宮の再興にはきちんと務めたのか?」
皇帝の言葉に、側近達もジロリと楓花妃を見る。
今日、彼等は単に陸兎宮に宴会をしにやって来たわけではない。
陸兎宮が再生したという噂は本当か、それを自身の目で確認しに来たのだ。
宮の管理は主である妃の務め。
宮が荒れていては、妃の管理能力の問題となる。
妃は、何も皇太子を産めばいいというわけではない。
ゆくゆくは次期皇帝の母親――皇太后となる存在。
国の統治、政治にも関わる立場となる可能性がある以上は、管理力をはじめ様々な能力も妃の魅力として審査される。
「は、はい、それは、もう」
(……あー、楓花妃様テンパってる)
あわあわしている楓花妃を見て、小恋は嘆息する。
無論、皇帝は先日一度、お忍びで陸兎宮を訪れている。
問題は無いと知っての質問なのだろうけど。
しかし、楓花妃も、皇帝を迎えるのは初めての経験ゆえ――まだ自信がないのかもしれない。
いまいち、動作がぎこちない。
(……仕方がない)
そこで、小恋が動く。
「問題はございません」
宮女達の列に並んだまま、彼女は口を開いた。
皆がギョッとして、小恋を見る。
「おい、下女如きが勝手に口を開くな! 陛下に向かって軽々しく――」
「いい、この下女の話は聞いている」
側近の宦官の一人が苦言を呈したが、それを皇帝が自ら制した。
「中々面白い下女が見つかったと、内侍府長の水が言っていた。陸兎宮の改善にも一役買っていると。その実力の程は、これから見て確かめればいい」
皇帝の言葉に、側近は「この小娘が、内侍府長の言っていた例の……」と呟きながら引き下がった。
何気に、皇帝陛下が丸く収めてくれた感じになった。
「では、案内をしてもらおう、楓花妃」
「は、はい!」
というわけで、皇帝と側近達は、陸兎宮の現状を確かめるべく、宮内の巡回を開始する。
案内するのは、楓花妃と小恋。
その後ろに、爆雷や烏風等、他の面々も続く。
「……ん?」
そこで、ふと、側近の一人が何かに気付いた。
「おい、お前」
その宦官は、宮女達の制服のところどころに、刺繍が施されているのを発見したようだ。
小恋の案で、虫食いの穴を塞いだ跡の刺繍だ。
「なんだそれは?」
「あ、これはですね……」
「まさか、由緒ある女官の制服に勝手に細工をしたのか?」
宮女が説明しようとしたところで、宦官が怖い顔を浮かべた。
あら、いちゃもんをつけられてしまったか――と、小恋は嘆息する。
「しかも、お前だけではないな。どの制服にも見当たるぞ」
「も、申し訳ござ……!」
慌てて宮女が謝ろうとした――その時だった。
「ふむ」
その刺繍を見て、皇帝が呟いた。
「それは……牡丹の花か」
(……お?)
皇帝のコメントに、小恋は小さく驚く。
赤い花びらと、中央の黄色い部分。
そう――小恋がアイデアを上げ施した刺繍の花は、確かに牡丹をイメージしたものだったからだ。
「はい。その通りでございます」
すかさず、小恋が口を挟む。
「この夏国では、牡丹はとても縁起の良い花。なので、今日この日のため宮女全員であしらってみました」
一応、何か小言を言われた時の言い訳用に考えていたのだが――皇帝に先に気付かれてしまった。
小恋の発言に、「そうか、牡丹だったか……」「昔から、牡丹は女性の美しさに例えられる名花であるしな……」と、宦官達は少し感心しているようだ。
この場も、丸く収まった。
(……皇帝陛下、ナイスアシストです)
小恋がチラリとみると、そこで皇帝が皆に見えない角度で、微笑みながら小恋に向かって片目を「ぱちっ」と閉じたのが分かった。
(……あれ? もしかして、本当に助けてくれたのかな?)
公の場故、厳格な皇帝陛下を演じているが、やっぱり内面はいつもの彼だ。
小恋は、少し安心する。
更に、そこからしばらく宮内を歩いていると――。
「これは、何だ?」
廊下の一角に、いきなり木製の柵のようなものが現れた。
それを見て、皇帝が疑問を呈す。
「はい。広さも中途半端で特に使い道も無く、死んでいた空間を収納場所に変えてみました」
小恋が木の柵を引くと、蛇腹状に伸縮する。
これは、簡易的な木製の扉だ。
隙間があるため、一応外からもそこに何があるのか見る事ができる。
「どうでしょう?」
「持て余した資材を有効活用する事は、とても良い事だ」
感心する皇帝。
すると、そこで。
「そういえば、右府大臣殿の詩の書かれた壁はどこにあるのだ? 確か、中庭の前あたりだと聞いていたが」
側近の一人が、キョロキョロと見回しながらそう言った。
ドキッ、と、その場にいた全員の心臓が高鳴る。
「彼から、陸兎宮に訪れるのであれば是非ご覧あれと言われていたのだが」
おのれ右府大臣、余計な発言を……。
「あ、あれは、その……」
何か言い訳をしようとする楓花妃だが、良い言葉が見当たらないらしい。
仕方がない、正直に言おう。
と、小恋が口を開こうとしたところで。
「日当たりの関係もありまして、俺が壁ごとぶっ壊しました」
爆雷が、先に言い放った。
「な、なんだと! お前、それは本当か!?」
当然、側近達は目を見開く。
「ちょっと、爆雷! 私は!?」
「うるせぇ、黙ってろ。壊したのは俺一人だ」
小恋が慌てて口を挟むが、爆雷は譲らない。
小恋の頭を掴み、グイグイと自分の体の後ろに隠そうとする。
くっ、この怪力め。
「な、なんということを……自分が何をしたのか――」
「そうか」
どよめく側近の宦官達の一方、皇帝の声は涼やかだった。
「だが、その壁が無くなったおかげで、この風流な庭園を眺めることができる」
皇帝の視線の先には、いつも小恋達が特訓に使ったり、楓花妃と一緒に運動をしたりしている広い中庭が広がっている。
広々と体を動かしやすいように、雑草や大砂利を取っ払って整備したのだが……その結果、かなり見栄えの良い庭になったのも事実である。
「た、確かに……」
「流麗だ。まぁ、右府大臣の詩の件は仕方がない。心の広い彼のことだ、作品が欲しければ、またお願いすれば快く承ってくれるだろう」
皇帝のその発言に、側近達も何も言わなくなる。
爆雷の立場は守られた。
そこで再び、皇帝が小恋にだけ見える角度で、ニッと微笑んだのがわかった。
(……陛下、凄く良い人なのかも)
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――というわけで、宮内の見回りは滞りなく終了。
特に強く叱責されることもなく、むしろ印象は程々良好であったと思われる。
「あの陸兎州の妃が……」「まだ若いのに……」「もしや、潜在能力はあったのでは……」などと、側近達も何やら真剣な顔で話をしていた。
そしてこれより、宴の席である。
「お待ちしておりましたわ、皇帝陛下」
宴が開かれるのは、陸兎宮の奥にある広間。
そこには既に、珊瑚妃が待機をしていた。
彼女の登場は皇帝や側近達にも内緒だったので、驚いている様子だ。
「此度の宴、私もご一緒に花を添えさせていただきます」
「ほう、妃二人での歓迎とは、豪勢だな」
と、側近達も満更ではない様子だ。
宴の準備を進める宮女達。
「小恋、小恋……」
そんな中、楓花妃が小恋を呼ぶ。
二人は宴会場の大広間の外に出た。
二人きりだ。
「どうしたんですか? 楓花妃様」
「小恋……その」
言い淀み、数瞬口をもごもごとした後。
「あ、ありがとう、なのじゃ」
と、いきなり楓花妃は言った。
「え、何が、ですか?」
「あ、ごめんなのじゃ。その、今までちゃんと、小恋に感謝の意を述べたことがなかったから……」
顔を赤面させ、楓花妃はおずおずと語る。
「小恋達のおかげで、今日の皇帝陛下の訪問は大成功じゃ。陛下のみならず周囲の重役の方々も、陸兎宮にとても良い印象を持ってくれておる」
そこで、彼女はスッと表情を落とす。
「……妾は、ずっと一人じゃった。陸兎州を救うため、父上から使命を授かり後宮にやって来たものの、正直ずっと不安で……案の定上手くいかず、そしてどうしていいのかもわからず、〝呪われた宮〟からせめて自分を慕ってくれる宮女達に魔の手が伸びないように、彼女達を逃がした……でも、一人はやはり寂しかった。孤独じゃった」
「………」
「そんな時、小恋が現れて妾を助けてくれた。冷静で、色々な知識を持っていて、頼り甲斐があって……妾は小恋の事を、姉のように思っていた。心の中ではずっと、小恋の事をお姉ちゃんと呼んでいたのじゃ……」
照れながらも、本音を語った楓花妃は、そこでぐっと、小恋の手を握る。
「小恋、お願いじゃ。これからも、頼りない妾を助けて欲しい。その、できれば、ずっとずっと、妾の傍で……」
後半になるにつれて、声が小さくなっていく。
対し、小恋は、溜息を吐きながら――。
「お安い御用ですよ、それくらい」
後宮のドロドロした争いに巻き込まれてしまった少女。
高い理想を持っていても、まだまだ幼い、子供だ。
彼女を安心させるために小恋が言うと、楓花妃はパッと顔を破顔させた。
「さ、行きましょう。中で、皆が待ってますよ」
「うむ!」
酒宴が開始する。
皇帝陛下をお迎えする役務は、まだ終わっていない。
小恋は楓花妃の手を取り、宴会場へと向かう。
まるで、本当の姉と妹のように。