ケイと明 明と五十鈴 宝物
私は明さんを食事に誘った。
吉祥寺にある、気軽にはいけないレストラン。
洋式の歴史を感じさせるような落ち着いた店構えだけど、店内はとても綺麗だった。
助けてもらったお礼として、ここは私がお金を出すつもりだ。
「けっこう高そうなお店だね。ええの? おごってもらって」
「はい。もちろん。だって明さんは命の恩人ですから」
それにギャンブルで勝たせてもらったお金がまだまだ残っているからね。
まずはシャンパンで乾杯した。
ちょっと大人って感じでいいよね。
ウェイターがお勧めはベル・エポックだと言っていたのでそれにした。
飲みやすくて美味しい。あんまり飲んだらすぐに酔っ払いそうだね。
「そう言えばあの男、やっぱり女子大生の犯人だったの?」
「はい。そうらしいですよ。昨日警察に行った時に刑事さんが教えてくれました」
私を襲った犯人が捕まってから三日が経っている。
あれから二回ほど警察に行っていろいろ説明をした。
犯人はあっさり女子大生殺人を認めたらしい。
コース料理が運ばれてきた。
サーモンとキャビアが乗っている前菜、色鮮やかなサラダにコンソメスープが順番に運ばれてくる。
「予知ではあの日、俺は腹を刺されてんな。その後にケイさんが襲われてん。あんな予知が現実にならなくて良かったよ」
明さんは私には予知を見たと言っている。
五十鈴さんは過去に戻れる力だと言っていたけど、本当のところはどうなんだろう?
明さんが嘘を言っていると私は思っている。
でもその嘘に悪意はまるでない。
まるで信じられない真実より、ありえるかもしれない嘘で話してくれているだけだ。
私は人の言うことを真に受けちゃう方だけど、それでも人が嘘を言っているかどうかを見抜く目を持っている自信がある。
もうここまで事件に巻き込まれたのだから真実を教えてほしかった。
「あの五十鈴さんに聞いたのですけど、明さんは本当に予知を見れるんですか?」
明さんはそう聞かれて、ちょっと驚いた顔をしていた。
「五十鈴は何て言ってたの?」
「過去に戻れると言ってました」
「そうなんや。じゃあ、五十鈴も戻ったんやな。何で内緒にしてたんやろう?」
「心配だったみたいですよ。明さんが家族を助けに過去に戻ってしまうのが。そうすると輝君が生まれてこなくなると言っていました」
「そうか。五十鈴の悩み事って俺のことやったんか」
シャンパンを飲み終えたので、ハウスワインのカベルネ・ソーヴィニヨンを頼んだ。
赤ワインを飲みながら、私たちはステーキを食べた。
ドラマで見る恋人たちのデートって感じだね。
私たちの会話はまるでSF映画のようだけど。
「そうです。だから私と明さんが付き合って幸せになれば、過去に戻らないはずだって五十鈴さんは思ってるみたいです」
私がそう言うと明さんはむせてワインをこぼしていた。
「あいつそんなことも言っていたん?」
「はい」と私は笑顔を答えた。
私の笑顔を見て、明さんは赤面していた。
お酒の効果もあるのだろうけど、真っ赤になっている明さんは可愛い。
私も何だか少し酔っている気がする。
「五十鈴は心配しているようだけど、たぶん戻らないと思う。戻ってまた六歳から人生をやり直さないといけないのは、ちょっと辛いね。過去にしかいけないからね。未来にはいけないから。それに戻っても助けだせる自信がないんだ。人の生死は過去に戻っても変え難いんだよ。今ではケイさんが助かったのが不思議なくらい。ケイさんは何か特別な力で守られているのかもね」
明さんはそう言って、綺麗な焼き色のステーキを口に運んでいた。
特別な力と聞いて私は思い出す。
おばあちゃんにもらったお守り。
明人の葬式でおばあちゃんは泣きながら私に渡してくれたのだ。
「これを明人にも持たせておくんだった」とおばあちゃんは言っていた。
お守りで助かる命があるのかなと私は半信半疑だったけど、おばあちゃんは真剣そのものだった。
そのお守りはあの男に襲われたときにすっぱりと切れてしまった。
考えてみればお守りはバッグの内側に入っていたので、ナイフの刃はほとんど届かなかったはずなのだ。
でも不思議なことにあのお守りは真っ二つに切れていた。
「これは身代わりのお守りなんだよ」
そう言っていたおばあちゃんの言葉を思い出す。
「あの……」と言って私は言葉に詰まった。
あの身代わりのお守りを明さんに伝えるべきだろうか。
もし伝えれば、明さんは家族を助けに過去に戻ってしまうかもしれない。
そうすると、もしかしたら私たちは出会わない運命に変わるかもしれない。
それと共にもう一つの考えが浮かぶ。
日曜日の昼下がり、私は明人と散歩している。
そこに大学生の明さんがさっと現れるのだ。
「この先は危ないから引き返そうか。あと坊やにはこれをあげよう」
そう言って明さんは明人にあのお守りを渡すのだ。
私は意味がわからないと言う顔をするだろう。
知らない人に物をもらえないとお守りを返すように明人に言うかもしれない。
「まあ、まあ、もうあと五分だけそのお守りを持っててくれたらええから。あそこのコンビニを見ててみ」
そう言われて、段差の上にあるコンビニを見ていると、そこの駐車場から車が落ちてくるのだ。
私はとてもビックリするはずだ。
そして明人の持っているお守りは真っ二つに切れてしまう。
「じゃあ、坊や、元気でな」
明さんはそう言って明人の頭をなでて、去っていく。
私はそこまで妄想して、それが真実になって欲しいと思った。
でもそれだと今の私はいなくなるのかな?
少なくても私は四年間も引き篭もらないだろう。
ヨガをやっているかもわからない。
明人が亡くなった辛さや寂しさを乗り越えて、今の私になっている。
私は私ではなくなるだろう。
私は今の自分を否定しない。
いろいろなことが起こって、私は笑ったり悲しんだりして生きてきた。
辛すぎて外に出ることも出来ない日々もあったけど、それも何とか乗り越えられた。
もし私に過去に戻れる力があるならすぐに明人を助けに行くと思う。
でもそれは明さんの力であって、私には出来ない。
「ん? あの、何?」
私がずっと続きを言わないので明さんが不思議そうに聞いてきた。
「ええっとですねー」
私は何と言ってごまかそうか考えた。
今のところお守りの話はしないことにした。
五十鈴さんの泣いていた姿を思い出したから。
それにあのお守りが本当に身代わりになるのか、まだわからないものね。
さて、何を言えばいいだろう?
「明さんは私のことをどう思っているんですか?」
なんか大胆なことを言ってしまった。
お酒の力って怖いね。
明さんはまたむせていた。
白いシャツに赤い染みが付いちゃったね。
ちゃんと綺麗に取れるかな?
明さんは少し背筋を正していた。ヨガをしているだけあって綺麗な姿勢だね。
「競艇場で言った通りだよ」
「何て言いましたっけ?」
私は覚えてたけど、意地悪く聞いてしまった。
「この力は俺の大切な人を守るために使うんだ」
明さんは力強く私の目を見て言ってくれた。
だから私は笑顔で「はい」と返事した。
『明と五十鈴』
明はケイを家に送り届けると、五十鈴に電話を掛けた。
透き通るような夏の夜空を眺めながら、五十鈴が出るのを待つ。
「もしもし。どうしたのこんな時間に?」
十時を過ぎると明は五十鈴にあまり電話を掛けなかった。
太郎君との新婚生活をあまり邪魔したくなかったからだ。
「過去に戻らないから心配しなくていいよ」
「え?」
「最近の五十鈴の悩みってそのことだったのだろう?」
「うん」
「じゃあ、大丈夫だ。俺は戻らないよ」
明は五十鈴に自分の言葉が染み込むのを待った。
「ああ、それとケイさんと付き合うことになった」
「本当? やったじゃん。あんな綺麗な人がお姉ちゃんになるのか」
「いやいや。さすがにそれは気が早いで」
「いいじゃん。いいじゃん。決めちゃいな」
五十鈴の軽い言葉に明は笑ってしまった。
「それより一つ聞きたいんやけど、五十鈴が過去に戻ったときはどういう状況やったん?」
「え? ちょっと待ってね」
その後に、ドアが閉まる音が聞こえた。
「あまりこんな話を太郎さんに聞かせられないから。えっと、私が戻ったのは目を離した隙に輝が二階から落ちちゃって、こんなの嘘だと思ったら、その日の朝に戻ってたの」
「ふうん。なるほど。ちょっと思い出してほしいんやけどそのときに輝は生きていた? それとも戻るときは息がなかった?」
「え? 確か生きていたと思う。虫の息だったと思うけど」
「そうか。俺の想像だけどそのとき輝が死んでいたら、簡単には助けられなかったと思う。だから戻るなら早くした方がいいぞ。死んだ事実は変えられないけど、大怪我は簡単に防げるみたいやから」
「そんなこと言われてもあれも偶然に戻れただけだもん。早くしろって言われても無理だよ」
「それもそうやな。俺も次があるかはわからんしな。まあ、それだけだから」
そう言って明は電話を切った。
やっぱり一度死んだ人を助けるのは、難しいのだろうと、五十鈴の話を聞いて思った。
二十年前に死んだ両親と鈴音を助ける気が全くないかと言えば嘘になる。
確実に助けられるなら明は過去に戻るかもしれない。
でも、今は未来を見て生きていこうと思った。
過去に縛られるのはもうやめた。
過去を振り返るのは、もっと年を取ってからでもいいじゃないか。
そして明は戻った記憶の引き出しから、そっと一つ取り出した。
家族と一緒に東京に帰る日のお正月。
まだ事故が起こるとも知らず、無邪気にはしゃいでいた。
初めて味わった家族団欒の温かい時間。ほんの半日だったけど、あの時は本当に幸せだった。
幼い頃に取り戻さないといけないと思っていたのは、過去に戻る力ではなかったのかもしれない。
本当はこの記憶を取り戻したかったのではないだろうか。
だって、この記憶は思い出すだけで、こんなに心を暖めてくれるのだから。
この記憶は失ってはいけない、明だけの何にも代えがたい宝物なのだ。
『宝物』
大広間にテーブル六つ並べられている。
テーブルにはおせち料理にお雑煮やお刺身、お寿司が乗っていた。
明のよく知らないおじさんやおばさんもいる。
いつもはちょっと食べたいものを食べて、鈴音と隠れて話をするのだけど、今日は堂々とお母さんの横に座った。
隣には鈴音が座っていた。
その隣ではお父さんが五十鈴を抱いて座っている。
「明、食べたいものはある? 取って上げるよ」
お母さんが優しくそう聞いてくれた。
「マグロが食べたい」と明はもじもじとしながら言った。
お母さんとまともに話すのが嬉しいけど何だか恥ずかしい。
「明はマグロが好きなのか」とお父さんが聞いてきた。
「うん。好きやで」
「私もマグロ食べる」と鈴音が言っていた。
「はいはい」とお母さんが取っている。
明はお父さんの膝に抱かれている五十鈴を見た。
「ねえ、お母さんのここに座ってもいい」
そう言って明はお母さんの太ももを触った。
「うん。来なさい」
そう言ってお母さんは明を抱き寄せてくれた。
お母さんはやわらかくてとてもいい匂いがした。
「ああ、私もそこに座る」と鈴音が言う。
明は鈴音と肩を寄せ合って、お母さんの膝の上に座った。
お父さんとお母さんが笑い合って話している。
そのお父さんの膝の上で、五十鈴は寿司を握り潰していた。
「このマグロ美味しいね」と鈴音が言ってきた。
「うん」と明は答える。
何もしていないのに凄く楽しかった。
背中から感じるお母さんがとても温かかった。
だから明は笑った。
泣きそうなほど楽しくて嬉しかったから。
これで完結です。
最後まで見てくださった方々ありがとうございます。
これはヨガの促進小説でもありました。
少しでもヨガに興味を持ってくれたら幸いです。
それでは重複しますがありがとうございました。




