五十鈴と景子の会話 その2
「じゃあ、お話させてもらいます。私の母の家系は予知夢を見れるって言う血筋なんです。母は見れなかったみたいですけど、おじいちゃんとお姉ちゃん、そして明お兄ちゃんは予知夢を見る力があったみたいなんです。でも私はずっと予知夢を見れませんでした。二週間前までは」
私は姿勢を正して、もぞもぞ動く輝を抱っこし直す。
輝の温もりを感じているだけで幸せだ。本当に輝が無事で良かった。
「二週間前に輝は一度二階の窓から落ちたんです。一度って言っていいのかよくわからないですけど」
今思い出してもゾッとする。
その日はお兄ちゃんの家の掃除をしに行っていた。
私は輝を部屋に置いて玄関を掃除していた。
何か大きな物が下に落ちた鈍い音が聞こえた。
私は何だろうと後ろを振り向き、部屋を見た。
広い部屋じゃないから玄関からでも部屋は一望できるのだ。
そこにいたはずの輝はいなかった。
窓を開けていた私が悪いのはわかっている。
でもまだハイハイしか出来ない輝が、低めの窓枠とはいえ、そこに乗れるとは思わなかった。
そして赤ちゃんの身体の柔らかさも原因だった。
パッと見ると輝が通り抜けられないような幅の柵もあったのだ。
でも輝はそこをスルリと抜けて落ちてしまった。
私は下の地面でぐったりとしている輝を見て叫んだ。
運悪くコンクリートの部分に輝は落ちていた。
あと十センチもずれたら土の地面だったのに。
私は階段を転げ落ちるように降りて、裏手に回り輝を抱き上げた。
輝はまるで血の詰まった人形のようになっていた。
今にも、今にも大切な輝が消えてしまいそうだった。
「死に掛けている輝を見て私は思いました。こんなことは絶対嘘だって。私は認めないと。そのとき思ったんです。私も予知の見れる血筋なのになんでこのことを予知できなかったんだと。何でこんな大事なことを予知できないんだろうって。もういろいろな感情が湧きあがりました。自分への怒りと失望が大きかったですけど。そのとき、私の頭に見たこともない時計が浮かんできました」
ケイさんは我がことのように私の話を聞いて、とても悲しんでいるように見えた。
ケイさんもわが子を失ったことがあるかのような、悲壮感のある顔だった。
「とってもシンプルな針時計。でも一度もそんな時計を見たことはなかった。何でそんなものが頭に浮かぶのが不思議でした。そして、その時計が急に動き出したんです。普通とは反対周りで、ぐるぐると動き出して、そしてハッと気がつくと私はベッドの上にいました。隣には夫が寝ていて、ベビーベッドには輝がスヤスヤと寝ていました。何もなかったように。私は悪い夢を見ていたのかと思いました。でもあんな感覚は夢のわけがない。まるで映画で急に場面が変わったような違和感があって、夢とは信じられませんでした。そしてちょっと経って気がついたんです」
私は何が起こったかわからず、夫を起こした。
そして、混乱していた私は、輝を危ない目にあわせてごめんなさいと泣きながら謝っていた。
そのときは輝が大怪我をしてから、奇跡的に治ったように感じていたのだ。
でもそうではなかった。
「私は輝が落ちた日の朝に戻っていたんです」
私の言葉を聞いて、ケイさんはさすがに驚いた顔をしていた。
「戻った?」
「そうです。輝が大怪我をする日の朝に戻っていたんです。そのとき私は頭の中に出てきた時計を思い出しました。よくわからないんですけど、たぶんあの時計が関係しているのだと思います。そして、そのときにやっと兄がなぜ予知の力を取り戻していたのかわかりました。兄は本当は過去に戻る力を取り戻したかったんです。そして、過去に戻って交通事故で亡くなった両親と姉を助けようとしているのだと思います」
私は脳裏に浮かんできたのは時計だった。
一回しか戻ったことがないのでわからないが、私は二十四時間くらいしか戻れないのではないだろうか。
でもお兄ちゃんはカレンダーが浮かぶと言う。と言うことはきっとあの交通事故の日まで戻れるのだ。
「そうなると、たぶん私はもっと違う人生になると思います。両親や姉が生きていた方が私ももちろん嬉しいです。でも私は物心付く前に三人とも亡くなっていたので、まるで覚えていません。いないのが当然の毎日でした。両親が生きていたら嬉しいけど。でも……」
物心ついた時から両親はいなかった。参観日などで若いお母さんが来るのを五十鈴はうらやましかったのを覚えている。
五十を超えていたおばあちゃんは、やっぱり友達からもお母さんには見えなかっただろう。
お母さんとお姉ちゃんが生きていたら、話したかったことがいっぱいあった。
相談したいこともいっぱいあった。
恋の話やファッションの話とか料理の話とかいろいろ。
お父さんに輝を抱いてもらいたかった。
可愛い孫だと喜んでもらいたかった。
この想いが消えたわけじゃない。でも、でも……
「そうなると、もしかしたら今の夫じゃない人と結婚するかもしれない。今の夫と結婚しても、ここにいる輝は生まれない。私は輝が大切なんです。輝を守りたい。もういない家族より、今の家族を守りたい」
話しているうちに涙が出てきた。
両親がいなかった孤独。
両親への憧れ。
私を孤独から救ってくれた太郎さん。
やっと出来た私の新しい家族。
いろいろな気持ちが絡まって、私は涙を止めることが出来なかった。
本当は両親も鈴音おねえちゃんも生きていて欲しい。
でも私にはその三人と輝を天秤に掛けることなんて出来ない。
私は私の大切な子供を守ることしか出来ない。
だけど私はお兄ちゃんを本気で止めることも出来ない。
「厚かましいお願いだと思うけど、私はケイさんにお兄ちゃんが過去に行くのを止めてほしいんです。お兄ちゃんはケイさんのことを好きだと思うの。もしケイさんもお兄ちゃんのことが好きなら、好きだと伝えて欲しい。お兄ちゃんからはたぶん言い出さないと思うから。そしてお兄ちゃんが行ってしまうのを止めてほしい。私の言うことは聞いてくれないけど、好きな人の言うことならたぶん聞くと思うんだ。お兄ちゃんは優しいからね」
感情が高ぶりすぎて、私は思ったままの言葉が口から出ていた。
何だか敬語にするのも忘れた気がする。
輝が不思議そうに泣いている私を見ている。
私は泣き笑いのまま、輝の頬をそっとなでた。




