早まる転校
俺の持つやり直しスキル……ゲームのやり直しには都合がいい。RPGであれアクションであれ、やられれば数秒前に戻るだけで難なくゲームを進められる。
だが、現実はゲームなんかじゃない。友達と格闘ゲームをやった時も酷かった。やり直しスキルを使えば全戦全勝してしまう。かといって、負けてばかりでも楽しめるほど俺は大人じゃなかった。
……ああ、俺は今、小学生の頃の夢を見ているんだなあ……。あの頃は何も悩んだり考えたりせずにゲームにハマっていた……。友達と集まり、ゲームをやっていると、必ず負けず嫌いの友達が僕に文句を言ってからかってきた。
「やーい、弘人のスケベ」
ゲームに負けて悔しいからって、スケベはないだろ。それに僕はスケベじゃない――。
「なんで僕がスケベなんだよ!」
「なんでって、お前、保育園の時、あーちゃんとチューしたくせに」
チューしたくせに……だと。
「チューなんかしてない!」
いっつもいっつも、同じことばかり言いやがって――。喧嘩になれば、またやり直しスキルを使わないといけなくなるじゃないか。自慢じゃないけど僕は喧嘩に弱い。だから喧嘩も嫌いなんだ。
「僕は見てたもんねー! 弘人のスケベ、あーちゃんとチュー! 弘人のスケベ、あーちゃんとチュー!」
「あーちゃんとチューって言うな―!」
……あーちゃんとチューって言うな……。いつもいつも、しつこ過ぎるんだよ……。
目が覚めると、四時間目が終わり、昼休みになっていた。頭の中には小学生の嫌な思い出がこだましている。
またあの夢を見てしまった。嫌なことがあると、決まって昔の嫌な夢を見てしまう……。
……ん。いつも馬鹿にされていたが、チューした相手の名前って……あーちゃんだったのか。
あーちゃんって……ひょっとして……?
全身に鳥肌が立って寒気が走った。
目を閉じてほとんど忘れてしまっている遠い昔の記憶を思い出す。記憶の始まりに近い保育園の記憶を。
お昼ご飯を食べた後、遊戯室の窓のところで、遊びでチューをしたんだ――。
――俺がキスしたのは……ひょっとして、葵だったのか――。葵の……あ。あーちゃん。
葵があーちゃんだった可能性は低い。だが0ではない。保育園を卒園して同じ小学校に入学しなかったのは覚えている。
昨日、葵は転校ばかりしていると言っていた。そして、早ければ今週中にも引っ越してしまう。
――今日の部活が終わった後、聞いてみよう。じゃないと、俺の気持ちにはずっとモヤモヤが掛かったままになってしまう。もう葵と普段通りに喋れなくなってしまう――。
せめて別れの時には潔く、未練タラタラせず笑顔で別れると決めたんだ。格好悪くてもいい。
――決して、後悔しないように。
「なあ、葵」
「なによ」
俺が葵と呼ぶと、道場内の視線が一斉にこちらを向いたが、今は気にしてなんかいられない――。
「今日、部活が終わったら……送っていくから、一緒に帰ろう……」
物凄く小さな小さな声でコッソリと告げた。絶対に周りに聞かれないような小さな小さな声だ。小鳥のせせらぎよりも小さな声だ。こそこそ話よりも小さな声だ。
「……どうしたのよ。そんな小さな声じゃ聞こえないでしょ」
「……」
「もちろん、そのつもりだったわよ」
葵も小さな声でそう答えてくれると、何もなかったかのように練習を続けた。
葵の放つ矢は、今日もすべて的に吸い込まれるように当たっていた。
練習が終ると、今日だけは自転車で二人乗りをして帰った。
交通ルールは守らなくてはならないが、怒られたって、見られたって構わない。自転車の後ろに立ち乗りする葵は、子供のようにはしゃいでいる。そんなに喜んでくれるなら、毎日二人乗りをすればよかったと後悔さえしてしまう。
残された時間は、たとえ一日さえ無駄にはできない貴重な時間なんだ――。
マンションが見えてきた頃に、気になっていたことを打ち明けた。
「なあ葵! ひょっとしてだけど、お前って、『苔鶏保育園』に通っていたのか……」
苔鶏幼稚園と苔鶏保育園があり、お金持ちは施設が充実している苔鶏幼稚園が主流だった。
「……」
「もしそうだったのなら……っていうか、俺もそこに通っていたんだ」
「……やっと……思い出してくれたの」
やっぱりそうだったのか。葵はあーちゃんだったのか。
「ああ。あの時は、「あーちゃん」「あーちゃん」ってみんなが呼んでいたからな。あーちゃんが葵だったことに、ぜんぜん気が付かなかった」
そのあーちゃんって名前すら自力で思い出せなかったのが情けない。
モヤモヤしていた一つの謎が解け、胸がスーっと楽になった。爽快感が半端ない。
「ねえ、ちょっと止めてよ」
「え、もうマンション、直ぐじゃないか」
「いいのよ。……もう」
もう? もうここでいいってことなのか。
自転車を停め、マンション近くの小さな公園のベンチに座った。マンションの近くなのに人気はほとんどなく、時々走る軽トラックのライトだけが辺りを僅かに明るく照らす。こんな田舎にこのマンションはそぐわない。勿体ない。
「わたしが『キスしたくせに』って何度も言った理由、やっと分かったでしょ」
「……ああ」
まさか十数年前の悪戯のようなキスのことをしきりに言っていたとはな。とんだ幼馴染との再会だったなんて。
……だったらもっと早くに言ってくれと言いたい。あれならファーストキスでまず間違いない。生まれた時に母親や祖母にチューされたとしても、それはノーカウントだ。いや、エンカウントかもしれん――。
「気が付くのが遅いんだから」
「……わるいな」
「じゃあさ、せっかくだから……もう一度キスする?」
こっちを見つめて、ゆっくりと目を閉じる葵にたじろいてしまう――。どうしていつもいつもそうやって俺の一歩前を行くのだろう。それとも、女子には心の準備ってものが必要ではないのだろうか。
「だから、そう易々と目を閉じるなって。安直な奴だとバカにされるぞ」
俺だって……安直な奴でしかないんだ。喉の辺りでゴクリと……唾を飲む。
「いいじゃない。思い出作りよ」
「思い出……か」
葵との間にはもう、思い出を作る事しか残された時間はないのか。
「うん。だから、思い出作りに最後のキス。もう三回目なんだから、気にすることないでしょ」
……その性格が羨ましい……。三回目とか言われたら、本当に気にならなくなってまう。
「だが、絶対にもう『キスしたくせに』とか言わないでくれよ」
「わかった。神に誓うわ」
神って……。
「神なんかに誓わなくてもいいから、他の女子にも絶対に言わないでくれ」
「言えるわけないでしょ。それに、わたしだって……恥ずかしいんだから……」
本当は、俺以外の男と……キスしないでほしい。引っ越しなんかしないでほしい。これを最後のキスなんかに……しないでくれ。
いつかどこかで、また出会い、その時にも同じように、「キスしたくせに」と言ってほしいのに……。
チュッ!
唇が触れたか触れないか分からないくらいのキスだったが、唇の温もりを感じた。いい香りが……口元に漂った。心臓がドキドキした。
もうこの先、キスしたくせにやり直しスキルを使うのなんて、まっぴらごめんだ。
「……ありがとう。思い出を作ってくれて」
「ああ」
「ちゃんとキスしたんだから、もう、――やり直しなんかしちゃダメだからね――」
――え。
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読んだくせに……!?




