苔鶏東高校弓道部
「こんにちは」
「「こんにちはーッス」」
高校の校門を出て道路を挟んだ向かい側にある弓道場に入ると、後輩から元気な挨拶が掛けられる。
「主将、的の確認お願いします!」
穴の一つも開いていない的が二十八メートル向こうに綺麗に六個並んでいる。高さも間隔も……問題ない。
「良い」
「ありがとうございます!」
夏の大会で三年生が引退した後、俺は苔鶏東高校弓道部の主将を任されている。部員は二年が六人、一年が十二人の計十八人。年々増加傾向にあるのは、自給自足の生活に関心がある表れなのだろう。
女子の方がやや多めなのは嬉しい限りだ。
道場の隅の方で制服から道着袴へと着替えた。弓道場には女子更衣室はあるが、男子更衣室がないのが主流だ。あったとしても石油ストーブや米俵のような巻き藁などを置いておく物置に使われることが殆どらしく、苔鶏東高校弓道場もその主流に従っている。
一年の女子が……チラチラ見るのが気に障る。
「遅かったなあ。日直の仕事に時間が掛かったのか」
同じクラスの岡崎勲は既に着替えを終え、巻き藁練習を始めていた。
「ああ。ちょっと……黒板消しのブイ―ンが詰まっていて掃除するのに手間取ったのさ」
「まめだなあ。あんなの放っておけばいいのに」
……実際には放っておいたのだが。
「そんなことより、来週から普通科一組に転校生が来るって噂だぜ。しかも女子」
「ゲッホッゲーッゴ!」
思わずむせ込んでしまった! それって、さっきぶつかったあいつでまず間違いないだろう。
「大丈夫か、弘人」
「ああ、大丈夫だ」
まさかその転校生と一悶着あったなんて、言えるはずもない。
「でも、こんな時期にこんな田舎の高校に転校してくるなんて、なにがあったんだろうね」
副主将の橋本沙里が俺と勲の話に気付いて問い掛けてきた。……せめて俺が袴を穿いた後に近付いてきて欲しいぞ。俺のトランクスは見せ物ではない。女子が男子の着替えを見るのに慣れ過ぎているのもどうかと思う。
「まあ、家庭の事情とか、いざこざとかじゃないのか」
「旦那の不倫がバレて離婚して母親と実家に帰ってきたとか?」
「……」
「あるある、ハハハ」
おいおい。その転校生……倉野葵が聞いていたら、きっと大喧嘩になるぞ。俺の予想では……十中八九この弓道部に入ってくるのだから。
これは最強スキルとは関係ない。手を握っただけで分かった。あの転校生も弓道人だ――。
道着に帯を締めると、袴を穿いて結び目を整える。これを着ると普段のたるんだ私生活から一転して気持ちが落ち着く。弓巻をほどいて弓を出し、弦を張ってビョンビョンと張り具合……テンションを確認する。
弓道は弓を引いて的に当てればいい。俺の最強のスキル、やり直しスキルを使えば、大した努力をしなくても百発百中できると安易な考えから入部したのだが……一年生で県大会個人優勝は、いささかやり過ぎてしまった感がある。
顧問や先輩からはあまりいい目で見られなかった。勲は凄いと驚いていたが……悪い癖を出してしまったと後悔している。
二年になってからは、スキルなんかは使わずに普通に練習をしている。春のインターハイ予選でも的中率は五割以下で、入賞には箸にも棒にも掛からなかった。これが実力なのさ。
そんな過去はどうでもいい。精神統一して今日の練習に励むのだ。
ヒャウ! バス!
「「シャー!」」
的に矢が当たる度に「シャア!」とか「ヨシ!」と歓声が上がる。放課後から七時過ぎまで、みっちり練習は続いた。
「「ありがとうございました!」」
土曜日の練習はさすがに疲れる。疲れるのだが、何かに没頭しているのは気が紛れていい。
世間の暗いニュースや事件などからはなるべく避けるような性格になっていた。世の中のことなんか……知れば知るほど自分の無力さを感じてしまうだけだ。
俺が持つ分岐点からやり直せるスキルの最大の欠点は……分岐点に戻ったのに事態を何一つ好転させられない場合、さらに前から分岐をやり直さなくてはいけないところにある。諦めが肝心だと……何度も自分に言い聞かせて生きて来たんだ。
それと、このスキルは……絶対に知られてはいけない。もし知られるようなことがあれば……その前まで分岐点を遡ってやり直しを強いられることになる。
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