◇◆十二話 珊瑚妃◆◇
「聞いたか? 陸兎宮の話」
場所は――後宮内部の、内侍府の一角。
後宮に仕える者達が行き交う、大通りの廊下である。
そこで、三人の宦官達が何やら噂話をしている。
「あの呪われた宮か?」
「下女が一人派遣されたそうだ」
それを聞いた宦官が、苦笑する。
「下女? 下女がたった一人で何ができる」
「その下女も不幸だったな」
「他に仕事をしに行く者がいないからな。宮女達は気味悪がって近寄らないし」
「それでも残った宮女達も、楓花妃様が追い出したのだろう?」
「楓花妃様も哀れだな。まだ幼いのに皇帝の妃に嫁がされ、しかも、あんな騒動ばかりの呪われた宮に来てしまうなんて」
「噂じゃ、大分やつれているそうだぞ。飯もまともに食っていないらしい」
「きっと、もうおかしくなってしまったのだろう」
「ああ、怖い怖い……いてっ!」
と、身震いする素振りをしていた宦官が、痛みを感じて頭を押さえる。
「どうした?」
「つぅ……何かいきなり……」
宦官が頭から何かを抜く。
「なんだ、それは?」
「楊枝じゃないか」
「ど、どうして楊枝が刺さっている! ど、どこから……」
「まさか、陸兎宮の話をしていたから、呪いがかかったんじゃ……」
(……アホか――)
と、そんな彼等の横を通り過ぎながら、小恋は嘆息する。
ちなみに、宦官の頭に刺さっていた楊枝は、小恋がさりげなく、指の間に弦を張り、それを使って飛ばしたものだ。
即席の弓矢のようなものである。
「しかし……」
仕事の準備がてら、人通りの多いこの場所で陸兎宮の噂話を探りに来たが、悪い噂ばかりが耳をよぎる。
そこで、小恋の耳に、また別の宦官達の会話が届いた。
「そういえば、水内侍府長が、近々《退魔士》の組織に相談を持ち掛けるそうだ」
(……ん?)
気になる内容に、小恋は耳を欹てる。
「《退魔士》? 大丈夫なのか、あんな胡散臭い連中」
「わからん……内侍府長も、何をお考えなのか……」
どうやら、内侍府長が本物の《退魔士》に応援を要請するようだ。
まぁ、妲己と言い、飛頭蛮と言い……この後宮の中に妖魔がいるのは既に事実だ。
唯一の重要参考人だった、あの炎牛宮の元副宮女長……飛頭蛮は仲間に消された。
今はとにかく、何かしらの手掛かりが欲しいのだろう。
「……あ、そうだ」
先日の夜の事を思い出していた小恋は、そこであることを思い付いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おや?」
小恋が風呂敷に荷物を詰め込み陸兎宮へ戻ってくると、楓花妃の寝室の周りに数人の人だかりが出来ていた。
「楓花妃様!」
宮女達だ。
彼女達は、寝室の前に出てきた楓花妃を取り囲み、心配そうな表情で声を発していた。
「お体は大丈夫なのですか!?」
「いきなり食事も取らず寝室に閉じ籠ってばかりになってしまって、とても心配しておりました!」
「皆の者、すまなかった」
そんな彼女達に、楓花妃は申し訳なさそうに言う。
「妾のことを心配してくれていたのに、追い出すような真似をして……」
「そんな、わかってますよ、楓花妃様」
「本当は、私達に呪いの危険が及ばないように、あえて宮から遠ざけるよう命令したのでしょう?」
「お優しいのですから」
どうやら彼女達は、楓花妃に仕えていた宮女の中でも、本当に楓花妃の事を心配してくれている者達のようだ。
「あ、小恋!」
そこで、楓花妃は小恋が戻って来ていることに気付く。
タッタッ、と小恋の隣に駆け寄ると、宮女達の方を向く。
「皆の者、紹介する。この者は、後宮で働く下女の小恋。この者が、妾の目を覚ましてくれたのじゃ」
「あなたが?」
小恋がぺこりとお辞儀すると、宮女達が驚いたように目を丸める。
たかが一介の下女が、何故楓花妃と――と、そう思ったのだろう。
「実はですね――」
そこで、小恋は事の経緯を説明する。
皇帝陛下から勅命を受けたこと。
その理由によって、この宮を訪れ、下女でありながら宮女のように楓花妃の身の回りのお世話をさせてもらう事になった件。
「そう、わざわざ皇帝陛下が……」
そこで、二人の宮女が小恋の前へと進み出た。
「初めまして、私は陸兎宮の宮女長を務めている真音」
「あたしは妹で、副宮女長の紫音。よろしくね」
「よろしくお願いします」
――似ていると思ったら、姉妹だったのか。
二人と握手する小恋。
「下女でありながら、わざわざ皇帝陛下に指名されて直々に命を受けるなんて、実はかなり信頼されているのかしら?」
「いやぁ、炎牛宮で働いていたことがあって、それが金華妃様から皇帝陛下に伝わったようで」
「まぁ、金華妃様が?」
真音と紫苑をはじめ、他の宮女達もざわざわとし出す。
「そういえば、炎牛宮も最近、例の怪死事件の騒ぎが収まって皇帝陛下のお渡りが再開したと聞いたわ」
「あなた、もしかしたらとても縁起の良い存在なのかもしれないわね」
宮女達が、どこか期待の籠った視線を小恋に向けてくる。
「この宮の呪いも、解いてくれたりして」
「はい、そのつもりです」
誰かの言ったさりげない台詞に、小恋は反応する。
「え?」
「皇帝陛下の命ですから、この宮を再生したいと考えています。楓花妃様と相談して、その手始めに皆さんに帰って来てもらいました。人手が必要なので」
小恋が、はっきりと言い放つ。
一方、それを聞いた宮女達の反応は……どこか不安が窺える。
「でも、大丈夫なの? 危険じゃない?」
「ええ、呪いを解くなんて……そんな……」
「私達にどうこうできるようなものじゃ……」
彼女達は、呪いや妖魔……この宮で起こる怪奇現象の心配をしているのだろう。
先程は冗談であんなことを言っていたが、本当は呪いや妖魔の存在を恐れているようだ。
ちなみに、陸兎宮内に妖魔の気配がないか、小恋は既に探知を行っている。
少なくとも現在、宮内に目立った妖魔の気配は無い。
けれど、彼女達は自分が何を言っても安心はしないだろう。
「ご安心ください。今日はそのために、頼りになる助っ人に来てもらっていました」
「え?」
小恋が言った、そこで。
「小恋、一通り見て回ってきたが、不審者の類はいねぇな」
一人の男が、廊下の先から現れた。
「あと、あのパンダどこ行ったんだ? また消えたのか」
「多分、どっかに遊びに行ったんだと思うよ。自由奔放だから」
改めて、小恋は宮女達に彼を紹介する。
「衛兵の狼爆雷です。この宮の警護に来てもらいました」
「妖魔が出ようが俺がぶっ倒す。この宮で妙なことが起こらないよう、俺が警邏させてもらうぜ」
先程、小恋が思いついた妙案がこれだ。
本来なら、男性の衛兵が後宮内をうろつくなんて許されないのだが、爆雷に関しては特別である。
今回、水内侍府長にお願いし、爆雷にも手助けに来てもらったのだ。
「衛兵の方がいてくれるのね」
「それなら、大丈夫かも……」
と、宮女達も少しは安心してくれた様子だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
というわけで、みんなで手分けして陸兎宮の掃除を開始する。
人員は十数人程度の宮女達と小恋だけ。
数としては、当然、他の宮に比べれば心もとない人数ではある。
しかし――。
「凄い動きね……」
「流石」
小恋の素早い、テキパキとした働きっぷりを見て、感心する宮女達。
「私達も負けてられないわよ!」
と、触発された宮女達も頑張った結果、汚屋敷は徐々にながら、元の清潔さを取り戻し始めた。
「おお……どんどん綺麗になっていくのじゃ」
皆の作業を手伝いながら、楓花妃は感動したように声を漏らした。
「いいんですよ、楓花妃様は、わざわざ手伝っていただかなくても」
「ゆっくりお休みになってください」
「何を言う。これも立派な運動なのじゃ。部屋に閉じ籠っていては、その方が体が鈍ってしまうのじゃ」
と、楓花妃も頑張り――一通り掃除が完了。
「とりあえず、これでゴミ屋敷と呼ばれる代物ではなくなったと思いますよ」
「よかったのじゃ」
廊下に立って綺麗になった内装を見回しながら、小恋と楓花妃は一緒に喜ぶ。
「あらあら、これはこれは」
すると、そこで。
二人の前に、誰かがやって来た。
「ん?」
小恋は、眉を顰める。
現れた人物は二人。
その一方は、女性だ。
編み上げられた綺麗な髪に、化粧の施された美貌。
高身長の体形、すらりと伸びる長い足。
身に纏った衣装を翻し、美麗な様相を見せている。
「あ」
と、楓花妃が反応する。
「珊瑚妃様」
(……この人が……)
小恋も名前くらいは知っている。
後宮に住まう12人(現在11人)の妃――その一人。
第六妃、白虎宮の珊瑚妃。
その後ろには一人、黒い布で口元を隠した宦官のお付きがいる。
「何事かと思って来てみれば、荒廃していた陸兎宮が随分綺麗になったわね」
「珊瑚妃様、あの」
「心配していたのよ、楓花妃様」
珊瑚妃は、その細い腰を曲げ、楓花妃に顔を近づけて言う。
「ここ最近、悪い噂ばかり聞いていたから……元気になられたのね?」
「はい、ご心配おかけいたしましたのじゃ」
ぺこり、と頭を下げる楓花妃。
「あら?」
そこで、珊瑚妃が何かに気付いたように言う。
「減量はやめてしまったの?」
びくっと、楓花妃は体を揺らす。
「輪郭の線が、以前のように戻っているわ。もっと痩せないとと、折角助言したのに」
「そ、それは……」
「ご心配なく」
しどろもどろになった楓花妃に代わり、そこで、小恋が口を挟んだ。
「きちんとした食事と運動で、健康的に痩せる計画は立てていますので」
小恋は思う。
この珊瑚妃、先程から言葉には出していないが、どうも楓花妃への態度がいやらしい。
「あら? 下女かしら? この宮に何か雑用で来たの?」
「ええ、お仕事で」
「ふぅん」
目を細める珊瑚妃。
「あ、思い出したわ。貴女確か、月光妃様に無礼を働いて宮女から降格になった、小恋という名の下女じゃない?」
「おい、何の騒ぎだ?」
そこに、爆雷が偶々通りかかった。
「……噂の『雑用姫』に加えて、問題児の衛兵まで……ふふっ、変わった宮に様変わりしましたわね」
小恋と爆雷を交互に見ると、珊瑚妃は微笑を湛え――。
「それでは、楓花妃様。また、お会いいたしましょう」
「は、はい」
そう言って、お付きの宦官を引き連れて帰って行く。
「……珊瑚妃様とは、以前から交流を?」
「うむ。珊瑚妃様は、いつも妾を心配してくれている。良い人じゃ」
「……ふぅん」
小恋は、珊瑚妃とお付きの宦官が去っていく後姿を見る。
(……そうは見えなかったけどなぁ)
『ぱんだー!』
「わっ!」
そこで、小恋は足元に、白黒の子パンダと、真っ白な丸い兎がいることに気付く。
雨雨と雪だった。
「おお、宮の中を見回りしてたら、そいつらがどこからともなく現れたんだ」
爆雷が言う。
「二匹とも、どこに行ってたの?」
小恋がしゃがみ込み、雨雨と雪を見る。
二匹とも、今朝あたりから揃って姿が見えなくなっていたのだ。
「宮から出て、どこかに遊びに行っていたのかな? 自由奔放で神出鬼没だからなぁ」
『ぱんだー』
『うさうさ』
「……ん?」
そこで、小恋は自身の耳を疑う。
雨雨が喋るのは知っているが、なんだか今、雪の方も何か言っていたような……。
『ぱんだー』
『うさうさ』
『ぱんだー!』
『うさうさ』
……完全に喋ってる。
「どうしたのじゃ? 小恋。雪がどうかしたのじゃ?」
「あ、楓花妃様……この子って普段から喋れるんですか?」
「へ?」
『うさうさー』
と、雪が楓花妃の足にすりすりと体を寄せる。
「……きぃぃぃゃああああ! しゃべったぁぁぁぁ!」
やっぱり、異常事態だったようだ。
楓花妃は驚き、そのまま腰を抜かしてしまった。
「おい、小恋。どうなってんだ? この後宮の動物共は」
「知らないよ」
まさか、雨雨と一緒にいたから、雪も喋れるようになったとか?
そんな馬鹿な……。
……いや、待て。
そういえば、飛頭蛮を倒しに行った夜――小恋が妖魔の気配を探知した時、最初に探知した強い妖気を追ったら、雨雨と出会ったのだ。
その後、別の気配を察知し、そちらの正体の方が飛頭蛮だった。
「まさか……」
小恋は『ぱんだー! ぱんだー!』とはしゃぐ雨雨を、じっと見詰めていた。