ここでそれ言うか
コーラくらいは自分で注ぎますから――。
お店の人が本来はお酒用の細長いグラスに、注文したコーラを注いでくれる。ジュースなんか飲んでいるのはこのテーブルくらいだ。
「じゃあ、初デートに乾杯」
「……乾杯」
いや、目茶苦茶恥ずかしいぞ! 周りは大人ばかりなのに、子供同士がジュースで乾杯だなんて。周りからクスクス笑い声が聞こえてくるけれど、気にしては駄目だと自分に言い聞かせる。
俺はなにも悪くない。だろ。たぶん。
「美味しいね」
「あ、ああ」
コーラだもん。
「子供って、ちょっと背伸びをして大人のフリをしたがるものなのよ。でも、それが社会勉強だし、そうやって大人になっていくのよ」
「社会勉強か」
勉強は昔から……嫌いだ。
料理が一皿ずつ運ばれてきて、俺と葵の前に置かれる。テレビや美食マンガでしか見たことがないような料理。その一皿一皿が……ラーメン一杯分くらいの値段がするのを……俺は知っている。
「こうやって盛り付けてあると、野菜も美味しそうに見えるから不思議ね」
「ああ。不思議だ。見たことのない野菜が、この世にはあったんだ……」
正直な俺のコメントでクスクス笑ってくれて嬉しい。慣れないフォークとナイフを使い、ガチャガチャと音を立ててしまった。今日から晩御飯をフォークとナイフで食べようかと真剣に考えてしまった。
味は……美味しいのだろうか。ドレッシングかマヨネーズか分からないものがかかっていて、ちょっと酸っぱい。
お高い料理は、ちょっと酸っぱい。初恋のように……。
「どう、美味しい」
……ちょっと酸っぱいが、
「ああ。美味しい。さすがに高級なレストランって味だな」
もう一口食べた。やっぱりちょっと酸っぱい。野菜特有の苦みがなんとも言えない。
「弘人にはこれの美味しさが分かるんだ。わたしにはぜんぜん」
――どっちだ! 舌が肥え過ぎているのか、どっちなんだ――!
二人でクスクス笑いをこらえた。
ぜんぜん美味しくない――。
笑ってしまうくらいに――。
美味しいというよりは、普段は味わえない変わった味付けを楽しむ事ができる店なんだと感じた。
白いタレのかかった焼き魚はボロボロ崩れてフォークとナイフで食べるのは一苦労させられる。焼き鯖の方がご飯に合うはずだ。しかもご飯はない。味の付いてないパンだけだ。
お肉なんて、ステーキ屋さんのに比べたら半分の半分くらいの大きさで、さらに切った中は真っ赤だった。マクドのハンバーガの方がよっぽど美味しくて柔らかい。
フォークとナイフでは食べ難く、余計に味が分からない。お箸が欲しくなる。
いい経験にはなったが、もう、二度と来ないだろうなあ……。
「ご来店ありがとうございます。いかがでしたか」
白くて高い帽子を取り、シェフがテーブルに挨拶をしに来てくれた。高校生が二人で来ているのが珍しいのだろう。
「お、美味しかったです」
色んなお皿の中に美味しいのがあったのは確かだ。味付けの好みの問題なんだと思う。スープは特に美味しかった。なんのスープか後で聞いておきたいくらいだ。
「そうね、悪くないわ」
ここでも上から目線なのが可笑しい。怒られるのではないだろうか。
「ありがとうございます。本日のコースはワインに合うコースとなっておりましたので、またお二人が大きくなられた頃に来ていただけると幸いです」
片目だけ閉じてウインクして見せると、シェフは他のテーブルへと向かった。
「高校生だからって、舐められたのかしら」
「いや、大きくなってからもう一回来て欲しいってことだろう」
「ふーん」
葵は運ばれてきた大きな白い皿に乗った小さなデザートを食べ始めた。お酒が飲める歳になれば、また来てみたいとも思う。
できれば葵と一緒に……とは言えなかった。
俺の前にも同じデザートが置かれ、小さなカップに香りのいいコーヒーが注がれた。コーヒーはまだブラックで飲めないから、砂糖を一つ入れようとしたそのとき、葵が衝撃の事実をさらりと告げた。
「実はね、仲良くなっといて悪いんだけど、わたし、引っ越すの」
ブーっと飲んでいたコーヒーを吐き出してしまうかと思った。
――葵が……引っ越す?
「うん。わたしはずっとここにはいないわ」
「……」
心のどこかでは……そんな気がしていた。
高二の二学期から転校してきてマンション暮らし。制服は着ているけれど、体操服はまだないなんて、ちょっと考えるとおかしいとも思っていた。弓道部にだって仮入部しかしていない。道着袴も持っていておかしくない腕前なのに。
なにより、俺がこんなにすぐに女子と仲良くなり、こうして二人でデートまでしていることに……なにかしらの裏がありそうで怖い気がしていたんだ……。
こんな結末が待っていたとは……。
「引っ越すって……どこに」
「まだ内緒よ」
内緒って……。まあ、言いたくないんだろうな。色々と。家庭の事情とか、ややこしい家族関係がらみとか……。
引っ越したのに俺がストーカーのようについて来るとか、毎日ポストに俺からの手紙が届くとか、俺が初恋の相手ですと結婚式に邪魔をしに来るのが怖いとか……。
「いくら俺でも、そんなことはしないけど……そっか。遠くに行くんだな」
「まあね。うちの製薬会社が海外に進出するのよ。今では母が社長を勤めているから、それでわたしにも来いって……」
少し暗い顔を見せる。今までに見せたことのない寂し気な表情に俺は……ちょっと切なくなった。
「いつ」
「うーん、早くて……来週くらいかなあ……」
「来週って……もう、今週じゃないか。それに、『かなあ……』って」
そこ大事なとこだろう。
肝心なところがいい加減なのは、わざとそう言って誤魔化しているのに決まっている。葵らしい。出会ってまだ一週間しか経っていないのに、葵の性格や考えていることが手に取るように分かる。
せっかくのデザートが……ぜんぜん甘く感じなかった。
大人の味って……甘いだけではないと知った。
葵が金色のカードを店員に渡し、払ってくれた。俺の持っている金色のH〇Pカードとは微妙に輝きが違った。
「俺の分くらいは……払うよ」
HOPカードをさりげなく財布から出す。これはただのポイントカードなのだが、現金も持っている。
「いいのいいの。今日誘ったのはわたしの方なんだから。前に缶ジュースを御馳走してくれたお返しよ」
「缶ジュースって……百二十円だったぞ」
どう計算しても割に合わないだろうが……ありがたくご馳走になる事にした。葵の気持ちを尊重したかったから。
二人でエレベーターに乗ると、無言だった。二人っきりなのに、今までで一番気まずい空気に息が詰まりそうになる。
海外へ引っ越しても連絡くらいは取り合えるだろう。聞きたい。聞いておかなくてはいけない。今日のデートだって、時間を決めて待ち合わせだったのだ。ひょっとすると、連絡先を交換したくないのだろうか。
キスしたくせに、連絡先すら知らないなんて……って作戦はどうだろうか。――名案だ!
とにもかくにも俺は焦っていた。もう時間が残されていないような強迫感に。
「あのさあ……」
沈黙を破ったのは葵の方だった。
「なんだい」
ゆっくりエレベーターの階数が「36」から下がっていく。
「今日、ここに……泊る? 一緒に」
ガーンと頭をタライで叩かれたような衝撃音が響く。
パンツとシャツ……着替えを持って来ていない――。
明日は月曜日で、ここから学校までは始発に乗っても……間に合うかもしれないが――。
親にはなんと説明するんだ。今日のことで浮かれていた俺は、親に「デートしてくる」と馬鹿正直に自慢してきてしまったのだ。
――まさかの初デートで泊まるだなんて、お家に連絡できるはずがない――!
冷や汗がナイアガラの滝のようにザーッと溢れる。
誰しもが人生で一度はこういう状況を迎えるのだろうが、俺にはまだ早過ぎる――? 心の準備が着替えの準備以上に整っていない――!
だが、俺には分岐点からやり直せる最強スキルがあったではないか――。困ったことになれば、このエレベーターの今現在からやり直しをすれば……いいだけじゃないか――。
「冗談よ」
「……だと思ったぜ」
ズボンのポケットからハンカチを出し、額の汗を拭った。絞れそうなくらい汗を掻いていた。知らないうちに息も止めていたのを、フーッと吐き出す。死ぬかと思った。
「ひょっとして、本気にした」
「するわけないだろ。ハハハ」
……。
葵と……見つめ合っていた。
扉があと数秒間、開くのに時間が掛かっていれば……俺と葵との思い出が違うものになっていたのかもしれない……。
エレベーターが一階に到着し、ポ~ンとチャイムが鳴ると、ゆっくりと扉が開いた。
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