津谷景子の一日目 その9
私のマンションにもうすぐ付くというところで明さんは携帯電話をポケットから取り出した。
そのときに、チリンと何か落ちた音がする。
「あれ、やば。家の鍵を落としたかも」
明さんはそう言うとちょうどそこにあった自動販売機の下を覗き込んでいた。
「あったあった。良かった。ちょっと待ってな。なんか奥の方に入ってしまってるわ」
「大丈夫ですか?」と私は地面に伏せて自動販売機の下に手を伸ばしている明さんを見つめた。
そのとき、タッタッタッと、地面を蹴る足音が聞こえた。
え? と私は振り返ると、青い目出し帽で顔が覆われた人が走って来ていた。
手にはきらり光るナイフが握られている。
「きゃ」と私は驚きのあまり小さな悲鳴しか上げられなかった。
殺されると思った瞬間、私はドンと衝撃を受けて転んだ。
何が起きたかわからず、私は地面に座ったまま、放心してしまう。
「まてや、こらあぁ」と明さんがドスの利いた大声を出していた。
声を荒げた明さんの声を聞くのは初めてで、私はナイフで襲われたときよりビクッと反応してしまった。
関西弁って怖い。
明さんは犯人を数十メートル追いかけていたが、途中でこちらに戻ってきた。
「大丈夫、怪我はない?」
明さんは息を切れ切れにしながら聞いてきた。
そのときやっと私は自分が刺されていないか心配になった。
痛みはないから大丈夫だと思うけど、体のあちこちを見てみる。
すると私は刺されてはいなかったが、持っていたバッグがぱっくりと切れていた。
「私は大丈夫みたい。バッグだけ切られちゃったけど」
「ほんま。ごめんな。とっさに突き飛ばすことしか出来へんかったわ」
そう言うと明さんは本当にすまなそうに頭を下げてくれた。
「いや、助けてもらったのは私だから頭なんて下げないでください。私こそありがとうございます」
「いや、まさか俺がおっても襲ってくるとはな。計算違いや。ほんま、ごめん」
そう言うとまた明さんは頭を下げていた。