天間明の過去 その2
「そうだ。お母さんは言い忘れていたけど、おじいちゃんとおばあちゃんに夢の話をしてはいけないよ」
「夢?」と明は首を傾げた。
「そう。寝ているとたまに夢を見るでしょう。聞かれても見てないって答えるんだよ。そうしないと一緒に暮らせなくなるからね」
どうして夢の話をしてはいけないのかわからなかったが、明はその言葉を胸に深く刻み込んで、ちゃんと守ることにした。
そのあとにそっと大広間にいたお父さんも明は遠くから眺めた。
眼鏡を掛けていて、賢くて優しそうなので、あんなお父さんならいいなあと明は思った。
その正月から、明はお母さんにもう一度抱きしめてもらいたいなと思うようになった。
友達がお母さんと話しているのを見て羨ましくなった。
急に自分の家がとても寂しい場所に見えてきた。
それから明が両親に会えたのは一年後の元日だけだった。
それは明にとってとても長い長い一年だった。
自分の家族に会えるのを楽しみで楽しみで、時計を見てもそんなに進んでいないし、カレンダーを見ても、一日しか経っていない。
それを三百六十五回繰り返さないといけなかった。
やっと会えた家族だったのに、今回は明のお母さんは話しかけてくれなかったので、明は見ているだけだった。
僕はお母さんやお父さんに取っていらない子供なのかなと、悲しくなった。
心にあるガラスの部分を鉄の爪でかき回されている気分だ。
でも鈴音はちゃんと話しかけてくれた。
明と鈴音は去年と同じように書斎に隠れながら話をした。
「去年はお母さんに怒られたんだ。明が知ったら寂しい思いをするから内緒だったんだって。でも明と話したいもんって言ったら黙ってた」
「お姉ちゃんはどこに住んでんの?」
「東京に住んでいるよ」
「東京って遠い?」
「通いよ。車で八時間ぐらいかかったもの」
「そうかあ。僕だけじゃ行かれへんかなあ」
「無理だろうね。たとえ来れてもすぐにおじいちゃんが迎えに来るだろうし」
「そうかあ。僕も東京に行きたいな」
そう言うと鈴音は何も言えずに黙ってしまった。
「そうだ。ブッグニュースがあるんだよ?」
鈴音が思い出したと、元気よく言った。
「ブッグニュース?」
「あれ? ブッグ? ビッグ? まあいいや。妹が生まれたんだ。五十鈴って名前。お母さんが抱いているの、明の妹だよ。凄く可愛いんだ」
「僕に妹が出来たの?」
「そうだよ。これで三人兄弟だね」
三人兄弟。
何だか凄く楽しそうだなと明は思った。
こんなに広い家におじいちゃんとおばあちゃんしかいないのはとても寂しい。
「ちょっと待ってて」
そう言うと鈴音は部屋から走り去る。
そして少しすると、重そうに赤ちゃんを抱いて戻ってきた。
「五十鈴ちゃんだよ。五十鈴ちゃん、明お兄ちゃんに挨拶して」
鈴音はそう言った後に、腕が限界だったのか五十鈴を勢いよく下ろしていた。
五十鈴はクマのぷーさんみたいなポーズで座っている。
明の顔をじっと見てきた。
「君は妹なんやね」
明はニコニコで五十鈴に顔を近づけた。
すると五十鈴に鼻をつままれてしまう。
「これってこの子の挨拶?」
明は鼻をつままれているので、変な声になった。
「五十鈴鼻をつまむのが好きなんだよね。お父さんが鼻をつままれると笑顔になるから、みんなそうすると喜ぶと思ってるのかも」
鈴音がそう言ったので、明も笑顔を作ってみた。
誰だ、こいつって顔で五十鈴は明を見ていたけど、明は五十鈴がとても可愛いと思った。
大きなまん丸の目に、ぷっくりしたほっぺがほんのり赤くて、明は鼻をつままれているお返しに五十鈴のほっぺをぺたぺたと触る。
やわらかくて、とても温かい。
「ええな。妹もいてええなあ。僕も東京に行きたいなあ」
今日が終わると、またみんなが帰ってしまうことに悲しくなって、涙が出てきた。
どうして僕は家族と一緒に住めないんだろう?
僕は何か悪いことをしたのだろうか?
いい子になるから僕も家族と一緒に住みたいよ。
お母さんとお父さんと鈴音と五十鈴と一緒に住みたいよ。
明はしくしくと泣いていると、鈴音に頭をなでられた。
五十鈴は明の顔を不思議そうに見ている。
「泣かないで。お父さんもお母さんも、明を取り返そうと頑張ってるんだ。きっともうすぐ東京に来れるよ。一緒に住めるよ」
「本当に? 僕がいらへんから一緒に住めないんじゃないの?」
そう言いながらも明は涙を止めることが出来なかった。
「違うよ。みんな明と一緒にいたいんだよ」
それを聞いて、心の中の水溜りが無くなって、明は泣くのを止めることができた。
「よかった。昨日夢でもお姉ちゃんはそう言っててん。とても嬉しかってんな」
明の言葉を聞くと、鈴音はちょっと眉をしかめて、怒ったような顔をした。
「夢ってどんな夢だったの?」
「みんなと会える夢やで。夢でも妹が出来たって言ってたわ。本当に妹がいてビックリしたで」
明がそう言うと、鈴音は真剣な顔をして明に話しかけてきた。
「それは予知夢って言うんだ。未来のことがわかる夢。これからもそういう夢を見るかも知れないけどおじいちゃんやおばあちゃんに言ったら駄目だよ。そうしたら東京に来れなくなっちゃうからね」
「何で? 何で言ったら東京に行かれへんの?」
「予知夢を見れる人がおじいちゃんは好きなんだよ。私も少しだけ見ることがあるんだ。でも内緒だよ」
鈴音はそう言うと口元で指を立てた。
明はコクリと頷く。
五十鈴が相手しろよと言わんばかりに泣き始めたので、鈴音は五十鈴をお母さんに返しに行った。
ちょっとすると戻ってきて、その日はその後、明はずっと鈴音と話をしていた。
お母さんはどんな人なのか。お父さんは何の仕事をしているのか。
鈴音は何歳なのか。
聞くことは尽きなかった。
ちなみに鈴音は明より二歳年上の六歳で、お父さんはピアニストらしい。
「ピアニストって何する人なん?」
「ピアノを弾く人だよ」
そう言われても、ピアノを弾いているのは幼稚園の先生しか知らなかったので、明の中でお父さんは幼稚園の先生みたいな人なのだろうと勝手に思っていた。
鈴音の話を聞いていると、明はもっと東京に行きたくなった。
東京にもまだ明が会ったことのないおじいちゃんとおばあちゃんがいることも知った。
鈴音と話しているのは楽しかった。
毎日話を出来ればいいのにと思った。
でも時間は過ぎていって、鈴音は帰らなければいけない時間になった。
お正月の抜けるような空が暗くなるのを見ると、明は切なくなる。
その暗い空の下で、明は自分の家族が車に乗って遠ざかっていくのを眺めないといけないのだ。




